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エスタールの美しさ

以下の文は、どちらもスペイン語で「アナはきれい」の意味だ。

1.Ana es guapa.
2.Ana está guapa.

1番目は、アナの性質はこんなの、と説明するときの表現。「アナは(いつも)きれい。美人」って感じ。動詞「ser」を使う(es は、serの三人称単数現在形)。

2番目は、もっと「いつもと比べて今の」様子に軸足が置かれている。例えばパーティでおめかししたアナをみかけた人が、「(今日の)アナはきれい」と言うとき、動詞「estar」を使う(estáは、estarの三人称単数現在形)。

私は顔面至上主義者なので、タイプの条件の一番に挙げるのは、「顔がいいこと」。
スポーツの試合をTVで見るとき、まず気にするのは選手の顔で、就職活動は、顔のいい人事担当者を眺めることを楽しみに乗り越えた。

これまで、スペイン語で言えば「ser」の美しさが、私にとっての美しさ、だった。


それが、最近ちょっと考え方が変わってきた。

もちろん、顔の造りが抜群に整った人を見るのは、今だって楽しい。

でも、近頃の私がますますときめくのは、「相手の特別な表情」だ。
真顔がすこぶる美男美女じゃない人でも、例えば照れたときに目線をよこして、ふ、と唇をゆるませたり、酔っ払って目を細めたり、緊張で唇を噛んだり、その瞬間にだけあらわれる特別な表情を見かけると、うっかり心が弾んでしまう。

たぶん前よりも、興味の関心がケミストリーに移ってきたのだろう。

一緒にいる人、体調、天候、年齢など、奇跡の条件が揃って偶然にあらわれる表情は、まるで虹のように尊く、いとおしい。

私の発話なり体温なりが柔らかな表情の引き金になれたとき、私の胸中は、とろりとした幸いで満たされる。

そして、私はふと思う。
人は、見るのと同じくらい、見られているのだ、と。

素朴でも、表情で美しさを放てる人間であれたら。

私も誰かの胸に、多少の幸いを注いでみたい。

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