言葉のやりとりについてクリーンアーキテクチャライクな構造をベースに考える

前提:言葉はGenericなinterfaceであり、会話は返ってくる型が概ね同じことを期待して会話される

ex:
public T TalkAboutIndividuality() ... 個性について話す

というメソッドを片方の人が、もう片方の人にCallした時
メソッドを受け取った人はUseCaseを通して、UserData(個人的な経験)やRepository(比較的共有されている知識)
にアクセスしてTを返す。

人は厳密に型が同じでなくても、クラス内部にメソッドを投げた人が期待する要素が入っていれば会話が成立する
->これがないことで「会話の齟齬」として現象が発現される(「私が言いたかったことと違う」「私はこういうことを言いたかった」etc)
->ブレストなど、違いを前提にした会話の場合はまた違う反応を示すことになる

仮説的前提:質問者、返答者のクラス型は厳密に一致しない

経験や知識、環境など違う状態で構築された記憶群で会話がされているのでクラスは厳密一致しない

応用的発想:何かを教える、という場合はこの「教育対象で会話を成立させる」という意味として考えることができる

知識をまだ持っていない人に、「共有したい知識の質問をして返答できる」状態の構築が教育(知識の共有)の段階的ゴールとなる(宣言的知識の獲得)
経験的知識の獲得の場合は、クラス型が経験によって発生する内容が含まれることが、ゴールとなると示唆できる

厳密な定義は可能?

直感的には、現実的に不可能だと考える。
環境が毎秒変わるような現実空間で固定的な定義を含めることは難しい
抽象的な定義は耐えることができるが、これは「抽象的概念の文言を認知し、UserData, Repositoryにアクセスして意味を咀嚼できる」ことを前提としている
->知識のある人にしか共有できない

余談

型が比較的硬いC#で例えるよりJavaScriptとかRubyの型無い方がそれっぽいかも?

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