生きるということを選ぶ毎日・・・

突然ですが皆さん生きていますか。

たぶん、というか確実に生きているから今こうして私のnoteを読んでくださっているんだと思います。。

私も生きるということに毎日意味を感じ始めたのは川島如恵留のファンになってから。

彼の口癖として「生きてるだけで偉いんだよ」「生きててくれてありがとう」という言葉たち最初は何言ってるんだろうと思ってました。生きているということがどこか当たり前と勘違いをしていたのかもしれません。

ではなぜ急に生きるということについて書こうと思ったのか理由を書こうと思う。

私はここ最近「生きる」とは何なのか考えるタイミングが多く、時に恐怖に変わるときがあるからです。

川島如恵留君やトラジャのみんながいつまでアイドル活動をしてくれるのだろうか。いつまでトラジャがトラジャとして生きていてくれるのだろうか。

2024年3月に22歳になる私自身もいつまで生きていけるのだろうとふと思うことがある。
この奇跡に21歳の私は気づかされたのだ。

「生きててね、それだけでいいから」と彼の口からよく聞きます。そんな彼はよく勉強熱心で知らない間にすごい資格を取ってきます。(近々では、国内旅行取扱士)を取得しております。

私たちにはそんな当たり前を当たり前に過ごしてるだけで褒めているのに自分自身にはとことん厳しい彼だからこそこれからも支えて生きていきたいと思うのだろう。

少し話は脱線しましたが、生きるということに対して恐怖を感じるタイミングは人それぞれ違うタイミングで訪れる

貯金がないから生きるのが怖いと思うのか、健康に生きていきたいと深く考えるから怖いのかどれなのだろう。
私は後者にあるのです。

私は、ここ最近色々体と心が限界なのかやりたいとできるの差に悩んでいます。

取りたい資格もやりたいこともトラジャをこれからどうやって守っていこうかの答えもまだ出ていない現状で、トラジャに関してはあと何回逢えるのだろうかとか、本当にやりたいことをやれる世界線をちゃんとトラジャ担として作っていけるのだろうかと考える毎日です。

でもこの恐怖と戦いながら歩んでいく。。。それが今できる生き方なのかもしれない、、、、

将来の恐怖 いや、明日があるかどうかの恐怖その両方と明日も戦っていきたい。。

しーより

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