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私家版 すとぷり映画【こんなんだったらいいな】

子供(もうすぐ中学生)がすとぷりをうぉちしておりまして。

私のざっくり理解だと我が子のすとぷり感=「トラブル多い。リーダーが文春砲食らってて内容概ね事実。紅白に出た。でもいいシンガーもいるから全くのネタ枠ではない。」というところらしいです。

去年「RE:STARS」(メンバーの莉犬さんが声優として出演。莉犬氏の歌唱は私も好き)を観に連れていきました。その時のファンが「地雷系を上下キメた女児」と「『君それもしかして寝巻き?』の女性」に極端に二分されててもう吹き出す寸前でした。

それから リーダーのあれやこれやについて子供が面白おかしく聞かせるもので、すとぷりのリーダーという人を画面で見るたびに笑ってはいけないと思いつつ笑ってしまうのです。

その子供から「今度すとぷりが映画化するらしい」という話を聞いた瞬間、もう私の中では序盤の展開が脳内再生ですよ。


眼の前にある将棋の盤面が歪み始める。

ガチンコの勝負において「自分自身が」「やってしまった」というミスを自覚した時以上の恐怖感はこの世にないと、今でも断言できる。特に、将棋という競技における一定以上のレベルでの差し合いの中でのミスは致命的だ。

頭を再び整理してリカバリしなければいけない。嗚呼、そうしなければいけないのに盤面が歪む。歪むってことは俺は冷静さを保てていない、そういうことだ。

俺は、
勝たなくちゃいけない。
勝たなくちゃいけないんだ。
何故かって?
他の奴が負けるのとは意味が違う。

俺には、
これしかない。
考えうる限り全ての時間と能力を注ぎ込んできた。

そんな事を考えていては駄目だと理性ではわかっている。
やる気や心で局面が変わるなら誰も苦労はしない。
将棋は「感情」や「魂」に影響を受けない競技であり、俺はそれが好きだからこそすべてを注ぎ込んできたんじゃないか。

そう信じていたはずなのに、この時だけは祈った。
「勝たせてくれよ」
「神様でもなんでもいいよ」
「俺にはこれしかないんだよ」
「これが駄目だったら俺には何も残らないんだよ」

盤面の歪みはまったく収まらず、
相手の指し手はどこまでも冷静で。
注ぎ込んだ努力の差?
…それはない。俺のほうが上だと断言できる。
いや…できるのか?
自分に対する確信が揺らぎ始める。
いや、仮に俺のほうが上だったとしても、それを跳ね返す要素があるだろ?という声が自分の中に響く。

「才能」ってやつだ。

でもな。
才能というんだったら、俺に才能がなくちゃおかしいだろ?
容姿も至って平凡。どちらかといえば冴えないと自覚している。勉強だって自分ではできるつもりでいたけれど、もっとできるやつは山程いることを中学あたりから実感し始めた。

だから将棋だった。
俺が打ち込めば打ち込むほど俺の中の将棋の女神は俺に優しくなっていった。そうして言葉をかけてくれた。

…頑張れ。
…貴方は他の人とは違う。
…努力すれば報われる。

なあ、答えてくれよ今まで俺の中にいた将棋の女神。
こんな時には何も言ってくれないんだな。

盤面はますます歪むが、俺の努力は俺を裏切らず、さっき以上の悪手を指すことはなかった。

悪手を指すことはなかった。
だが「それだけだ」。

さっきの悪手を失策を取り戻すことのないまま、俺は投了した。
そして、投了と同時に俺の心は「折れた」。
その後の事は流れ作業としてしか覚えていない。

どれほど時間が経っただろうか?
「敗北」「奨励会には遠く及ばなかった」という単純な事実が俺の頭の中から離れてくれない。

「俺の全てを賭けた」
「だが、遠く及ばなかった」
「じゃあ、俺は何者なんだ?」
「俺はどう生きていけばいい?」


ここから始まって、文春砲のあたりまでガッツリ描いてくれたら一万円出してもいいですが、どんなもんでしょう?

すぐわかると思いますが、夢枕獏の影響受けまくり文体です。
たまに夢枕獏文体を真似するのは、実に楽しいのです笑



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