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「ずるい」と言われて、胸のすく思いをした夜

久しぶりに、アニキとごはんを食べに行った。

アニキとは5年くらいの付き合いで、博識で勉強家の彼と話すと本当に知見が広がるし、淀んでいる思考がどんどん整理されていく。加えて博識な人にありがちな押し付けがましさや上から目線の自己顕示欲もなく、とてもフラットに会話と議論を楽しめる貴重な存在。さながら孔子と弟子みたい。

そんなアニキに最近昇格したこと、昇格とは裏腹な満たされない思い(というか不満)をとつとつと話し、

一通りきいてくれたあと、「やっぱりもったいないのかもね」とつぶやく。

あぁ、まただ。

ときに勇気づけるように、ときには説教じみたり、ときに哀れみの色合いを帯びて繰りだされるこの言葉。


「もったいない」「くすぶってる」「出し惜しみしてる」「持て余してる」

単語は違えど、同義語として幾度となく浴びせられるこの言葉。

でもわたしには不相応なんだ。その根拠のない言葉がプレッシャーとなり、わたしには重い。


すると、微笑みとともに彼はいった。

「言葉としては表現されないんだろうけど、そうやって言う人は、裏返すと『ズルい』って思いを心のどこかで思ってるんだと思う」



「きみはズルい」

「まいったな」という思いとともに、晴れやかな、カラっとした笑いがこぼれた。不思議とイヤな気がしなかった。

わたしは他人から妬まれるほどの存在なのか。

なぜ立ち向かわないのか、なぜ逃げるのか、といった否定的な響きが、自分の淀みとして蓄積していっていたのが、

「ずるい」という三文字が軽やかな音をたてて響き、からからと崩れていく。自分の力量を素直に受け入れ、かすかな自信を手にした瞬間だった。

と同時に、いままで重荷でしかなかったわたしへの期待を素直に受け入れ、質量を伴った力に変わり、初めてありがたいと思えた。

じゃあ、この1年でなにをしよう?

いまのフィールドで試せてないことがたくさんあるし、4月から変わった上司のやりたい方向性と一致してそうだ。もっと勉強もしたい。

みなぎる。力が。

それしても、アニキは軍師みたいだなぁ。
どうやったらアニキみたいに、理路整然と、でもその人にとって刺さるような言葉を繰り出せるんだろう。

アニキと別れ、帰路につく足取りは軽かった。




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