見出し画像

美しき日本文化が作るヤバい現実

エルサレムは、ムカつく思いばかりする旅となったけど、行って良かったと思う。
自分のアイデンティティが何なのか、自分が信じるものは何なのか、はっきりした気がする。

(1)極東アジア人であることは変えられない


アジア人としての人種差別を受けるのは、彼ら( 当人に悪気がある・ないに関わらず差別的な言動をする人たち)がまともな教育を受け、人種差別を受けた時の胸糞悪さを知り、相手を重んじる事を学ばない限りなくならないだろうと思う。

多分、残念ながらそんな日は私が生きている間には来ないと思う。

他人のどうにも変えられない事をバカにする事でしか自分の自尊心を保てない「レベルの低い人間です」と言っているようなものだから、むしろ哀れな人たちと思ってあげる他にないなぁ、と思うしかない。

極東アジア人でなければ良かったのにと思うことは、人生で数え切れないほど何度もある。

けれど、何か他の人種になりたいのかと言われたら特別に望む人種がある訳ではない。

エルサレムに行った事で、自分は日本人だと言うことよりも、自分はクリスチャンであることが最も自分を強く形取っているのだとよく分かった。

画像1

(2)自分が信じるものを自分が信じるように貫いても良い


私はカトリックでもない。
プロテスタントでもない。
私はアングリカンだ。

誰に、何を、どう言われようとも、私はアングリカンであるということは曲げられない

アングリカン(英国国教会、聖公会とも呼ばれる)の発祥の経緯をバカにしてくるクリスチャンは多い。

イギリス王室のスキャンダルがある度「お国柄ねぇ」と皮肉られるのも、そのせいだ。

けれど、カトリックの伝統は重んじるが、信仰の自由を持ち、他人が大切にしているものを同じように大切に扱うよう、他を受け入れなさいという教えは、誰が何と言おうと私は変えることはない。

もし「それはアングリカンではない」と誰かが言うならば、私は私をクリスチャンとして育ててくれた司祭が教えてくれた事を信じている。

でも、その司祭は紛れもなくアングリカンに一生を捧げた人である事には変わりない。
それならば、どうして私をアングリカンではないと否定できるのか。

それでも尚、否定されるのならば「聖シンプリアン聖堂の信徒」
そう答える他にない。

エルサレムに行って、人が人を否定することと欺くことしか見なかったと言っても過言ではないなと思う。

少なくとも私の目にはそのようにしか映らなかった。

その反面、自分が信じるものを自分が信じるように貫いても良いのだ、ということも肌で感じてきた。

画像3

(3)相手を尊重する文化がいかに美しいか再認識

アングリカンの教えでもあり、日本の文化でもある「相手を尊重する」がいかに美しい文化であるかも再認識した。

日本は島国ゆえに、相手を尊重しなければ生きていけないから、相手を尊重する文化になった。

だから同じでない者を排除しようとし、耐え忍ぶ事が美とされ、自分の意思も目的も持たず社会に身を流される。

大陸は、相手を尊重していたら生きていけないから、自分を1番に考えなければならない文化になった。

だから自分勝手な行動になる事も多いが、自分の意思や目的を持ち自立して生きている。

(両者とも、必ずしも全員ではないけど総体的に。)

どちらが良いか悪いかは見方によって幾らでも変わる。

ただ「どちらが平和的に人々が生きているか」と言われたら、相手を互いに思いやりあって生きている方という意味で、日本の文化は美しいと思う。

画像2

(4)過剰な「相手を尊重」が「当たり前すぎる」ことは、冗談抜きで人を死に追い詰める


たぶん今日、日本人の誰しもが一度は経験し、日本が一番直面している社会問題ではないかと思う。

相手を尊重するゆえに自己中心的な人間がモンスター化したり、生産性のないルールやモラルを守るが為に、自分を死に追い込むほど耐え難い環境に身をおくことになる。

相手を尊重する反面、相手にも同じを求めるがために排他的であるので、同じでないものを排除しようとする。

先進国で日本が1番の自殺率なのは、この「相手を尊重」が生む相反する2点が複雑に絡んでいるからじゃないかと思う。

発達障害やグレーゾーンの人達の社会での生きにくさの課題も、この根強く日本文化として無意識下で根底に流れる「皆が同じであるべき国」だからこそ、より一層そういった人々は生きにくさを感じるのではないか?と個人的には思う。

私は、実際にこの現代日本の問題に直面した。
私が日本でこれ以上生きていけないと思ったのは、この2点が私にとって深刻すぎるからだ。

もっとも、私が日本の人口の1.1%のキリスト教徒で、
(アングリカンで統計すればもっと低い:カトリック約44万人に対しアングリカン4万人)
人口の5%の10代での海外経験を持ち、
0.7%の10年以上現役の女性起業家 (現在13年目)、
というマイノリティの中のマイノリティであるから、というのも大きく関係はしていると思う。

それでも尚「日本人であることを誇りに思う」と、はっきり口にできるのは、私の中に強い愛国心があるからという事は明確。

愛と憎しみは背中合わせというのは、こういうことなのだろうか。

最後までお読み頂きありがとうございます。
頂いたサポートは、より沢山の土地で感じた事を皆様にお届けする旅資金として使わせて頂きます。ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?