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ただいま休憩中

気づけば2か月もたっている。

それは、終わる・・・と思った瞬間から突然目の前に強く立ち上がってきて、気になってしかたがなく、いままでのようにただふわふわと思いを広げていく空間はなくなり、いつもしていたようなかんがえことのような、心の動きの鋭敏さも失われていくのだった。麻薬。


そして、仕事をやめた。


しばらく話していなかった人は、ひとことくらい挨拶をと思っている間に、先に退社していた。

後輩ふたりが飲みに誘ってくれたので、ついてゆく。

泣くのかな、と思っていたけれど、どこか相手が泣くのを待っているように、泣かなかった。私が泣いていたら、むこうも泣いただろうか。


自分で終わらせたはずのものは自分では受け入れられず、終わりに形を与えてくれているはずのものは、終わりとはしていなくて。

私は一冊書き終えて新しい一冊の構想をねっているつもりで、彼女らにとっては、ある一章は終わったけれど物語はつづいていて、その先の登場人物として私がまだ存在しているらしいのが、衝撃で、ありがたい。


そして一日がたったころに、気づく。いかに仕事しかしてこなかったのかと。それは依存にちかいもの。生活のため、という以上のなにか。この喪失感は、恋を失った時のそれに似ていて、まだどこかでつづいているような気がしていて、明日もまた同じようにくりかえされるそれは日常で、それがないのだと気づいたとき、いまさらのように、愕然としている。


香り、が記憶を越えて、私をいつかの地点に引き戻す。

時間はある方向ではまっすぐではなく円になっているのではと。同じところをぐるぐるまわってまたもどってきて。でもその時は必ずきて、ただまっすぐ動いていたとしか思えなくなる。

ただ言えるのは、<イマココ> の点をつみかさねていくしか、昔も未来もつくられないのだということ。



~平成のおわりに。

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