カレーうどんと白シャツと私

なんでもない普通の焼肉屋で隣に座っていた女性が「うわ最悪、白い服着てこなきゃよかった。」と落胆していた。僕はまあ確かにと思った。白に汚れは目立つ。色が白くなくても、新品のものは汚したくないし。

綺麗なものの汚れは目立つ。清純派アイドルの不倫報道。白シャツにはねたカレーうどんの汁。黒板に残された落書き。

でもある一定のラインまで劣化したものの汚れってあんまり気にならなくなってるんじゃないかと思う。汚れちゃった服は部屋着にするし、なんなら汚れてもいい服装で参加、の日なんかがあれば間違いなく一軍だろう。1度炎上したら、もはや振り切ってキャラ変してみたりする。

対人関係にも同じことが言えるのではないだろうか。新しく出会った人間には、取り繕いきれいな面だけを見せ合っている。何度かミスしたり、傷つけあったり、関係は変化していく。だからといって、汚していいやとなってはいけない。

人間は実に多面的だと思う。ルービックキューブなんか比じゃないくらいに色んな面を持っている。
だからこそ、お互いの変化や、意見のすれ違い、人が生きる上でついていく汚れを楽しむべきなんだろう。
人間のそういったものは汚れと形容すべきではない。日本人らしく「味」として考え、老後には良いヴィンテージになっていることを望む。

蔑み合うのではなく、高め合い、
劣化ではなく変化していけるヒトになりたいと、
私は思います。

でも服の染み抜きは大変なので、
なるべく気をつけたいものです。

あと、個人的に黒板の落書きは好きです。
できるのは、学生の特権だし、学級日誌で始まる絵しりとりとか、今考えたら成人して解禁されたものよりも、失ったものの方が多いと思います。その代わり思い出として昇華されて、先を見れてるんだと、信じなきゃなと思います。落書きしていた当時の僕のためにも。

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