みずしーの猫猫的宇宙論を聞いて衝撃を受けた話

 VTuberという言葉が生まれてから2年以上が経ち、自分もそれだけの時間Vのオタクとして生きてきました。

 今となれば歌が上手いVTuberは数え切れないほど居ますが、最初に富士葵さんが歌うまとして唯一の地位を得ていた。その後にHIMEHINA、かしこまりさん、YuNiさんのデビュー、そして朝ノ瑠璃さんが100曲生で歌い切るというチャレンジがあったり……。ニコ動全盛期にMADとか見てたけれど、歌ってみたを聞いたことなかった自分はなんとなく敬遠してたんですが、上記の流れがあってこれに乗らないとVの波にも乗り切れないと感じ、歌うまを漁ってた時に出会ったのが”アイドル”の水科葵さん。

 先日、その通称みずしーがナユタン星人さんが手掛けた『猫猫的宇宙論』のカバーがこれまでVオタク人生やってきて、トップクラスに感動した事例だったので、この感情はどうして湧き上がったか纏めるために認めることにしました。

 みずしーを知ったのは上記に挙げたVを漁ってた頃で、他にもライバー集団だったにじさんじの樋口楓さんが歌動画を上げていたり、他のVにMIXを依頼されるくらいの腕前を持つ周防パトラさん、さらに同じ箱でデビューした蒼月エリさんなど色んな歌うまを聞いてきた中で好きになったので、歌の上手さを疑うわけでもないし、最近は表現の幅を広げるために男性曲だったりと色んな曲に挑戦したり、「Eyecatch! Too much!」や「ぼなぺてぃーと♡S」のような可愛い曲も歌っているので真新しさに感動したわけでもない……。じゃあなぜこんなにも心を揺さぶられたのか、自分なりの答えをみつけようと少し考えてみた。


そもそも自分が好きな歌とは

 始めに、私は音楽に関しては素人です。カラオケは好きだけどキーとかわからないし、絶対音感もなければ相対音感すらない。そんな一般人から見た(聴いた)所感だということを先に断っておきます。

 前述したとおり、楽曲のカバーを好んで聴いてこなかったのでそれに対する言語化が出来ていなかったことが原因なのですが、それでもみずしー以外の歌ってみた動画もそこそこ見てたので、そこから感情の掘り下げをしてみました。

 2018年にVで歌ってみたの動画がどんどん出始めた頃、課題曲と言われるくらい歌われたバルーンPさんの『シャルル』。当時に10数人のカバーを聴いていたのですか、やはりその中でも歌い方や声も千差万別。中でもかなり個性的なのが、福山雅治さんに声が激似と言われるふくやマスターさんの『シャルル』。

 このように自身のキャラクター(敢えてこう言います)を全面に押し出す歌い方などとてもわかりやすい。自分の得意な部分、個性を全面に出して歌そのものを自分の色に染めてしまう。これも一つのカバーの形。

 そしてもう一つが、その曲に込められた思いを汲み取り、感情を表し曲に寄り添う歌唱。喩えるなら、前者は自分で好きなように二次創作を作るのと、原作の絵柄やシナリオに寄せて二次創作を作るような違いでしょうか(もちろんどちらが正しいのか、高尚なのかという話ではなく、さらに100%どちらかに寄ってるということでもない。作品を尊重しつつ自分の色を強く出す事もできますし、リスペクトを基本に自身の欲望をひとつまみ紛れ込ませることもできる。自分を強く持ってそれを表現にまで昇華させることも素晴らしいですし、作品に対する敬意も大事。わかりやすい区分として例に挙げました)

 その違いに気がついた結果、自分は後者の表現が強い歌い方が好きなのだとわかりました。『シャルル』のカバーで言えば、YuNiちゃんの歌い方がそれに近く、一番好きなカバーでした。

 (余談ですが、最初は自分というものを持たず、ファンからは「透明感のがある歌声」と評された結果生まれた初めてのオリジナル楽曲が『透明声彩』だということを知ったというのも大きかったかも知れません。)

みずしーのカバーを振り返る

 みずしーを知ったのがデビュー当初の7月中旬~末だったと記憶していて、一番最初の自己紹介で歌が好きだと公言してるし、動画も上げている。

 いやうめぇ。最初の動画でこれである。ピアノが苦手と言ってるけど、これだけ弾けて歌えるってだけで実力の片鱗が窺える。ずぶの素人から見ればプロとの違いがわからない。普段の喋り声とのギャップ、弾き語り(配信)という物珍しさも相まって、強く興味を引かれたのを覚えている。その後、GEMS COMPANYというアイドルに所属することが発表されたりとあったが、今回の件に関係ないので割愛。活動内容にコラボ等が増えたが、弾き語りをメインに据えていることは変わらず、様々な楽曲をカバーしてきた。

 最初の動画のような往年の名曲や懐メロ、流行り曲、友人にオススメされた曲や自身が音楽を始める切っ掛けになったアーティスト、女性アーティストや男性アーティスト、さらにアイドルとして提供された楽曲や作詞と歌唱を任せられた曲など、1年半の活動の中で実に100曲以上になる。

 こういうとマイナスな印象を受けるかも知れないが、何度も聴いてるうちにやはり慣れてくるのだ。色んな曲を歌ってバリエーションは増えていくが、根本にある癖や声色が急に変わるわけではない。もちろん、みずしーがアーティストを目指して努力していたり、そのためにこれまで歌ったことのない曲に挑戦しているのを知っています。だから次はどういう曲に挑戦するんだろうかとか、この曲はどう歌うんだろうかというワクワクや、楽曲にどういう思いを込めているんだろうかのような楽しさがあった。

 ここでようやく本題の『猫猫的宇宙論』に触れよう。

 今まで何度もみずしーのカバー曲を聴いてきたのに、新しいアーティストに出会ったかのような、全く違う新鮮な感覚で聴けて、今までと違う何かがあったような気がした。

 最初に書いたとおり、この曲が今まで無かった趣向で感動したわけではない。これまでボカロカバーもしていたし、MV風の歌ってみた動画にも手を付けている。ではなぜか。それは前項で見つけた”リスペクト”が関係していたことが見えてきた。

 これまでみずしーがリスペクトを怠ってカバーしていたわけではない。むしろ積極的に、曲の中にある様々な感情を理解することに懸命だったように映っていた(だからこそ、みずしーを好きになれたのだ)。しかしそれの弊害か、曲を”ちゃんと歌おう”としているように思えたのだ。それは前述した可愛い系の曲のカバーでも現れていたように思える。特に例に挙げた曲は声優が歌っている曲で、声だけで可愛く演技することのプロだったっていうこともあるだろう。

 もちろん演技ができるのだから、歌だけで可愛い表現というのも可能ではある。けれど、それまでのカバーは可愛らしさよりも先に、上手さが前面に出ているよう聴こえたのだ。可愛さの声よりも、歌としての声が出ていたと表現するのだろうか。元々声にギャップがあったし、自分では歌声との差を自覚してないということも言っていたりした。

 けれど『猫猫的宇宙論』を最初に聞いた時から最後まで「可愛い」と思ったし、今聞いてもそう思える。もちろん可愛いだけでなく、上手さもしっかりと紛れ込んでる。そう紛れ込んでるのだ。前項のリスペクトの部分で触れた”原作の絵柄やシナリオに寄せて二次創作を作る”ということは”個”を消すということの同義である。みずしーがこれまで培ってきた上手さだけでなく、別部分の可愛さをこれまでで一番引き出せているからこそ、今までにない衝撃を受けたのだ。曲に対し真摯に向き合っているからこそ出ていた”水科葵”の部分をコントロールし、自称する”キャピ科葵”という新たな概念を生み出し、上手さと可愛さが渾然一体となり曲に溶け込む術を得て表現の幅が大きく広がったと、この曲を聞いて実感した。だからこんなにも心が震えたのだろう。


 とまぁ音楽素人が長々と語りましたが、知識ある人が読んだら「何言ってんねんこいつ」と思われるかもしれないけれど、何より一番言いたいのはみずしーの歌が大好きだということ。
 カバーだけでなく、アイドルとしてライブでの歌唱力の成長や、年末に行われたアコースティックライブでの表現力の凄さに圧巻されたりと、ファンで居続けて良かったなと思うことばかりです。

 なのでもし興味持った人はチャンネル覗いてみて自分の好きな曲とかあったら聴いてみてください。流行りだけでなく選曲は多岐にわたるので、知ってる曲が1曲はあると思います。

 所属してるGEMS COMPANYでもみずしーがいるユニットで新曲も最近出たらしいですよ。


 それでは。

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