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『おいしいものには理由がある』(KADOKAWA)を全文公開します[はじめに〜日本のおいしさ]

昨年、日本各地の生産者を巡った『おいしいものには理由がある』という本を書きました。すでに発売から一年以上経った本ですが、多くの方に読んでいただきたいと思い、版元であるKADOKAWAさんからの許可を頂いたので、僕のnoteで全文公開したいと思います。

全文公開はよく「立ち読み」に例えられますよね。でも、立ち読みしてもらって売上が伸びることが全文公開の本質ではなくて、いつでも読める状態にすることだと思います。本はストック、ネットはフローの情報とよく言われますが、今の本屋さんでは発売から一年経った本を見つけるのは困難です。ノンフィクションは多くの人の協力によって成立しているので、それはあまりにも寂しい。

僕のnoteを読んでくれている人は食に興味がある方なので、きっと面白いと思っていただけると思います。読んでみて気になったら本を買っていただきたいですが、それ以上に収録した食べ物を是非、一度、食べてみてほしいと思います。

この本の表紙は『松田のマヨネーズ』をモチーフにした『マヨネーズ』のイラストです。(イラストは太田侑子さん)刊行後、この本にもご登場いただいている遠忠商店さん主催で、刊行を記念したトーク&マルシェイベントをしました。

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イベントには大勢の人に来場していただき、大変ありがたかったのですが、それ以上にうれしかったのは取材先の人が集まってくれたことです。そのなかに松田のマヨネーズの松田優正さんの姿がありました。

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(写真は取材時のものです)

「いやー、松田さん、よく来てくれたねぇ。あの人、もう東京に来ることもあんまりないから」

と周りの人に驚かれましたが、聞けば松田さんは午前中はお世話になっている人たちに挨拶回りした後にイベントに来てくれた、とのこと。イベント終了後には懇親会を開き、みんなで楽しい時間を過ごしました。

それから二週間後。松田さんが急逝されたという知らせを受けました。「あんなに元気だったのに」と誰もが言いました。訃報を聞いた時、思い出したのは松田さんと握手をした時の手の温かさでした。

お別れ会はみんなで松田さんが育てた枝豆を食べる枝豆の会。のどかで温かいお別れ会でした。その時、遺影の横に誰かが置いてくれたらしいこの本がちょこんと置かれていました。この時、この本を書いておいてよかったな、と思いました。

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「松田のマヨネーズ」は後継者の方が引き継ぎ、良質なマヨネーズを誠実に作り続けています。松田さんが亡くなっても、その想いを受け継ぐ人がいる限り、マヨネーズはなくならないのです。この本を書いた時、主題に据えたのは「日本の食」でしたが、今読み返すと僕が書こうとしたのは「人の想い」だったのかもしれない、と思います。上手に書けているかはわからないけれど、これがあの時点の僕のベストです。

おいしいものには理由がある

                                 樋口直哉

目次
はじめに
 日本のおいしさ 〈卵〉茨城県 魚住農園
第一章 大豆が繋いでいく味
 師匠と弟子   〈納豆〉群馬県 下仁田納豆

(分割掲載しています)
 煙突の味    〈醤油〉群馬県 有田屋(公開済)
 木桶を守る   〈醤油〉小豆島 ヤマロク醤油


第二章 出汁、日本人はどこから来たのか

 千三百年前の味を現代に〈塩鰹〉西伊豆 カネサ鰹節商店
 日本から世界へ    〈鰹節〉焼津 新丸正
 昆布と日本人     〈昆布〉福井県 奥井海生堂
第三章 海と日本人
 東北で牡蠣を食べた  〈牡蠣〉宮城県 奥松島水産
 また海に出る     〈海苔〉宮城県 アイザワ水産
 江戸前の佃煮     〈佃煮〉東京都 遠忠商店
第四章 山と畜産
 牛は家族       〈短角牛〉岩手県 柿木畜産
 きれいはおいしい   〈鶏肉〉宮崎県 黒岩牧場
 白い奇跡       〈牛乳〉岩手県 なかほら牧場
第五章 二つの調味料
 日本のウスターソース 〈ウスターソース〉浜松 鳥居食品
 マヨネーズのある人生 〈マヨネーズ〉埼玉県 ななくさの郷
終わりに
あとがき
 

はじめに

「日本の卵ってわけがわからないんだよね」
  友人のイェンス・イェンセンが首をかしげた。レストランで仕事の打ち合わせがてら食事をしていた時のことだ。
「どういうこと?」
 「スーパーに行くと、よくわからない卵が並んでいるでしょ。例えば森のなんとかっていう卵が売られていたけど、庭先で飼うニワトリが森で育つわけないじゃない」 
 冗談っぽくイェンスは言う。彼は在日デンマーク大使館の元職員で、現在は母国のライフスタイルなどを日本に紹介しながら、編集者として日本のカルチャーを海外に発信している。当然、日本の食文化のファンで、下手な日本人より詳しい。

 彼は日本では自分が食べたい卵が手に入らないので、ニワ トリを飼い、卵を自給しようとしているそうだ。 「デンマークではパッケージの見やすいところに〈ケージ飼い〉〈平飼い〉〈オーガニック〉とか表示してあるけど、日本にはそういうルールがないのがよくないと思う」 日本では鶏卵の規格は卵重(パック中の鶏卵一個の重量)により、LL ~ SS までの六 段階のサイズ分類になっているが、EU では、

0  BIO 農業で、野外で飼育されているニワトリの卵
1  野外で飼育されているニワトリの卵
2  地面で飼育されているニワトリの卵
3  ケージの中で集中飼育されたニワトリの卵

 という具合に飼育環境でわけられているそうである。
 たしかに日本の卵はまぎらわしい。例えば〈抗生物質不使用〉と表示している卵があって、まるで他のニワトリには抗生物質が使われていると言わんばかりだけれど、飼料安全法によって採卵中のニワトリへの抗生物質や合成抗菌剤の使用はそもそも禁じられている。
「それに日本の卵はほとんどがバタリーケージのニワトリから産まれた卵でしょ」
 どうやら彼はそれが一番の不満らしい。バタリーケージとは産卵場所、敷き材、止まり木がない飼育ケージのこと。日本の卵の流通量のじつに九割が、ケージ飼いのニワトリが産んだ卵だ。
「ケージ飼いの養鶏場って実際に見たことある?」
「テレビでは見たことがあるけど......」
「興味があって見学させてくれそうなところを探したんだけど、どこも応じてくれなかっ
た。病気や菌の混入を防ぐためだって言うけどやっぱり変だよね」
 ケージ飼いはよく批判にさらされる。ニワトリを狭い場所に閉じ込め、お互いを突きあわないようにクチバシも切ってしまう。そんな養鶏方法に眉をひそめる人は多い。
 欧米では動物たちの権利を守るアニマルウェルフェア(動物福祉)の議論が盛んなので、余計に日本の状 況が悪く見えるのかもしれない。しかし、そうした企業養鶏の努力によって〈物価の優等生〉である卵の価格と安全は守られてきたのも事実だ。
「日本は湿度が高いから衛生面を考えると、仕方がない部分もあるんだよ。(野鳥との接 触で感染が広がると言われる)鳥インフルエンザの問題だってあるし......」
 僕はなぜか日本の卵を弁護する立場になってしまう。養鶏業者の話を聞く限りでは閉鎖型の鶏舎は空調が効いていて、ニワトリたちにとって快適な温度と湿度に保たれている。ニワトリたちに負荷をかけると産卵効率が悪くなるからだ。
「だとしても、だよ。このあいだケージメーカーに電話で取材したんだけど、日本のケージは狭すぎる。一羽あたり郵便はがき二枚半くらいのスペースしかない。そんなところで育ったニワトリの卵がおいしいわけがないじゃない」

 おいしいわけない。この指摘は僕には新鮮だった。それまで僕は漠然と日本の卵は世界で一番おいしいと思っていた。
 日本の卵は国産食材の安全性を象徴している。 外国では原則的にサルモネラ菌の危険性が高い卵は生食できないけれど(低温殺菌された 卵なら食べられる)、日本の卵は清潔な生産と流通によって生食を安全の基準としている。 これは簡単にできることではない。 一方で企業養鶏はまるで工業製品でも生産するように、ニワトリに卵を産ませる。ウイ ンドレス鶏舎という窓のない養鶏場は薄暗い状況に保つことでニワトリに明け方だと勘違 いさせ産卵を促す。そうした状況が気になると、日本の卵はおいしく感じられない。おいしさって一体、なんだろう?

 僕がはじめて働いたレストランでは、調理場に届けられる食材はシェフが一つ一つ確か めていた。毎日届く様々な食材をどのように保管するか│ すぐに使いはじめるのか、少し熟成させるべきなのか。それも真空パックしておいた方がいいのか、サラシで巻いてお くのか。食材をいい状態で使うために適切な温度や湿度を調えるといったことも大事な仕 事だ。さらに言えば食材を選ぶところから料理ははじまっている。時々、シェフの知り合いの漁師から魚が届き、山梨の農家からは野菜が届いた。そうした食材を育てる生産者や運送業者との連携も料理には欠かせない要素だ。

 料理人に「料理で一番大事なことは?」と訊ねると、誰もが「素材」と答えるだろう。素材がどれだけ重要かわかるエピソードがある。フランス料理界でその名が知られるシェフ、ジョエル・ロブションが日本で講習会を開いた時の話だ。
 その日はリンゴのデザートをつくることになっていた。
 会場となった東京都、代々木の服部栄養専門学校に八つの産地から届いたリンゴが届けられると、彼はまずリンゴを一ミリの厚さにスライスし、次に砂糖を振ってオーブンで焼いた。
 そして生のものと火を通したものを比較検討し、二つの候補に絞り込み、最後にもう一度同じテストを繰り返し、使うリンゴを決めた。
 料理の技術は素材を超えない。もちろん、自分にとっておいしいという感覚が他人にとって同じであるという保証はどこにもない。でも、例えばおいしい卵とは一体、どんな味なのだろうか。
 最近は濃厚な味の卵が人気だが、そうした卵は試食を繰り返しているうちに、やがて後味が重くなってくる。おいしさは単純ではない。まずは僕が本当においしいと思った卵の話からはじめることにする。

日本のおいしさ ──〈卵〉 茨城県 魚住農園

 卵は当たり前の存在なので普段、おいしさについて考えたりしない。水や空気を普段の生活のなかで特に意識しないのと同じだ。
 石岡駅から車で二十分あまり、筑波山の東側にある八郷地区には、水田と畑、山の雑木林がおりなす里山の風景が広がる。おだやかな時間の移ろいは、眺めていて飽きることがない。
 農村特有のがらんとした雰囲気の道を進むと〈魚住農園はこちら〉という小さな看板が見えてくる。それを目印に坂道をのぼると傾斜地に沿って水田と畑が広がり、やがて鶏舎と母屋に到着する。僕が最初にこの農園を訪れたのは二〇〇九年のことだ。以来、訪れては農業のことを教えてもらったり、野菜や卵をわけてもらっている。農園から届く段ボールを開けると、閉じ込められた土の匂いが溢れる。野菜はどれも力強い味わいがして、料理が上手くなったと錯覚してしまうほどだ。
 農園の主、魚住道郎さん(以下、敬称略)は日本の有機農業界の有名人だ。まっ白な髪で眼鏡をかけた、ちょっと教師風の雰囲気。
 魚住農園は妻の美智子さん、息子夫婦の昌孝さんと文さんで営む家族農園である。
 空気の冷たい三月、鶏卵について話を伺った。
 その前に魚住がどうして生業として農業の世界を選んだのか、改めて訊ねた。

「子供の頃から理科が好きで、将来は工学の道に進むと思っていました」そう語る魚住は一九五〇年生まれ、農家の出身ではない。「でも、高度経済成長にともなう歪みがあちこちに出てきた時代だったので、高校で進路を決める頃になると『なにか違う道があるのでは』と悩みはじめました」

 魚住は工業ではなく農業の道に進もうと、一九七〇年に東京農業大学に入学する。大学では開発途上国へ農業技術を伝え、支援する、国際農業開発を学ぶ。当時、彼が夢見ていたのは途上国の飢餓と貧困を救う担い手になることだった。
「しかし、現実は簡単ではありませんでした。日本の農業技術は農薬を使うことを前提にしています。化学肥料を使い、それにあった品種を育てる方法を海外に持ち込んでも、必ずしも現地の人のためにならない。環境を悪化させ、健康問題を引き起こし、かえって現地の自給的な食料生産や農村の生活を破壊してしまう」
これは正しい援助のあり方ではない、と感じていた魚住は同じ頃「DDT が母乳から検出された」というニュースにショックを受ける。
 DDT はかつて日本で使われていた有機塩素系の殺虫剤だ。終戦直後の衛生状況が悪い時代に米軍が持ち込み、シラミなどの防疫対策として広く用いられていたが、一九六二年にレイチェル・カーソンが発表した『沈黙の春』という著作によって、生態濃縮などの危険性が公となり、やがて使用が禁止された。

 『沈黙の春』の功罪については軽く触れておく必要がある。この著作は環境運動のさきがけとして大きな役割を果たしたが、指摘のような人に対する発がん性や生態リスクは証明されなかった。それだけではなくスリランカなどでは DDT を禁止したことで、マラリアが蔓延し多くの命が奪われた。
 WHO は二〇〇六年にはマラリアのリスクが DDT を使 用するリスクを上回る場合には使用することを認めている。一つのリスクを排除すること が、また別の問題を生み出す。僕らはそうした事実を学びつつ、前に進んでいくしかない。

 学校の授業で学んだように、六十年代の日本は公害の時代だった。その少し前の水俣病からはじまり、四日市ぜんそく、第二水俣病といった問題が次々と明らかになり、森永ヒ素ミルク事件やカネミ油症事件といった食の安全性への不安を広げる事件も起きた。
「近代農業を続けることは正しくないのではないか、と悩んでいたところで一冊の本と出 会ったんです」 その本とはインドで農業を研究し、有機農業を体系化したアルバート・ハワードの『農業聖典』だった。ハワードは連作障害(同じ作物を作り続けると収量が減少していく問題)の解明を進めるなかで、東洋の堆肥に注目し、その働きを近代科学によって整理した人物だ。ハワードは持続的な農業の生産システムにおいて地力の維持が一番の条件である、と提唱した。
「ハワードさんの考え方の素晴らしいところは、哲学と科学が融合していること。僕らは それまで伝統的な農業を捨てて、西洋に学ぶことが進歩的であり近代化だと信じていまし た。でも、ハワードさんは『そうじゃないんだ』と。『東洋の文明は西洋から学ぶ必要はない』とまで言い切っていた」 魚住は大学を卒業すると、八郷の共同農場で働きはじめる。その六年後の一九八〇年に は今の場所に移り、自身の農園を持った。とは言っても移り住んだ土地は枯れ松が生えているだけの山だった。それもやせ土で、雨が降れば土砂になって流れる荒れ地。魚住はまず中古のブルドーザーを一台買い、山を開拓した。井戸を掘り、畑をつくり、廃材を利用して家を建てた。まるで明治期の入植者のように。
  はじめから目指していたのは有機農業と畜産を組み合わせた有畜複産農業だ。当初は牛も飼っていたが飼料効率が悪く、牛フンを使った堆肥は窒素分が多すぎ使いづらいのでやがてニワトリに絞った。

「まずは畑を見てみますか」
  いくつかある畑の一つを案内してもらう。道路には先日降った雪がところどころ残って いて、見渡すかぎりの畑の向こうに赤いトラクターが一台停まっていた。 畑に足を踏み入れると土は柔らかく、歩くたびに身体が沈むほどだ。畑ではキャベツが 収穫を待っていた。外葉にはところどころ虫食いがある。アブラナ科の野菜は青虫がつき やすいので、キャベツは比較的、無農薬栽培が難しいとされる。
 しかし「有機農業だから虫食いがあっていいというわけじゃない」と魚住は言う。たし かにキャベツの結球部分には虫食いの跡はほとんどない。 有機農業はよく「農薬や化学肥料を使わない農業」という説明がされる。実際、有機野 菜と表示できる資格が取得できる有機 JAS 認定もそうした基準に基づいている。ただ、 魚住は日本有機農業研究会の副理事として有機 JAS の制定にも関わったが、自身の畑 は認証を取得していない。市場に流すわけではないので、意味がないからだ。
「有機 JAS のマークをとればいいというわけではないし、有機農業が流行って有機認証マークがついた商品がたくさん流通すればいい、というわけじゃない。それじゃ、グローバル経済のなかに野菜を放り込んでいるだけ。価格競争の同じ過ちを繰り返すだけですよ」
 魚住が考える有機農業の本質は『農薬や化学肥料を使わないこと』ではない。有機農業の目的は畑を中心とした生態系を豊かにすることで、生物間相互作用などを利用し病害虫の発生を抑え野菜を健康に育てて、持続的な農業を営むことだ。
 生態系が健全であれば特定の生き物が異常に増えるようなことはない。魚住たちが考える生物間相互作用を利用した農業はそのメカニズムも少しずつ解明されている。
 例えばキャベツは青虫に葉をかじられると、虫の唾液に反応して空気中に寄生バチを誘う化合物を出すことがわかっている。その匂いに誘われてやってきたハチが青虫に卵を産み付け、青虫は繭の段階でハチに食べられてしまう。キャベツは自らシグナルを発することで、害虫が増えるのを防いでいるのだ。
「青虫がついた外葉はニワトリに食べさせます。虫はニワトリの好物なんですよ」
 畑でキャベツを収穫し、ハウスに移動する。ハウスでは本格的にはじまるシーズンに向けて、育苗がはじまっている。植物が発芽する温度は十五~三十°C。近代農業では温床線などの電気を使って温度を上げるが、有機農業では踏み込み温床を用いる。踏み込み温床ぬか は稲わらとクヌギやコナラなどの落ち葉、米糠、集めてきた山の落ち葉と水分を、名前のとおり型枠のなかで踏み固めたもので、微生物の働きによって二週間から四週間、発酵熱を維持することができる。そこで苗を育てた後には、それはそのまま栄養豊富な腐葉土になる。腐葉土は苗床になり、畑の土として利用される。
「踏み込みが緩いと発酵が早く進み、高温で短時間の発酵熱しか得られません。しかし、強すぎると乳酸菌のような嫌気性の菌が増え、温度が上がらなくなります。そこを空気と水によって調整するわけですから、昔の人の知恵はすごいものです」
 腐葉土を手ですくいとると、コーヒーのような香ばしい匂いがする。
「腐葉土が必要ならホームセンターで買うことができます。でも、これはお金では買えな
いかけがえのないものです」
 なぜ、この腐葉土がお金では買えないのか。それは仲間たちとつくった土だからだ。
「落ち葉拾いは家族だけではとてもできません。だから、年に一度、私がサポーターと呼んでいる消費者たちと一緒に近隣の山から集めるんです。昼には持ち寄ったおにぎりと農園で収穫した野菜を使った料理を囲み一緒にご飯を食べ、夜になれば反省会と称して一杯やります」
 そう言って魚住は笑う。普段は都会で働いている消費者も風に吹かれ、土と触れ合うことでリフレッシュできる。参加してもらうことで自らの農園という意識を持ってくれたら、という狙いもある。
 「生産者側も親しい人に食べ物をつくっていると感じられた方が幸せでしょう」
 伝統的な踏み込み温床は近代農業が広まったことで畑から姿を消した。山に針葉樹が植林されたことで、落ち葉も集めにくくなった。今、日本全国で放置された山林が問題になっているが、人の手が入らなくなった山は荒廃する一方だ。こうして山の落ち葉を拾い、下草を刈ることで、山の木々は健やかに成長するのである。
 落ち葉からつくった腐葉土の成分はやがて田畑から水路、さらに河川を通じ海に注がれる。農業は漁業にも影響を与えるのだ。実際、九州の有明海や瀬戸内海では川上ののり 山間地域の過疎化や水田がなくなったことなどで海苔の生育が悪くなるなどの問題も起きている。
「北海道大学の名誉教授、松永勝彦さん(現、四日市大学特任教授)たちの研究によって、腐葉土に含まれるフルボ酸鉄が川を流れ、海を豊かにすることがわかっているでしょう。農業は山と里、そして海を繫げる営みなのです」
 日本の食はすべてが有機的な繫がりのなかで育まれている。農業には景色をつくってきた側面もあるので、その衰退は観光産業にも影響を及ぼすのだろう。こうして一つの農園を訪れるだけでも様々なことを考えさせられる。料理人として料理をつくっているだけでは、あるいは部屋で文章を書いているだけではわからないことが現場にはたくさんあるのだ。
  ハウスを出てすぐの場所にある、木造平屋の小部屋が連なる長屋風の建物が鶏舎である。野鳥との接触を避けるために基本的に屋外には出さないので、先ほどの区分に照らすと「平飼い」に近い。

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 昔ながらの鶏舎は屋根からも光が入るように工夫されている。ネットが張られた窓も大きくとられ、風が通るようになっている。一つの部屋に四十~六十羽程度、土間には腐葉土が敷かれ、そこをニワトリたちが歩き回っている。
「臭いがないでしょ?」
 たしかにニワトリ小屋からはどちらかというと香ばしい匂いがした。ニワトリの品種は『ネラ』というオランダ原産の品種が主体。『岡崎おうはん』という国産品種の姿もある。
「日本のニワトリもいいけど、原種に近いネラのほうがよく卵を産んでくれるかな」
 小屋の端に籾殻を敷き、蓋をした産卵場所がある。雌鶏たちはそこで卵を産む。ニワトリが隠れて卵を産む習性を利用した知恵だ。ヒヨコたちが育つのは一番手前の部屋で、大きくなるまではコタツで寒さをしのぐ。コタツで温まるヒヨコたちの姿を想像すると、なんとなく楽しい。ただ、地面で寝ることに慣れてしまうと、臆病な鶏になってしまうので、ヒヨコ=雛のうちに木の上で休むようにしつけていく。
 雛には餌として玄米やイネ科の固い草や、腐葉土を与える。腐葉土にはカブトムシの幼虫などが潜んでいるので、それを食べることで自然と免疫力もついてきて丈夫に育つ、と魚住は言う。

 一般的に卵のおいしさは餌で決まる、と言われている。
 六十年代~七十年代にかけて日本に来日したフランス人シェフは「日本の卵は魚臭い」と使いたがらなかった。当時はニワトリの餌に魚のアラを与えていたからだ。
 そんな時代と比べたら日本の卵はおいしくなった。現在、ニワトリの餌の主流は輸入のトウモロコシと大豆粕である。そこに動物性のタンパク質を加えていくと、味は濃厚になっていく。
 卵黄の色も餌によって変わる。カロチノイド系の色素(パプリカやトマ トに含まれる色素)やアスタキサンチン(鮭やエビの赤い色素)を含む餌を与えると卵黄の色は濃くなる。卵黄の色は味にはあまり関係がないが、日本の消費者は濃い色が好きな ので、養鶏業者は工夫をしているのである。
 さて、魚住農園でニワトリに与えている餌を見せてもらうと、餌の主体はトウモロコシではなく米だった。
「トウモロコシを与えなければおいしい卵はできない、という意見もあったのですが、すべて国産材料に変えたかったのでお米を選びました。はじめは不安もあったのですが、元気に育ってくれていますし、味もいいようです。 餌はまず酒糠──お米の粉ですね。あとは小麦と米糠、鮭の魚粉です。小魚系の魚粉は油脂分が酸化しやすく臭いが出やすいのと、酸化防止剤を使っていることもあるので避けています」
 天然の鮭の身を乾燥させ、フレーク状にした魚粉からは、鰹節のようないい香りがする。鮭は新潟村上に住む漁師から物々交換で譲って貰っている。漁師は魚を送り、魚住は野菜や米を送る、という具合だ。
「次に殻を固くするための牡蠣殻、大豆と塩、醬油の搾りかす、近くの牧場でチーズをつくっている時に出る乳清(ホエー)です」

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 牡蠣殻や化石はカルシウム源、大豆や醬油の搾りかす、乳清はタンパク源である。乳清は聞き慣れない食べ物かもしれないが、ヨーグルトを食べるときにパックの上に浮かんでいる上澄みの液体で、栄養豊富だ。木箱ですべての材料を混ぜ合わせ、軽く発酵させることで消化しやすい状態にする。
「発酵させて香りをつけると、鶏の食欲も増します。これが基本的な飼料ですが、うちではさらに緑餌(野菜)を多く与えています。大型の養鶏場だとクチバシを切ってしまうところがあると聞きますが、そんなことをしたら、餌をついばめなくなります。うちではカブや大根などの固い野菜も大きいまま与えていますが、クチバシがあるのでニワトリたちは問題なく食べてしまいます」
  小屋にいるニワトリたちに野菜を与えると、彼らはすぐに集まってきて、勢い良くついばんでいく。大根はみるみるうちに穴ぼこだらけだ。
 こうして見るとクチバシの重要性がよくわかる。考えてみればニワトリたちが食べている餌は、人間に置きかえると白いご飯
を主体に鮭に野菜、醬油とまるで和定食である。それもすべて国産なのだから贅沢だ。米を与えるだけだと卵の黄身は白いが、野菜を与えることで植物由来の黄色色素によって黄身は色づく。
 野菜は光合成によって太陽の光をエネルギーに変えるが、黄色色素は光合成のシステムを強い紫外線から守る働きを担っている。植物は太陽の光を蓄え、ニワトリはそれを食べて成長する。昔から卵が生命の象徴とされてきたのは、そんな生き物の連鎖を体現しているからだ。
 フードライターのハロルド・マギーはそれをこんな風に表現している。太陽の光が生命の形をとったもの、それが卵である、と。
「小屋に臭いがないのも野菜を与えているから。人間と一緒で野菜を食べるとフンの匂いが和らぐんです。あとはミネラル分を摂取させるために落ち葉などを発酵させた腐葉土も与えます。大事なのは自然分解できる範囲で飼育すること。ニワトリがフンをしても、動き回ることでかき混ぜられますから、すぐに発酵、自然分解されるんですね」
小屋の床に敷いた腐葉土は良質な堆肥として畑に戻される。ニワトリたちもここでは、土作りの担い手なのだ。
「サルモネラ菌対策はなにかしていますか?」
 そう質問をすると魚住は首を横に振った。
「卵を拭くくらいで、ワクチンなどは使っていません。土間で飼いますからね。絶対にネズミがいないわけじゃないですよ。抜き打ちで何度も検査をしていますが、陽性が出たことは一度もないです」
 事実、農園では二十年以上、この形で養鶏を続けているが、トラブルは一度もない。こうした話を聞くと、安全について考えさせられる。日本の養鶏はある意味、サルモネラ菌との戦いであった。サルモネラ菌は人間にとっても食中毒の原因だが、親鶏に感染するとかえ その卵から孵った雛が死んでしまうからだ。
 卵の安定生産のためにはニワトリを汚染から隔離し、ネズミなど外敵に接触させない必要があった。そこでアメリカから導入されたのがケージを使った養鶏方法である。愛知県農事試験場(現農業総合試験場)畜産部で養鶏研究に携わっていた高橋広治氏が広めたこの飼育方法によって、卵の安定供給と安全性が実現した。
 卵は高度経済成長期の日本を支えた。
 一方、経済発展の象徴としての万博が大阪で開催される一年前の一九六九年、ケージ飼いの導入に力を注いだ高橋広治氏は『〝青空養鶏〞のねらいとその利点 60年間の養鶏研究がもたらした最後の結論』と題した論文で青空養鶏という養鶏方法を発表している。
 高橋氏はニワトリという動物の生理を知れば太陽の光と新鮮な空気が必要であり『鶏は保護すれば軟弱になり、生産性を失なつてくる』ので『病床の憂いがあり、か つ生産力が乏しい』旧来の屋内養鶏は自滅すると書いている。
 日本にケージ飼いを普及さ せた功労者が晩年、アメリカから導入された近代養鶏を否定するに至っていた、という事 実は興味深い。
 高橋氏は「日本には日本としての気候風土がある。また進むべき方法もあるものだと信ずる。さればこうした問題を取り出して解決せねばならない」と主張した。しかし、その考えは広まらず、日本の養鶏はアメリカ型のケージ飼いが大半を占め、餌も輸入のトウモロコシに頼るようになった。
 小屋の奥にあった産みたての卵を手にとるとまだ温かく、一つ一つ、形も殻の硬さも違 う。大きくなったニワトリの卵は大きく、若いニワトリの卵は小さく固い。そのいつまで も手に残るような温度は、スーパーのパック詰めを買っているだけではつい忘れてしまいがちな、人は別の命を奪っていかなければ生きていけないという事実を改めて教えてくれる。

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「見学に来た子供たちに卵をとらせると『あったかい!』って目を輝かせます」
 母屋に移動すると魚住の妻、美智子さんが昼食をつくっていた。炊きたてのご飯と味噌汁、それに野菜を中心とした家庭料理だ。柑橘が入ったコールスローサラダに、きんぴらゴボウ。一般市場には出回らない茎の太い小松菜のお浸し、焼き魚というランチをご馳走になった。
 どれもおいしく、舌だけではなく心も満たされる味がする。かける醬油も自前の農園でつくった大豆を知り合いの醬油蔵に頼んで醸造してもらったものだ。採れ立ての卵を割ると、黄身の色はうっすらした黄色だ。卵かけご飯にして食べてみる
と、さらっとして喉に残らない。
「クチバシがあるとニワトリ同士が喧嘩して、羽が抜けるという話を聞いたことがありますが」
「ああ、そういう話は聞いたことあります。でも、うちのニワトリたちは喧嘩はしないけどね。ひょっとすると雄鶏がいるからかもしれないなぁ」
「雄鶏?」
「小屋に図体の大きい奴が何羽かいたでしょ。あれが雄です」 「雄鶏は普段、役に立たないんだけど、いないと雌鶏の落ち着きがなくなるんです」台所 に立っていた美智子さんが教えてくれる。「大昔の話ですけど、野外に鶏を放していたんだけど、そしたら雄鶏がいない日に一晩で野鳥にやられてしまったことがあったの。あん な雄でも雌を守っていたのかもしれないなぁ、なんて」
「雄は鳴くからうるさいし、余分な餌代もかかるので、小屋に入れない養鶏家も多いけれど、なにかしらの役割があるんでしょう。ただ、雄はたくさん入れすぎると喧嘩をはじめるから少ない方がいいんです」
 一度、序列が決まってしまえば争いは起こらないらしい。人間の社会も似たようなものかもしれない。
「このやり方で卵を採っても、商売にはならないですよ。うちでは卵は副産物と考えています。ニワトリも野菜をつくる循環の一部。トウモロコシを使った大量飼育、農薬や化学 肥料を使った単一品種作物の大量生産は経済的には正しいのかもしれない。でも、そうした方法が環境問題をはじめ、様々な弊害を産み出したのは事実です」
 魚住がそう語ると、美智子さんが「農園から届けられる段ボールのなかに卵が入ってい るとやっぱり喜ばれますよ」と笑った。「それに冷蔵庫になにもなくても、卵と野菜だけ あればなんとか食事として格好がつくじゃない?」
 魚住農園から卵だけを購入することはできない。他の有機農家と同じように「提携」という方法をとっているからだ。
「先日、イギリスの BBC の方が『地球温暖化が農業に与える影響』について取材に来 たんですが、そのジャーナリストの方も提携という言葉をご存じで関心を持たれていまし た。どうやら日本的な考え方のように受け止められるようです」
 市場経済に振り回されがちなモノカルチャー農業ではなく、多品種少量栽培の有機農業 に適したやり方を模索していくなかで生まれた提携は、生産者と消費者を直接繫げる仕組みだ。
「提携というのは消費者に自分の農園を持ってもらうことです。普段は都会に暮らしてい てもたまにはこうして来てもらって、里山の景色に触れるのもいいでしょ?」
 農業生産物を一般の市場に流すことなく、生産者から消費者へ直接送る。その結果、生産者は収入の安定を図れるし、消費者は様々な旬の生産物を味わえるというメリットを享受する代わりに、消費者は提携先の農家の仕事を手伝う。
 提携という言葉から旧来の思想的な有機農業運動の偏狭さを感じる方もいるかもしれないし、僕もそう思う。初期の有機農業に反近代主義的な側面があったことは事実だ。
 しかし、魚住は「私は近代的なものや、経済そのものを否定しているわけではありませ ん」と強調する。「農業には機械を使いますし、消費者に野菜を運ぶ宅配業者のトラックだって必要です。ただもう少しみんなが豊かになれる方法があるんじゃないか、と思うだけです」
 魚住はガソリン燃料である大型トラクターを使っている。農園は他の有機農家と比べたら効率的に営まれていて、日本の有機農業はかつての思想的な運動から一つの営みの形へと姿を変えつつあると感じる。
農園から届けられる季節の作物には旬があり、それぞれ力強い味がする。春の野菜には苦みがあり、夏の野菜には太陽の香りがする。秋の野菜には豊かな実りがあり、冬の野菜には寒さに耐え抜くための甘さがある。
 こうした野菜を食べていると、季節に逆らうことはなんて無意味なんだろう。技術革新をして冬にトマトを作ったところで、夏のわずかな時期に実るトマトのおいしさにはかなわないのだから。
 おいしさの定義は難しい。だけど、おいしいものは確かに存在する。本当においしい食べ物は、その味が舌から消え去ってしまっても、良質な物語を読んだ後のような心地よい余韻が心に残る。
 帰り際、おいしい卵とはこういう味ではないだろうか、と僕は思った。
 国産の米と魚、野菜を食べて育った鶏が産んだ透明感のある味を知ってしまうと、トウモロコシを食べさせたニワトリから産まれた卵の濃厚な味が不自然に感じられる。最近、日本各地で餌の国産化が進んでいるのはいい傾向だ。例えば飼料メーカーでもある昭和鶏卵の『和のしずく』は国産玄米、もみ米、北海道産のジャガイモ由来の原料を使用してい
る自給率百%の卵だ。米を飼料に使うことは当然、輸入のトウモロコシよりも環境負荷も
低い。
 国の政策によって飼料米の価格がトウモロコシと同程度までに下がったこともあって、他にも各地で米を主体とした飼料でニワトリを育てる試みがなされている。おいしい卵を食べたければ近くにそうした試みをしている養鶏場がないか、探すのもいい。

 僕は数年前から、食の現場をめぐりはじめた。はじめは畑を中心に廻り、そのうち取材の範囲を食品メーカーなどに広げていき、二〇一二年の終わりからはダイヤモンド社が運営しているダイヤモンド・オンラインというウェブサイトで『ニッポン 食の遺餐探訪』という連載をはじめた。
 僕のなかにあったのは日本のことをもっと知りたいという気持ちだった。その頃、和食のユネスコ無形文化遺産への登録が話題になっていたが、僕自身も仕事での必要性から日本料理を学びはじめたところだった。
 日本料理勉強しはじめてすぐに「自分は驚くほど日本のことを知らない」ということがわかった。外国人に日本の食べ物について聞かれて、正確に答えられるだろうか。鰹節には荒節と本枯節があるけれど、その二種類の違いは説明できるだろうか。
 醬油一つとっても、様々な種類があり、僕の知らない歴史があった。僕は日本の食べ物について、きちんと勉強したかった。おいしさの理由を知るためには、実際に現地に足を運び、自分の舌で味わうしかない。幸いなことに僕は行く先々で素晴らしい志を持った職人や生産者と出会うことができた。
 志のある食品メーカーを訪ねて「この食べ物はどうしておいしいんですか?」と尋ねると「それはね」という具合に背景を解説してくれた。彼らの素材に対する心配りを知ると料理人として反省させられることも多く、小説家としては彼らの人生に心を動かされた。
 生産地をまわっていると、これまでの認識が改まるような経験を何度もする。上手に育った作物は淡い色をしていることを知った。他にも朝採りレタスが商品名になるくらいだからレタスは採れたてがいいと思い込んでいたが、一晩経ったほうが苦味が消え、甘さが引き立つ、ということにも驚いた。
 生産現場でないと味わえない野菜もある。スーパーで売られているほうれん草はせいぜい二十五センチといったところだが、盛りの時期を過ぎると四十センチほどになる。味はとびきりいいのだが流通の都合で一般には手に入らない。
 一般的に売られていないものでは白菜の菜の花の味にも驚いた。白菜はアブラナ科の野菜なので、放っておくと薹立ちして、菜の花を咲かせる。
 この蕾は茹でて食べるとやわらかく、絵の具を刷毛で引いたような長い余韻のある甘さとほのかな春の苦味があって、と
てもおいしい。
 同じ野菜でも品種によって味が大きく違うことも知った。僕はそれまでレシピにカブと書いてあればカブだし、品種の違いなどせいぜい男爵いもとメークイン、桃太郎トマトとファーストトマトくらいしか気にしていなかった。
 例えば水菜は冬になるとサラダや鍋物用に出回る野菜だが、僕は個人的にとくにおいしいと思ったことがなかった。水っぽく風味に乏しく、嚙むと繊維が口に障るからだ。
 ある時、訪れた畑で背丈が低く、ギザギザの葉の水菜を見かけた。聞くと在来の晩生水菜という品種で、スーパーで売られている早生のものとは違うという話だった。食べてみ ると緑の味が濃く、繊維感が強くない。どこかルッコラに近い風味で、自分のそれまでの イメージを変える味だった。僕は自分がいかに漫然と食材を扱っていたか思い知らされた。
 在来種は固定種とも言われ、地域の農家が保存してきた品種だ。そもそものはじまり──人間が農業をはじめた紀元前から──農民は収穫した種を保存し、翌年に生かすことを知っていた。
 一九五〇年代までは日本の全国各地で、それぞれの地方で受け継がれた野菜が栽培されていた。ところが六十年代に入ると品種改良された一代雑種(F1)品種が登場する。
 F1 品種は形も生育時期も揃い、段ボール箱に収めやすいことから急速に普及していき、 在来品種は今では栽培している農家が数軒といった絶滅危惧の種もある。
 こんな風に書くと在来野菜が良くて、F1 品種が経済効率を優先させた悪者のように思 われるかもしれない。しかし、そういうわけではなく、F1 品種のなかには日持ちを良く するために硬く、風味の乏しいものもあるが、味のために交配させた品種もある。ただ、 在来野菜には味以外の価値がある、という話だ。
  在来野菜に文化財としての価値を見出した山形大学名誉教授の青葉高は著書『野菜──在来品種の系譜』でそれをこんな風に書いている。

 一粒のムギ、一つのカブにも、それらの誕生以来現在までの数千年の歴史が秘められている。とくに在来品種のように古くから伝わってきた作物の形質、それを表現する遺伝因子は、その祖先が何であるかを、祖先の遍歴してきた渡来経路を、その間移り住んだ土地の環境条件の影響を、また人類とのかかわりあいの様相を、保持し伝えている。

 在来野菜がおいしい理由は我々の遺伝子に祖先の歴史が刻み込まれているからだ。おいしさとは農園が守ってきた土と野菜の遺伝子、そこに生産者の栽培技術が組み合わさった結果なのだ。
 味は一瞬で消えてしまう。でも、そこにあった想いは永遠に残り、その味は 「我々がどこから来たのか」という歴史を教えてくれるのである。炊きたてのご飯に納豆、 それに味噌汁というような食事がおいしいのは、日本人がその味を受け継いできたからに 他ならない。
  取材を続けるうちにわかってきたのは文化、歴史、環境、技術といった様々な要素が混 ざり合って日本の味をつくっているということだ。この本では、それらの味を守っている 人たちの存在│ 優れた食材とそれを支える人々の物語を通して、日本のおいしさの理由を探っていきたい。
  なお本書の取材はすべて二〇一〇~二〇一六年にかけておこなわれた。


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