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旅先でかんがえこと-新潟①

地元の本屋巡りの旅、転じて孤独な地方の旅


空気のつめたい朝の通り。体の奥がきゅうっとなるのは、いつか実家から車に乗りやってきた東京の、東京の朝に降りたった時に感じた、無機質な空気がよぎるから。


バスの時間までまだ30分くらいあった。遠回りして、すこし街をぶらぶらする。こういう、ただぶらりとするためにぶらっとするようなことが意外と、ないなあと思う。人通りは少ない。ふだん目に入らない看板が妙に目立って見える。人通りの多い時には、どこを見てあるいているのだろう。


バス停についてしまっても、まだ15分くらいある。15分もあった。けれどtwitterの画面を開くと、時間は一瞬のうちに過ぎていった。

私はまだ、東京にいた。


バスに乗りこみ、駅前で調達したおにぎりを、食べる。おにぎり屋さんのおにぎりは、とても普通で、ただただふつうで、それが、良かった。スッと取り込まれていく。誰かの手によって握られたおにぎり。

バスでの時間は、良い。時間を忘れて、本を雑誌を読む。前の席に座った外国人男性は座席のシートを倒しすぎだったけれど、紅葉しはじめた車窓の景色にくぎづけになっていて、ほほえましかった。


バスは100分遅れで新潟駅前へ到着した。行程遂行のリミットの電車にすべり込む。

20分ほど電車に揺られ、内野駅で降りる。駅舎はとても大きく立派な建物で、まだ建てられてそれほど経っていないようだった。


駅からすぐの四つ角にある、「ウチノ食堂」へ入る。

200年続いた魚屋を改装したという建物。自宅の居間のように作られた5~6席のスペースはいっぱいで、しばらく併設の本屋をのぞいて待つことにする。

そこは小さな棚をいくつか置いた間借り本屋風スペースで、古本が味のある木のしつらえにしっくりとなじんでならんでいた。もともとは玄関だったところだろうか。上がりにはスリッパが置かれ、奥にも古本がたくさん積まれていた。


食堂スペースが空くと、ベンチのような席に座り、カレーを注文する。他の客たちはみな来る人来る人、声をかけあい、ゆるく知り合いの様子。そんなところによそ者が一人混入してしまったようで、汗が、止まらない。カレーはおいしくいただいた。

もう一度本屋をのぞいて、店を出る。


町で、地域で商うということをかんがえる。

地域 / まちづくり / ローカル / つながる / コミュニティ...そんなワードを目にするたび、そんなにいつもつながりたいと思わないタイプの自分は、やっていけるのだろうかと、ふと思う。「本屋」であり「まちの商店」として地域に根ざしていかなければいけないー というような、結果としてそうなればよいのだろうけれど、やはり本屋は人、店も人。


その後内野駅から電車に乗り、新潟駅へ戻る。祝日だったけれど車内は学生でごったがえしている。今の新潟の女子高生のスタイルは、ひざが隠れる長さのスカートに足首までのソックス、が定番のようだ。思えば自分の半分くらいの年の頃の少女たち。


新潟駅から信越線にのりかえ、新津駅へ向かう。

車内のアナウンスは都内で聞くそれと同じ声のようで、そのせいか不思議とふだんとちがう土地にいるような感覚が、あまりしない。


新津は夕日が圧倒的だった。さえぎるものなく一直線に届くそれは、まぶしいというか、胸の奥にそのままつきささるように、私の隠している何かを見透かすように強く。


新津駅から徒歩で10分ほど、「英進堂」はショッピングセンターの中にあった。

地方にはよくあるような、スーパーやホームセンターなんかが一緒に入った建物の中。

とても広く余裕があって、広さのわりに本は多すぎない、厳選されている。かつ入り口から離れた奥のコーナーまでその目は行き届いていて、ていねいに手が入れられているのが、素人の私にもわかる。

だれでも楽しんで本が選べる、すべての人のための本屋の姿。

こういう配置の書店コーナー、はよく知った風景だったけれど、この本屋体験は、ちょっと衝撃だった。

大変プッシュされていた、地元のラジオパーソナリティ・遠藤麻里のエッセイを買ってみる。面白くて、ほろっときて。揺さぶる文章。


新津には1時間もいられなかったけれど、次に英進堂へ来るときには、近くの「夕映えの跨線橋」から、夕日を見たいと思う。町をみて、人を感じて、今日の夕日とはちがうそれを、今日とはちがう私で。


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