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長いかんがえこと-19 1.20

1.7 晴

ふた駅歩く。これからはどこにお金を落とすのかかんがえるのだ、とかんがえていると、普段気づかなかった看板に目がとまるようになり、良い感じのカフェを見つける。


お得意先へ、思い立ってごあいさつにお菓子をすこしばかり、お渡ししてみる。帰りには別のお客に偶然お会いし、ごあいさつ。

こういうの。私はよろこんでいる。突然体の中のどこかに花が咲いたような。予定調和でない、その場で生まれるもの。


体形の変化を受け入れないために夜は魔法のジュースのようなものを飲んで過ごす。最短距離などないのだけれど。


1.8 晴

ふた駅歩く。

本棚にあってまだ読んでないものを、と思い「薬屋のタバサ」を手に取る。なんだか文体というか主人公の心に流れているもの、が自分のことばに近い温度を感じて、いや正確には私のことばが彼女の文体に似ていて、そういう主人公の心の中を漂い続けているものがストーリーの底辺に流れているのがわりと心地良い感じで。「薬屋のタバサ」については人物像をぼわっとイメージしてみるけれど、いまいちつかめないというか。あやしさ。


1.9

いつもと違うルートにて、ひと駅ぶん、歩く。


今私はとても快適でつまりcomfortable。けれどそれを維持するためには動き続けなければいけないのだろう。ずっとこのままでいたいと思い続けるだけではきっと、ただの停滞で。

食事も家事もきちんとできて気持ち良く過ごしていられてるけれど結局ルーティンをこなして完結しているだけで。なんとなくいろいろかんがえてはいるものの、それ以上のことはなにもしていない。なにもしていなければ当然、心も泡立つこともなく。


1.12 晴

歩くつもりで駅の入り口をとおりすぎ、そのまま反対側の入り口へ向かい、電車に乗った。


どんどん先に進んでいる人をみては、「とにかく動く!まずはやってみる!」の呪縛。けれど結局自分は内に内に、内省して静かに掘り進めることでしか、始められないのだ。


1.13 晴

満足な生活は、当たり前ではないのであって。不安にもなる一方で、でもそれほど多くのものを必要ともしていない。たとえば今日のようにだれかとご飯を食べて笑って話して、それだけでもう、一週間はこの温度で生きていける気がしている。

帰りは月がよく見えた。黄桃のような、みずみずしい月。


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1.15 晴

処分する水槽を部屋から出す。偶然帰宅したアパートの住人が、手伝ってくれた。いつだって隣人、には禁断の香りが漂う。いやただただ感謝。


1.17 晴

もう木曜日になっている。先週の日記の続きを書いている。書いていて、全部、消える。消えたので、寝ることにする。

あのとき感じたことはそのときに書いておかなければもうたどることはできなくて、同じことばを追うことは、もうできないでいる。


1.18 晴

なにも始まっていなかったものにも、はっきりと感じる、終わり。それはつまり、絶対的な距離。自分で決めた、自分でおいた距離。でも本当に終わりか。自分で決めたものなら、自分で始めなおすことも、自分次第。

自分次第だが。


1.20  晴

わたしの哲学、かんがえたいこと、関心、やりたいこと、が、一瞬にしてすべてつながった。ほんの少しずつでも、動いていれば光が射すときはくるもので、このまま自分らしく進んでいればいいんだなんて安室奈美恵のインタビュー映像を眺めながら夢を見ているように、でも確信はつよく、思っている。同時に彼女の25年間、を思い、自分の25年後、60か、持続可能なわたしで生きているだろうか、とその歩幅を無謀ながら彼女と並べてみたり、していた。



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