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トランスローカル論の実践:多彩なチームでの共同フィールドワーク前編

トランスローカルの実践編の続き。2018年9月に秋田県南秋田郡五城目町に、7カ国の研究者と大学院生が集まり、ローカル・アントレプレナーシップについての共同フィールドワークを実施した。

ローカル・アントレプレナーシップがなぜ大事なテーマなのかについては、トランスローカル論の導入編に書いた。日本は今、人口が減少しながら高齢化していくという新しい社会フェーズ(縮小高齢社会)にあって、このなかでの「豊かさ」の問い直しが必要になっている。これはいったいどうやってやるのか。私なりの答えは、新しい価値観が生まれてきているフィールドに深く潜って、それがどのようなものなのかを理解するための記述を行うことだと考えている。

日々の暮らしのなかにコトを丁寧に置く
都市ではなく地方を舞台に、社会の将来像を予測して新しい動きを起こしたり、長年温めてきた思いを具現化している人たちがいる。この人たちの企ては、2000年代前半以降の地域活性化やまちづくり、そして2014年以降の地方創生というような枠のなかに収められてしまうことが多く、特に2011年の東日本大震災以降は首都圏から地方に移住する人たちが量的にも増え、価値観の変化があったとされる。しかし、実際に五城目町で話を聞いていると、この枠に強い違和感を覚える。確かに彼らの多くが自分が生活しているまちのことを気にはしているが、それよりも日々の自分の快適な時間の過ごし方、家族や友人との暮らし方のなかにコトを丁寧に位置づけている。まちづくりと言い切るほどに、彼らの中にまちの将来を背負って立つような気負いはなく、自然体のままの日々の暮らしの中に自分がワクワクできることを仕掛けているといった雰囲気だ。

「想い→行動」の心持ちとしてのローカル・アントレプレナーシップ
そのような「特定地域で自分の関心に従ってコトを起こす人たちの心持ち(マインドセット)」を指して、ローカル・アントレプレナーシップと呼ぶことにした。会社を作ってビジネスを回していくことだけを「起業(アントレプレナーシップ)」と呼ぶとすれば、それは随分と狭義で実際に起きていることをつかまえられていない。例えば、「地域の森で子どもたちが自由に遊べるような集まりがあったらいいのに」と考え、子育てサークルをつくった大人たち。このサークルが法人化され、見守りサービスに参加料が支払われ、貨幣経済的にお金が回れば起業、そうじゃなければ起業じゃない。この定義では起きていることの本質を説明できていない。起きたことの本当に大事なことは、ある人が「そんな集まりがあったらいいのに」という想いを持った段階から、実際に取り組みを始めたところまでのプロセスではないだろうか。「想い→行動」に動く心持ちこそが、コトを企てるマインド=アントレプレナーシップなはずだ。余談だが、まちづくりの枠組みが頭にあるとここで思わずこのような個人がたくさん増えればまちが活性化する、と考えてしまうが、これは副次的なものにすぎず、個人の「想い→行動」を集合的に解説することにあまり意味はない。

ローカル・アントレプレナーシップが発揮される
共同フィールドワークでは、はじめに五城目町の朝市どおりで"いちカフェ"のオーナー・坂谷さんにお話を聞いた。

いちカフェは五城目町で500年以上つづく市である五城目朝市が立つとおりの入り口にある。平日と市日のランチの他、二階のスペースはイベント用にも貸し出されていて、英会話クラスや打ち合わせなどに使われている。我々のインタビューもこの二階で行った。

いちカフェは人々が集える場をつくるためにつくられた。人が集まるためにカフェにして、集まるようにランチやコーヒーを提供している。それはこの町の出身の坂谷さんが、ここ数年で五城目に集まってきた人たちや元々の友人たちと、自分たちが生活している空間をもっと面白いものにできそう、という話ができることが増えたから。そうした"仲間"と思える人たちが集って盛り上がれる場を自分がつくれるんじゃないか、そんな想いが形になったのがこのいちカフェ。元々は閉店したお寿司屋さんの建物を"仲間"の力を借りてリノベーションした。お店に置くものひとつひとつについても"仲間"や旦那さんに相談しながら選びながら場をつくっている。

いちカフェは子育て中の坂谷さんが無理のない時間でオープンしている。そして私たちのように町外からの訪問者があったときや、参加したいイベントなどがあるときには、お店が閉まっている。坂谷さんの生活に合わせて呼吸するようにオープンしたりクローズしたりしているのがいちカッフェ。そのありようがとても素敵だ。

続いて、空家を改修したアートギャラリー、"ものかたり"の小熊さんにもインタビューをした。小熊さんも五城目の出身。大学進学をきっかけに県外へ。そのあと美術大学の修士課程を終えたあとに民間企業でアートスペースの運営に長く携わる。4年ほどまえに五城目町に戻り、空家となっていた内蔵のある家屋を改修しはじめ、2016年にものかたりをオープンさせる。

ものかたりの改修には地域の職人さんとのコミュニケーションが欠かせなかった。まちの木工所や鉄工所、大工さんとつないでくれたのは地域に根をおろして活動する地域おこし協力隊のメンバーのひとりだった。彼の仲介者としての役割があったからこそ、小熊さんの描いたアートギャラリーがものかたりとして具現化された。想いから形になるまでのプロセスは個人のものだけではなく、そこに関わる周りの人の役割の重要性が見えてきた。

小熊さんの話で最も印象的だったのは、「何かよくわからないものを受け入れるスペースが大事」という言葉。お話を聞いての私なりの解釈は、アートには、例えば会議のような言葉で進められるコミュニケーションとは異なる合理性がある。合理性の軸が異なれば、相手を理解するまでに時間がかかる。そのように何者かよくわからない相手やものに対して、判断を保留するスペースが生活圏の中にあることで、日々の暮らしが思いもよらない次の展開にむかう余白を持つことができる。小熊さんのものかたりはきっとこの余白を生む空間なのだと思った。

ものかたり・小熊さんにインタビューをした場所は、五城目町の酒蔵である福禄寿さんが展開している"下タ町醸し室HiKOBE"。福禄寿さんの日本酒や水出しコーヒー、酒粕をつかったお菓子がいただけるカフェで、wifi環境も整っている。醸し空間でコトを企てる者が集う場所。ここでkatakataとノートパソコンを叩く大人たちを見て、まちの子どもたちが育つ。自分もそんなkatakata組に入りたいなと思わせるような素敵空間だった。

続いては、町の中心から少し離れて、続いては"農業法人AGRI"さんを訪問。ちょうど稲刈り前の季節で、うっすら黄金色に変わりだした水田を背景に代表のよざえもんさんから水田と森の一体管理について聞いた。

よざえもんさんはまちの長のひとり。長く農林業に携わっていて、地域の水質の管理のために林業に力をいれている。また農業は冬の間の収入がないので、この時期を補うためにも林業で雇用をつくっていて、若者の就農林業の支援にも積極的に取り組んでいる。

よざえもんさんに田んぼへ案内してもらうと、行けども行けども目的地の田んぼに辿り着かない。なぜなら、歩きながら道の両脇にある山の中を指さして山菜や木の特性についての小話が尽きないからだ。道端にある山菜をポキっと折ってきて、その調理の仕方を話してくれる。そのまま食べられるものはみんなでその場で試してみる。山椒の実を手のひらで叩いて潰し、その匂いをクンクンする。この人の自然に対する知識は、単に知っているのではなくてそこで暮らしている時間と一緒に存在している。そういう知識を私は持っていない。よざえもんさんがまちの農林業について話すとき、山のなかの木々や山菜、動物について話しているとき、聞いている私たちの世代への世代間継承が起きる。ここに貨幣経済的な価値はない、けれど文化資本的価値が膨大にある。このことをどう考えたらいいのだろう。よざえもんさんは、子どもたちにもっと山のことや農林業のことを伝えたいと話していた。

トランスローカルな学びが起きたとき
フィールドワークは4日間続き、合計で7名ほどにインタビューすることができた。個別の成果としては、それぞれが実践しているプロジェクトを立ち上げる際に重要となったソーシャル・ネットワークを描いた。その内容についてはまた別のnoteに書くとして、トランスローカルな学びが期間中にどう起きたのか。このフィールドワークの期間中は、毎晩チームで振り返りの時間を設け、その日のインタビューからわかったことと、それについての考えを共有した。この時間がチームのメンバーが個々に持っているローカルを参照点としながら色々な視点を提案し、同じインタビューについても多様な見方を提案するとき。チームとして最も深い学びが起きたときだった。

今回のチームには、南アフリカとナイジェリアのアフリカ側からの参加者があった。彼らのローカルにおいて「ルーラル(地方・農村地域)」という言葉には、「人々は低収入で貧しく、道路や水道などの生活インフラが整っていない地域」という意味合いが含まれるという。一方で日本のルーラルは、アーバン(都市部)とほぼ同じ条件であり、単に人口密度が低く、自然資本に距離的に近い、というだけのように見えるという指摘があった。インターネット環境についても都市と変わらないため、場所に縛られないものであれば都市と同等がそれ以上の質と量の経済活動をつくりだすことができる。南アフリカの研究者は「自分の国のルーラルの20年後を見たような気がした」と話していた。

一方で、同じく彼らアフリカの研究者が共有してくれたのは、文化資本についての政策側からの意識が低いことに驚いた、ということ。南アフリカもナイジェリアも多民族国家。南アフリカの場合には11の公用語があり、白人が欧州から入ってくる前に居住していた部族の言葉を政策的に保護している。秋田にも濃淡の違いはあれど、地域的な言葉の違いや、食文化、農作業の仕方に多くの違いがある。こういう文化的差異について政策面からもっと自覚的でなければ、これらの文化はあっという間に消えていってしまうのではないか、という指摘を受けた。確かに、よざえもんさんから聞いた山の話だけではなく、坂谷さんや小熊さんの考えも次の世代に伝えなければ、一世代経ったところであっという間に消えてしまうだろう。アフリカの研究者のローカルな文脈にとっては、文化的な特徴は自分たちの部族を守るものであり、これが消えることはアイデンティティを失うことと同義だという。なるほど、文化的資本が豊富な場であれば、そういう議論の立て方も成り立つ。チームとして、新しい視点について気づき、トランスローカルな学びが起きた瞬間だった。

インタビューは日本語で行われ、英語への逐次通訳が入った。背景となる日本や秋田についての情報は、インタビューの合間や毎晩の振り返りの時間に補足し、チーム全体で同じ理解になるようにした。例えば農村社会学が専門のチームで同様のフィールドワークを行ったならば、このような背景についての補足説明は不要だろうし、議論もより専門的な農村計画や民俗学よりのものになっただろう。言ってみればより効率の高い議論になったはずだ。

トランスローカルな学びでのフィールドワークは対照的に多くの手間がかかる。専門家が集まっているわけではないので、個別のテーマについての議論も専門性の高いものとは言えないだろう。ただ、先述の効率の高い議論とは異なる深さがある。それは多様性軸の深さだ。例えば化学工学が専門で普段は南アフリカとザンビアでの鉱山資源開発を専門にしている研究者が今回のチームにはいた。彼女の視点が個人的には実はいちばん面白かった。なぜなら、いつも自分が地域を見る目と異なる目を彼女が持っていたからだ。こうして多様性軸が取り込まれることで、新しいフレームが持ち込まれて、新しいものの見方が生まれてくる。こんな多様性の高い議論を蓄積していくことで、振り幅の広い思考が展開できる手応えがあった。


トランスローカル論の実践:後編につづく。


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