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回帰する核家族の未来 3.2 家族形態と人口

より続く)

核家族と相互扶助の基盤の不在

当時のイングランド中央部やパリ盆地の農民は、幸福な家族として何世代かは何の変哲もない決まり切った生活を送ることができただろう。だが、都市化が進み、こうした特殊条件がなくなった状態で自由や独立といったイデオロギーだけが家族形態とともに残ったとき、絶対核家族や平等主義家族は厳しい状態に陥ったに違いないからだ。
しかも、都市化したパリ盆地やイングランド中央部には、貨幣経済が浸透した地方の農村から完全なプロレタリアが現金収入を求めて移住してくる。こうした完全なプロレタリアがとる家族形態は、主に親族ネットワークを伴わない核家族である。困ったことに、こうした家族形態にはいずれも生活を維持していくのに必要となる相互扶助の基盤がないのだ。

(前章より)

それゆえ、トッドは、17世紀のイギリスの救貧法は絶対核家族に必要とされた制度だ、と強調する。その観点で言えば、18世紀から19世紀の産業革命期とその直後にイギリスに現れた、大企業による企業城下町の形成、オーウェンによるユートピア構想、ロッヂデールの生活協同組合運動、20世紀の福祉国家による保険保障制度などもその流れにあるものだと言えるだろう。絶対核家族や平等主義核家族には、こうした制度的努力が不可欠なのだ。

それでは次に、「近接居住による核家族」や「一時的同居を伴う核家族」を見てみよう。これは、もしも仮にこれらの家族形態に上記のような制度がなかったならば、人口は維持し得るだろうか、という疑問である。

これに答えるのは難しく感じるかも知れないが、『家族システムの起源』にはかなり有力な仮説が潜んでいる。それは東南アジアの人口動態と家族形態に関する検討から導かれるものだ。

東南アジアの人口動態と家族形態

東南アジアは、中国に始まる直系化の影響から最も遠いユーラシアの辺境にあって、理念モデルとして完全な直系家族はほとんど存在しない。かといって、絶対核家族や平等主義家族はあるわけもなく、共同体家族も北ヴェトナムなど一部地域を残してほとんど存在しない。つまり、東南アジアは、歴史の開闢以来今日まで、中国の直系化の影響を受けつつも、非定型の、ときには未分化でアルカイックな家族形態を保持している地域なのだ。その家族形態が主に核家族であることは言うまでもない。しかもこの地域には原始的な狩猟採集や移動農業に従事する民族が近年まで残存していた。それゆえ、東南アジアでは近年まで強力な近代国家は出現せず、上記のような制度は極めて乏しかったのだ。

こうした東南アジアの人口動態について、トッドは次のように報告している。19世紀まで東南アジアの人口は僅かだった。1800年頃、中国はおよそ3億3000万人、日本は3000万人の人口を数えたが、東南アジアは全体で2800万人に過ぎなかった。農業の導入は中国や日本では人口の増加をもたらしたが、東南アジアではそうではなかったのだ。粗放農業、とくに焼き畑農業は人口密度の低さに結びつくものだが、東南アジアの丘陵地帯ではこれが長く生き延びた。このことは強力な国家の建設が阻まれたことを意味する。国家は繰り返し農民を奴隷として捕獲したが、彼らは隙を見せると丘陵地帯に逃げ込んだからである。

しかし、ひとたび人口は増加に転ずると、爆発的な速度で進行する。2005年、中国の人口は13億1200万人、日本は1億3000万人と約4倍の増加を示すが、東南アジアではミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア、ヴェトナム、インドネシア、ブルネイ、シンガポール、フィリピンだけで5億5700万人、すなわち20倍に達する、とトッドは報告する。ここから分かるのは、非定型でときには未分化のアルカイックな家族形態は、潜在的に人口を爆発させる能力を秘めている、ということだ。だが、そのトリガーは「何らかの要因」がなければ引かれないのである。

次の点も明らかだ。それは、強力な国家も作らず、それゆえイデオロギーを生み出さない東南アジアの庶民の生活は、もちろん国家による制度的努力の影響からもほぼ無縁だが、それでも生き延びてきたという事実である。19世紀まで、局所的にはともかく、人口の増減は一定の幅に収まっていたのだ。これはほとんど生態的な生活様式だと言っていいだろう。

こうした東南アジアの人口動態と家族形態は、現代に世界中で進む家族形態や人口動態の変化とも整合的である。近現代において進んできた核家族化は、国家をはじめとした組織の様々な制度的努力にもかかわらず、絶対核家族とも平等主義核家族とも分類され得ない核家族として拡大している。

アルカイックな、非定型で多様な核家族化

トッドは、現代においてはイングランド中心部でさえ絶対核家族の崩壊傾向が止まらない、と報告する。もちろん、崩壊して直系家族や共同体家族に移行しているわけではない。アルカイックな、非定型で多様な核家族化が進んでいるのだ。国家がどれほど制度を充実させようと努力しても、この流れは止まらないのが実情なのである。資本主義はこうした制度的努力では追いつかない圧力を加えていると言えるのだろう。

結局、庶民が生き抜くためには、多様で柔軟な家族形態が不可欠なのだ。トッドも、たとえば同性愛者の結婚を認める国や地域の方が出生率が高いと言って、家族形態の理念モデルやそのイデオロギーの限界を指摘している。もちろんこうした家族形態そのものの善悪を問題にしたいわけではない。こうした家族形態が作り出すイデオロギーが硬直化をもたらす点が問題なのだ。とくに直系家族のイデオロギーには問題が多い。日本はこの硬直的なイデオロギーのために少子化が止まらず、衰退しかねない、とトッドは警告する。

現代でも日本では核家族化が進んでいるが、残存したこのイデオロギーによってアルカイックな核家族にあったはずの多様な柔軟性が失われているためだ。これは、もしも17世紀のイングランドで自由や独立などといったイデオロギーだけが残存してこれに固執し、救貧法など相互扶助のための制度がなかったとするなら、絶対核家族の命運はどうだったかという疑念と類似した問題である。

(続く)
筆・田辺龍二郎


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