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赤毛

あなたが彼らの街を訪れるとき、夕方五時ごろ、駅前に立つ。完璧な美少女が立つ。目が合う。それが、ズッペだ。

もしカメラがあれば、とあなたは思う。この子を撮るのだけど。大きな教会のほかには何もない、この寂しい街のお土産にするために。
残念ながらカメラは貴重品だ。権力者か、腕利きの盗人でもない限り、お目にかかることすらできない。

仕方がないから、あなたはズッペと話すことにする。この絶世の美少女の声がどんなのか聴けるだけで、ここに来た意味があるとあなたは考える。意外な声だ、とあなたは思うかもしれないが、見た目からわかることは全てではないのだ。それは覚えておいたほうがいい。

あなたはズッペの話すことを信じても信じなくてもいい。でも、どちらかといえば、信じた方がいいと思う。

もし曇りの日なら、ズッペはダーグシャの話をするかもしれない。二年前まで、この街の小学校で教師をしていた男。ずんぐりとした体型が、不思議と、実際の背丈よりも彼を大きく見せていた。脂ぎった肌を、真っ直ぐな短い髪が覆っていた。

少女たちの目は、大人が思うよりも清らかでもなければ、曇ってもいない。ダーグシャが彼女たちの肉体を丹念に眺めていることなど、学年で一番のぐずにだってわかった。
少女たちはダーグシャからなるべく距離をとって歩いたし、ダーグシャの視界に入らないよう、できる限りの努力をした。

しかし、事件は起こらずにいられないものだ。ご多分に漏れず、不幸になったのは真面目な人たちだった。

その日、二人の少女たちは、薄暗い埃だらけの教室で、抱き合い、口づけあっていた。
その部屋は、普段は使われない棟にあった。にきびを嗤われた、吃音をこけにされた、鈍足をからかわれた。尊厳をずたずたにされた子供たちが、ひとり泣くのに使っていた部屋だった。昔、忍び込んだ子どもがこっぴどく叩かれたからか、誰かの吐瀉物の匂いが微かに漂うからか、多くの子どもはその棟に近づこうとしなかったので、いじめられっ子たちには好都合だった。

二人は薔薇色の頬を持っていて、本当なら、湿った空気よりも陽光が似合った。一人は赤毛で、一人は痩せぎすだった。
二人がこの部屋を利用していたのは、何もそれぞれの持ち物―赤毛や痩身―を憂いたからではなかった。二人が互いを深く愛し合っていて、言葉のやり取りだけでは足りないと思っていて、しかしそれは、この街では許されないことだったから。

子を産む者は、子を産まぬ者をいだけ。
子を産まぬ者は、子を産む者と口づけよ。

彼らの聖典にはこうあった。

彼らは神の機嫌を損なうことを恐れ、禁を破る者が現れることを恐れていた。違反者は、見せしめに厳しく罰せられ、その様を広場で公開された。同性愛者は、日々憂き目にあっていた。友人の男と交わった青年は、止まらない涙に頬を濡らしながら、しなる鞭の咆哮を受け止めた。命を落とすものもあった。

子どもたちのほかに、例の部屋を時々訪ねる男がいた。

それが、ダーグシャだ。

もし他の教師に巡回の理由を問われたなら、落ち込んでいる子どもを慰めるため、と答えるつもりだった。しかし彼の別棟訪問の理由を問う者はおらず、そもそも、誰もが他の教師の行動にはまったくの無関心で、だからその言い訳は、ただ彼の胸のうちで冷えた。

シャッターを切る音がして、赤毛と痩せぎすは動きを止めた。

「服を脱ぎなさい」
ダーグシャは言った。ダーグシャが閉めたつもりの扉は、ほんの少し開いている。

「そうすれば、こうしていたことを黙っておくから」

二人が服を脱ぐのを、ダーグシャは、聖人の微笑みでじっくりと見つめた。

裸になった赤毛は震えていて、それを見てダーグシャはまたにっこりと笑い、小さな肩に手をかけて、味わうように口づけた。

「ザッペ」

病気のねずみのような、か弱い、小さな声で、痩せぎすは言った。床に一滴がこぼれて、そこだけ色が変わった。

ダーグシャはゆっくりと真っ青な顔の赤毛から顔を離し、痩せぎすに返した。

「写真を貼られたくなかったら、静かにしていなさい。大丈夫、君の出番も用意しているから」

赤毛と痩せぎすの頬は、もう薔薇色にならない。

***

「神の教えに従えない子を、教育したんです」

「今朝、廊下に貼られていた写真を先生方もご覧になったでしょう。あの少女たちは、生き物として間違っている。だから、私が正しいあり方を教え込んだんだ。教師の仕事を果たしたのです」

ダーグシャは、今までどんな約束も、守ったことがなかった。

***

一年か二年後の、乾いた風が吹いている日、ダーグシャはふと思い出して、例の部屋を覗きにいった。写真の件があってから、前よりもさらに、別棟に行く子どもは減った。赤毛と痩せぎすは、どこかへ行ってしまった。知らない町に引っ越したのかもしれない。

相変わらず埃っぽい部屋の真ん中で、赤毛の子どもが、生きているかわからないほど静かに、丸くなって眠り込んでいた。前の赤毛よりも小柄だった。

音を立てないように気を付けながら、ダーグシャは扉を開いて中に入った。そっと、子どもの隣に腰かける。

「私に触りたいんですか?」ふいに顔をあげた子どもが、笑いかける。

「もし君がいいと言うならね」ダーグシャは答える。
「その前に、服を脱いで見せてくれないか?いつもは隠されているところに、関心があるんだ」

「それは別に構いませんが」子どもは応じる。
「見られながら服を脱ぐのは恥ずかしいから、後ろを向いていていただけますか?」

ダーグシャは頷くと、快く体の向きを変えた。ダーグシャは、布が体を滑り落ちる音を聴くのが好きだった。

子どもはゆっくりと下着をおろす。ダーグシャが期待するほど、音は立たない。

「先生、脱げました。目をつぶって振り返ってください」と子どもは言う。

ダーグシャが目を開けると、そこにいたのは少年だとわかる。子どもは、にっこり笑う。

その微笑みを合図にするかのように、扉が開けられて、二人の大男が教室に入ってくる。男たちの体を包むのは、警吏の制服だ。一人は巻き毛で、一人は土気色の顔をしている。

ダーグシャは震える声で何かを呟いているが、子どもには何を言っているか、わからない。ダーグシャの母親は、隣町の出だった。興奮すると、母親の言葉がダーグシャの口をついた。この町で信じられているのとは違う神様に、ダーグシャは祈っていた。

だけど、届かない。

むち打ちは100回では済まないだろう。ダーグシャの変わり果てた姿を見て、母親たちは言うのだ。
「いいかい子供たち、神様の定められたこの世のルールに従うんだよ。従えなかったらどんな目に遭うか、先生がお教えくださったろう?」

ついには体まで震わせ始めたダーグシャには、抵抗する力も残っていない。土気色の男が、ダーグシャを引き連れて教室を出る。
「怖かったね」巻き毛が子どもに語りかける。
「いえ、お巡りさんたちが来てくれたから、もう安心です」子どもはにっこりと笑う。「先生が鞭に打たれると思うと、悲しい気持ちになりますが」
「いいんだ、当然の報いなんだ」巻き毛は子どもと目を合わせようとしたのか、しゃがんで、こう言った。
「君はなんにも悪くないんだよ」


警吏に頭を撫でてもらったズッペは、走って帰宅する。ただいま、と言うなり、ザッペが臥しているベッドにまっすぐに駆けていく。ザッペは豊かな赤毛を敷くようにして、その顔を横たえている。ズッペはザッペの、かつて唇があったところにキスをする。時間をかけて。そうすることでザッペの爛れた膚の下に、柔らかな感覚が届くと信じて。

「ザッペ」
ズッペは、響きを噛み締めるように姉の名前を呼ぶ。
「ザッペも僕のことを、愛しているでしょう?」

ザッペは頷いたかもしれないし、頷かなかったかもしれない。ズッペには、どちらでもよかった。

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