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『おいしいものには理由がある』(KADOKAWA)を全文公開[おわりに あとがき 参考文献]

『おいしいものには理由がある』という本の全文公開です。単行本に写真は入っていませんが、note用に入れています。末尾に入っている動画はダイヤモンド・オンライン掲載時のものです。(写真/志賀元清 動画/志賀元清 樋口直哉)

例えば地方を車で走った時に広がっている田んぼや畑を見て「いいなぁ」と思うでしょう。《農業は大地を彫る版画》という言葉がありますが、その景色は農業=人の営みがつくったものです。自分たちは食べるという行為を通して、日本の風景を作っている。国内産の食材を選択することにはそんな意味もあるのです。消費者である僕らと、生産者である彼らをつなぐストーリーを書きたい、と思ったのが、この本を書いた動機でした。

本文の内容はこれで最後です。終わりに、で震災のエピソードをどの程度、入れるか、は悩みました。でも、人は忘れる生き物ですし、本は残るものです。この本を書いた時点での個人的な見解を入れておくのも悪くないのでは、と思いました。風評被害の影響をもろに受けたのは『真面目に食に取り組んできた人たち』という五月女さんの指摘は心に刺さりました。僕は今も2011年を境界線に食の世界の空気が変わった気がしています。

終わりに

二〇一一年の三月の終わりに訪れた農園の景色は、いつもと変わりなかった。でも、僕の目にどこか荒涼として映ったのは、その二週間前に東日本大震災を経験したからだ。

 震災とそれにともなう福島第一原子力発電所事故が人々の心に影を落としていた。食べ物は土から生まれる。その土が汚染されたことは日本の食卓に大きな影響を及ぼした。
 栃木県、那珂川で味噌を製造しているはるこまやの五月女から風評被害の話を聞いた。
「風評被害の怖さは実態がないということです。自然食品、無添加志向系の消費者は非常に敏感で、原発事故後、茨城、栃木、福島一帯には強い拒否反応があるようです。小さい お子さんがいて心配するのも仕方がないと思うのですが、放射能検査で ND(検出せず) と出ても、関係なく受け入れてもらえない。この栃木県内でも大きなダメージを受けたのはオーガニック、有機農業、無添加の食べ物を製造してきた『真面目に食にとり組んできた』生産者でした」
  もちろん味噌は屋内で醸造するものなので、事故とは直接関係がない。しかし、五月女の店の売り上げは三分の一まで落ち込んだ。電話口などで強い反応をぶつけられることもあり、絶望的な気分になったという。
「消費行為として食べ物は扱われ、人と人との密度が薄くなっていた。顔の見える関係、などと都合のいい言葉はありますが、生産者から消費者の顔は見えてなかった」

 震災の直後、魚住も疲れ切っているように見えた。いつものようにちょっとした間の置き方からも相手への配慮が感じられる口調だが、その表情にはある種の憔悴が影のように焼き付いていた。
「三月十一日の前日、日本で土壌学会が開かれることになって、海外から大勢のお客さんが視察に見えていました」
 魚住が日本の土壌の生物多様性について説明をしている時には、やがて襲ってくることになる災害など想像もできなかった。
 地震の被害はそれほどでもなかったが、テレビ画面で原発の建屋が水素爆発する様子を見たとき、終わった、と魚住は思った。これまでやってきたことがすべて終わった、と。
 それからの数日間は気分が晴れなかった。不気味な余震が続く中、有機農業を止めざるを得ないのではないか、と思い詰めた。有機農業に使う踏み込み温床のために山の落ち葉を集めることは降り注いだ放射性物質を集めるのと同じだった。
「私たちがサポーターと呼んでいる消費者も二、三割ほど減りました。やめられた方の多くは、小さなお子さんを抱える若いお母さん方です。当時はまだ検査体制も十分ではありませんでしたから、余計に不安も大きかったのだと思います」
 魚住はそう言って、僕の目の前に数日前の新聞を出した。そこには福島県の有機農家が自殺したという記事が掲載されていた。面識はないけれど同じ農業に従事している仲間です、と魚住は続けた。やるせない気持ちになりますよ、と。
 その日はインタビューもそこそこにニンジンを収穫し、僕らは普段通りに夕食をご馳走になった。その日、収穫されたニンジンは被災地支援で東北に運ばれるという話だった。
 魚住は悩みながらも、被災地支援のために何度も東北に足を運んだ。どんなことが起きたとしても人間が生きていくためには食べ物が必要だった。支援をしながら魚住はなんだか自分が逆に勇気づけられている気がしたという。

 数ヵ月後、僕が再び農園を訪れると魚住は見違えるように生気を取りもどしていた。聞けば常総生活協同組合と連携して放射性物質の測定をはじめ、生育状態に応じてあらゆる作物を調べ、山から集めた落ち葉のセシウムも調べたという。
 「困ったのは表土をはがすという除染方法をとるべきか、すき込んでいくか、ということでした。広い畑の土を均一にはいでいくことは実際には不可能です。結局、表土をはがし てもやり場がないのではどうしようもないので、すき込む方法をとりました」

 魚住には仮説があった。腐葉土にはフミン酸やフルボ酸といったカルボキシル基やフェノール性水酸基を持つ物質が含まれており、それらには土壌中に含まれる農薬や重金属を 吸着する力があることがわかっている。それが放射性セシウムの吸着にも応用できるのではないか、と考えたのだ。
 震災直後に高い濃度が検出された他の農地のデータも取りよせ、 野菜だけではなく、山の落ち葉のセシウム量も調べた。 十月の時点で集めた落ち葉には地表面で一キログラムあたり二千から三千ベクレルのセ シウムが検出されたが、十一月には一キログラムあたり二百〜三百ベクレルと十分の一まで値が下がっていた。このことから土壌が吸収するセシウムの量はそれほど多くないとわかった。事実、農園の野菜はほとんどが「ND」(不検出)だった。
「震災直後、ホウレン草から高いセシウム値が検出され騒ぎになりました。原因は、収穫 期の葉の表面に降下してきた放射性物質が付着したからです。いずれにせよ土壌を介して の野菜のセシウムの移行はほとんどない。有機質の土にはそもそもカリウムが多く含まれているからです。河川への流出についても心配していたほどではなかった。これは土中に含まれている腐植酸がセシウムイオンと結合しているか、土壌の団粒構造がそれを吸着しているのかもしれません。そこのところは今後、引き続き考え、調べていく必要があります」
 一グラムの土には十億以上の細菌が生息していると言われている。一握りの土にはどれくらいの生き物が棲んでいるのか。土は物理的にも科学的にも複雑で、まだすべてのメカニズムが説き明かされたわけではない。事故から五年以上が経過した現在、生産者の努力もあり、イノシシや野生きのこを除き日本の食品から放射性セシウムは検出されていない。
 人間の営みは大地を傷つけた。しかし、土は僕らが考えるよりもずっと強く、尊い。魚住農園では今も様々な種類の野菜が育てられ、段ボールに詰められてサポーターのところに送られている。

 僕らの旅は農家訪問からはじまった。一年目は一つの畑に通って、農作物の生育サイクルを学んだ。二年目からは関東を中心に十数軒の有機農家を訪ねた。一つ一つの畑に個性があり、品種や栽培方法の違いによって味が異なることを知った。そこでわかったのは作物の味に生産者の性格が表れることだ。
  茨城県八郷の魚住農園の野菜は力強いが、千葉県佐倉市の林農園の野菜は澄んだ味がした。
 林農園の林重孝は江戸時代の初期に名主をしていたという篤農家の生まれ、訪れた時は多くの研修生が作業をしていた。見学した畑には作物が整然と植えられ、きちんと管理されていることがわかった。
 きれいな味の野菜は、日本料理に向いているような印象だ。林農園では山芋とサツマイモを栽培していたが、林の代になって有機農業に切り替えた。
「昔の話ですけど、山芋は漂白するわけです。サツマイモはリン酸液に一瞬だけ浸けるんです。そうすると飴色の良い色になる。それから出荷したんです。少しでも高く売るということだと思いますが、それは一生続ける価値のある仕事なのかな、と思ってしまって」
 悩んだ林は埼玉県小川町の有機農家、金子美登に弟子入りし、住み込みで研修に入り、厳しい修業時代を過ごす。
 一年後実家に戻り農業をはじめた。
「最初は全然、採れなかった。農家って見て分かるとおり塀がないじゃないですか。まわりから見えるわけですよね。それまではうちの親はバスで視察が来るような優秀な農家だったんですが、親も近所の人からは『家も財産もなくなるぞ』と言われたみたいです。それが一番、辛い時期でしたね」
 四、五年経った頃から収穫量も増えてきた。
「害虫が増えると、天敵も増えるんですよ。餌がいっぱいあるから。だからバランスがとれてくるんですよね」
 訪れた農家で収穫した野菜を食べると、それぞれにおいしさがあった。ところが僕の家の近所のスーパーマーケットで売られている有機野菜はおいしかった試しがない。
 最近、高級な店では「柿のように甘い大根」や「桃のように甘いカブ」が売られている。この風潮は僕には疑問だ。大根は大根の味がして欲しいし、カブにはカブの香りが欲しい。柿のように甘いものが食べたければ柿を食べればいいだけだ。

 おいしい野菜はどこにあるのか。実は最近の研究では有機農業の作物は慣行農業のそれに比べて必ずしも味がいいわけではない、ということがわかっている。

 味の違いを生む一番の要素は鮮度だ。最近、地方を訪れると道の駅などで多くの野菜が並んでいる。よく売れているようだが、市場を通した野菜よりも農家が朝並べたばかりの野菜がおいしいのは当然で、消費者は意識せずともおいしい野菜を選んでいるわけだ。
 次に品種の違いもある。市場を通す場合、生産側は日持ちがする品種を選択しがちだ。結果として皮は硬く、食味がよくない品種の野菜がスーパーマーケットに溢れることになる。つまり、おいしい野菜はスーパーマーケットではなく、生産地かそれに近い場所にあるという結論になる。

  味の違いは硝酸態窒素の量にも左右される。硝酸態窒素は体内に入って亜硝酸態窒素に変わり健康被害を及ぼすという話がよくあるが、それは正確ではない。科学的にはまだ未解明な部分が多いが、今では硝酸態窒素は健康にほとんど影響がないと考えられている。
 しかし、大事なのは硝酸態窒素が多い野菜はえぐみが強くおいしくない、ということだ。 魚住農園などでは硝酸態窒素の量を常に計測し、低く抑える努力をしている。最近、注目されている自然農法──農薬や化学肥料を使わない栽培方法── も目指すところは同じだ。質の高い食材を扱うことで知られるスーパーマーケット「福島屋」では店頭に硝酸態窒素量を表示している。生産者が硝酸態窒素の量を意識することで結果として野菜の品質が向上したという。
 大事なのはおいしさであって、有機農業やオーガニックはいい食材を選 ぶための指針の一つかもしれないが、それ自体には意味がない。 実は有機農業を推進するための口実に使われる環境への影響も優位な差がないことが明 らかになっている。昔と違い現代の農薬は分解作用も強く、正しく使えば影響は限定的だ。
 それでも僕は魚住農園の野菜を選ぶ。市場を通ったものより鮮度はいいし、なにより誰が つくっているかわかるのが大きな理由だ。 オーガニック(有機的)という言葉にはかつて、思想的な響きがあった。しかしその意味が「様々な要素が集って、一つの全体を構成し、お互いに影響しあっている様」を指すならば、それは世界のあり様そのものだ。一握りの土にも目には見えない菌や微生物がそれぞれの関わりのなかで生きているように、人間の社会もまた同じようにどこかで繫がっている。僕らはいつのまにかその関係性が見えなくなっていた。
 僕はぼんやりと考える。里から海へ、あるいは人から人へという具合の繫がりのなかで、おいしさが生まれるのだ、と。
 食べるという行為は個人的なものだ。でも、そこには様々な要素が複雑に絡みあって、その裏側には大きな風景が広がっている。おいしさを味わいながら僕は未来の食卓について考える。そして、僕らが住むこの地を想う。

あとがき

 本書を完成させるためには数多くの人の協力をあおいだ。まず、多忙な中、時間をとって取材に応じてくださった生産者の方々に深く感謝する。彼らの協力がなければこの本は成立しなかったし、自らの仕事に誇りと情熱を持ち、それに打ち込む姿には勇気づけられた。
 残念ながらページ数の都合で本書に掲載しきれなかった取材先も多いが、どなたも素晴らしい方ばかりで、別の機会に紹介したいと思っている。
 初出である『ニッポン 食の遺餐探訪』の連載の担当編集者はダイヤモンド社の林恭子さんだ。また、ほとんどの取材にはカメラマンとして服部栄養専門学校の教員で、友人の志賀元清に付き合ってもらった。また、刊行にあたっては日本ユニ・エージェンシーの鈴木優さんにエージェントとしてお力添えをいただいた。この場を借りてお三方に感謝したい。
 書くという行為と料理はどこか似ている。取材によって材料を得て、文章に構成していくことと、食材から料理を組み立てることは、どちらも取材先、そして生産者から受けとた感動を、誰かに届ける行為だからだ。
 僕らは普段、自国のことを否定的に見ているところがある。インターネットで検索すれ ば、食に関する虚実不確かな情報で一杯だ。でも、今は本当に絶望的な状況で、日本の食 はすでに破壊されてしまったのだろうか? 食の未来について考え、取材をするなかでわかったことは、「日本の食は昔よりもおいしくなっている」という事実だ。もちろん例外はあるものの、公害は減り、素材の質は向上し、消費者の意識も変わりつつある。
 僕はそんな日本のおいしいものを分かち合いたいと思った。もちろん、水産資源の問題など不安がないわけではない。第一次産業は衰退局面にあるし、経済的にも厳しい部分は ある。それでも、この世からおいしいものを食べる幸せがなくなることはない。そして、 幸福とは人となにかを分かち合えた時に本物になるのだ。

参考文献、ウェブサイト
『月刊食生活』 2015年5月号〈特集 卵〉/カザン
『沈黙の春』レイチェル カーソン=著/青樹簗一=訳/ 新潮文庫
『農業聖典』アルバート ハワード=著/保田茂=訳/日本有機農業研究会
『マギー キッチンサイエンス ‒食材から食卓まで‒』ハロルド マギー=著香西みどり、北山 薫、北山雅彦=訳/共立出版
『〝青空養鶏〞のねらいとその利点 年間の養鶏研究がもたらした最後の結論』高橋広治=著/畜産の研究第23巻第11号
『どこかの畑の片すみで』山形在来作物研究会=編/山形大学出版会
『野菜―在来品種の系譜(ものと人間の文化史 )』青葉高=著/法政大学出版局
『翻刻 江戸時代料理本集成〈第一卷〉』吉井始子=編/臨川書店
『近世風俗志(一)守貞謾稿』喜田川守貞=著/岩波文庫
『「持たざる国」の資源論』佐藤 仁=著/東京大学出版会
 『体質と食物―健康への道』秋月 辰一郎=著/クリエー出版
『味知との遭遇・キパワーソルト醤油物語』池田伊佐男=著/イケダ産業
『株式会社にんべん かつお節塾』 http://www.ninben.co.jp/katsuo/
『月刊食生活』 2014年9月号〈特集 出汁〉/カザン
『対訳・焼津の八雲名作集』ラフカディオ ハーン=著/村松眞一=編訳注/静岡新聞社 『ニッポン・ロングセラー考 Vol· ほんだし』/『COMZINE』 コムウェア
http://www.nttcom.co.jp/comzine/no069/long_seller/
『昆布と日本人』奥井 隆=著/日本経済新聞出版社
『漁業と震災』濱田武士=著/みすず書房
『日本の魚は大丈夫か 漁業は三陸から生まれ変わる』勝川俊雄=著/ 出版新書
『たべもの起源事典』岡田 哲=編/東京堂出版 うみ
『湖は流れる│ 霞ケ浦の水と土と人』土の会=編/三一書房
『TOKYO BAY A GO-GO!!』 2013年第2号/ 108UNITED
『プロのための 牛肉 豚肉 料理百科』別冊専門料理/柴田書店
『鶏肉の実力〜健康な生活を支える鶏肉の栄養と安全安心〜』/日本食肉消費総合センター 『幸せな牛からおいしい牛乳』中洞 正=著/コモンズ
『黒い牛乳』中洞 正=著/幻冬舎経営者新書 『日本の山地酪農』猶原恭爾=著/資源科学研究所
『「松田のマヨネーズ」はマヨネーズだ!の会』http://www.geocities.jp/nonotobira/

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