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富山大学単位不認定事件

こんにちは。

 今日は、大学の授業の単位不認定と専攻科修了不認定をめぐって裁判で争われた最判昭和52年3月15日を紹介したいと思います。


1 どんな事件だったのか

 内田穣吉は、1943年に治安維持法違反で特別高等警察により検挙されましたが、起訴猶予処分になっていました。その後、マルクス経済学者として、富山大学経済学部に所属していましたが、成績証明書の偽造をしていたことが発覚しました。経済学部長は内田教授に対して教授会への出席停止措置をとりましたが、内田教授はそれに従いませんでした。そのため、内田教授の授業科目および演習などの授業担当を停止する措置をしたうえ、受講生に対しては、代替の授業科目や演習などを履修するように指示しました。
 しかし、内田教授が担当する経済原論の講義を受けていた藤田勝秀ら5名は、引き続き内田教授の授業に出席し、試験を受けていました。内田教授が成績表を学部長に提出しましたが、単位認定されなかったことから、学生の藤田らは、富山大学の学長と経済学部長を相手に、単位を授与しないことが違法であることの確認を求めて提訴しました。
 また専攻科に所属し、内田教授の専攻科演習を受講しいていた針原雄四郎も、富山大学学長と経済学部長を相手に、修了を認定しないことが違法であることの確認を求めて提訴しました。

2 単位不認定事件に関する最高裁判所の判決

 裁判所は、憲法に特別の定めがある場合を除いて、一切の法律上の争訟を裁判する権限を有するのであるが(裁判所法3条1項)、ここにいう一切の法律上の争訟とはあらゆる法律上の係争を意味するものではない。すなわち、ひと口に法律上の係争といつても、その範囲は広汎であり、その中には事柄の特質上裁判所の司法審査の対象外におくのを適当とするものもあるのであって、例えば、一般市民社会の中にあつてこれとは別個に自律的な法規範を有する特殊な部分社会における法律上の係争のごときは、それが一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、その自主的、自律的な解決に委ねるのを適当とし、裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが、相当である。
 そして、大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究とを目的とする教育研究施設であって、その設置目的を達成するために必要な諸事項については、法令に格別の規定がない場合でも、学則等によりこれを規定し、実施することのできる自律的、包括的な権能を有し、一般市民社会とは異なる特殊な部分社会を形成しているのであるから、このような特殊な部分社会である大学における法律上の係争のすべてが当然に裁判所の司法審査の対象になるものではなく、一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題は右司法審査の対象から除かれるべきものであることは、叙上説示の点に照らし、明らかというべきである。そこで、次に、右の見地に立つて本件をみるのに、大学の単位制度については大学設置基準がこれを定めているが、これによれば、大学の教育課程は各授業科目を必修、選択及び自由の各科目に分け、これを各年次に配当して編成されるが、右各授業科目にはその履修に要する時間数に応じて単位が配付されていて、それぞれの授業科目を履修し試験に合格すると当該授業科目につき所定数の単位が授与(認定)されることになっており、右教育課程に従い大学に4年以上在学し所定の授業科目につき合計124単位以上を修得することが卒業の要件とされているのであるから、単位の授与(認定)という行為は、学生が当該授業科目を履修し試験に合格したことを確認する教育上の措置であり、卒業の要件をなすものではあるが、当然に一般市民法秩序と直接の関係を有するものでないことは明らかである。それゆえ、単位授与(認定)行為は、他にそれが一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることを肯認するに足りる特段の事情のない限り、純然たる大学内部の問題として大学の自主的、自律的な判断に委ねられるべきものであって、裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが、相当である。所論は、現行法上又は社会生活上単位の取得それ自体が一種の資格要件とされる場合があるから、単位授与(認定)行為は司法審査の対象になるものと解すべきであるという。
 しかしながら、特定の授業科目の単位の取得それ自体が一般市民法上一種の資格要件とされる場合のあることは所論のとおりであり、その限りにおいて単位授与(認定)行為が一般市民法秩序と直接の関係を有することは否定できないが、そのような場合はいまだ極めて限られており、一部に右のような場合があるからといって、 一般的にすべての授業科目の単位の取得が一般市民法上の資格地位に関係するものであり、単位授与(認定)行為が常に一般市民法秩序と直接の関係を有するものであるということはできない。そして、本件単位授与(認定)行為が一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることについては、藤田らはなんらの主張立証もしていない。
 してみれば、本件単位授与(認定)行為は、裁判所の司法審査の対象にはならないものというべく、これと結論を同じくする原審の判断は、結局、正当である。論旨は、右説示と異なる見解に立つて原判決の違法をいい、それを前提として原判決の違憲をいうものであつて、採用することができない。  
 よって、藤田らの上告を棄却する。

3 専攻科修了不認定事件に関する最高裁判所の判決

 国公立の大学は公の教育研究施設として一般市民の利用に供されたものであり、学生は一般市民としてかかる公の施設である国公立大学を利用する権利を有するから、学生に対して国公立大学の利用を拒否することは、学生が一般市民として有する右公の施設を利用する権利を侵害するものとして司法審査の対象になるものというべきである。そして、右の見地に立って本件をみるのに、大学の専攻科は、大学を卒業した者又はこれと同等以上の学力があると認められる者に対して、精深な程度において、特別の事項を教授し、その研究を指導することを目的として設置されるものであり、大学の専攻科への入学は、大学の学部入学などと同じく、大学利用の一形態であるということができる。そして、専攻科に入学した学生は、大学所定の教育課程に従いこれを履修し専攻科を修了することによつて、専攻科入学の目的を達することができるのであって、学生が専攻科修了の要件を充足したにもかかわらず大学が専攻科修了の認定をしないときは、学生は専攻科を修了することができず、専攻科入学の目的を達することができないのであるから、国公立の大学において右のように大学が専攻科修了の認定をしないことは、実質的にみて、一般市民としての学生の国公立大学の利用を拒否することにほかならないものというべく、その意味において、学生が一般市民として有する公の 施設を利用する権利を侵害するものであると解するのが、相当である。されば、本件専攻科修了の認定、不認定に関する争いは司法審査の対象になるものというべく、これと結論を同じくする原審の判断は、正当として是認することができる。  
 論旨は、法令上専攻科修了なる観念は存在せず、したがって、専攻科修了の認定というのも法令に根拠を有しない事実上のものであるから、専攻科修了の認定という行為は行政事件訴訟法3条にいう処分にあたらない、と主張する。しかしながら、大学の専攻科というのは、前述のような教育目的をもつた一つの教育課程であるから、事理の性質上当然に、その修了という観念があるものというべきである。また、学校教育法57条は、専攻科の教育目的、入学資格及び修業年限について定めるのみで、専攻科修了の要件、効果等について定めるところはないが、それは、大学は、一般に、その設置目的を達成するために必要な諸事項については、法令に格別の規定がない場合でも、学則等においてこれを規定し、実施することのできる自律的、 包括的な権能を有するところから、専攻科修了の要件、効果等同法に定めのない事項はすべて各大学の学則等の定めるところにゆだねる趣旨であると解されるのである。そして、現に、本件富山大学学則においても、「専攻科の教育課程は、別に定めるところによる。」(60条)、「専攻科に1年以上在学し所定の単位を履修取得した者は、課程を修了したものと認め修了証書を授与する。」(61条)と規定し ているのであるから、法令上専攻科修了なる観念が存在し、専攻科修了の認定という行為が法令に根拠を有するものであることは明らかというべきである。そして、 このことと、前述のように、国公立の大学は公の教育研究施設として一般市民の利用に供されたものであって、国公立大学における専攻科修了の認定、不認定は学生が一般市民として有する右公の施設を利用する権利に関係するものであることとにかんがみれば、本件専攻科修了の認定行為は行政事件訴訟法3条にいう処分にあたると解するのが、相当である。それゆえ、論旨は、採用することができない。  
 論旨は、また、専攻科修了の認定は、大学当局の専権に属する教育作用であるから、司法審査の対象にはならないと主張する。しかしながら、富山大学学則61条に よれば、前述のように、1年以上の在学と所定の単位の修得とが同大学の専攻科修了の要件とされているにすぎず、小学校、中学校及び高等学校の卒業が児童又は生徒の平素の成績の評価という教育上の見地からする優れて専門的な価値判断をその要件としているのと趣を異にしている。そ れゆえ、本件専攻料の修了については、前記の要件以外に論旨のいうような教育上の見地からする価値判断がその要件とされているものと考えることはできない。そして、右要件が充足されたかどうかについては、格別教育上の見地からする専門的な判断を必要とするものではないから、司法審査になじむものというべく、右の論旨もまた、採用することができない。
 よって、原判決中、経済学部長に対する単位認定の請求に関する部分を破棄し、その部分に関する針原氏の控訴を棄却する。また学長及び学部長のその余の上告を棄却する。

4 大学の単位認定と部分社会の法理

 今回のケースで裁判所は、大学における授業科目の単位授与行為は、一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることを肯認するに足りる特段の事情のない限り司法審査の対象にならないが、国公立大学における専攻科修了認定行為は、司法審査の対象となるとしました。
 つまり組織内で生じた紛争に関しては、原則として司法審査が制約されるとされますが、専攻科修了の不認定行為は内部問題にとどまらないので司法審査の対象になるとされました。このように、日本の司法において、組織内部の規律問題については司法審査が制限されるという考え方は、部分社会の法理と呼ばれていることにも注意が必要でしょうね。
 では、今日はこの辺で、また。


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