見出し画像

プロデビュー戦

プロデビューが決まってからは土日にMMAの練習を増やした。
アマチュアコンテンダーズに続き太志朗も一緒に出ることになった。
試合の契約体重も何キロとか決まってはいなかったと記憶しているが自分の体重を申告して、経歴や体重からマッチメイクされるようだった。

契約書と言うものは見ていない。
上山さんにはギャラは1万円と伝えられた。
俺が型枠大工で日当17000円ほど貰っていた頃だ。
正直ギャラとかどうでも良かったし試合が始まる前まで俺なんかが総合格闘技の試合に出て良いのだろうか?と言う葛藤があった。
悩んでも仕方ないので働いて練習しまくるしか、この時の俺には無かった。

仕掛人

ちょこちょこスクーターに乗って夜にジムに現れる木下雄一さんと言う人はどうやら格闘技関係者のようだ。
田村さんとのミーティングついでに練習をしていくのだが格闘技は素人のようで、木下さんはクラスに参加したりするのだが俺が打撃を教えたりさせてもらった。

同い年の上山さんとは一緒に飯を食いに行ったりプライベートでも付き合うようになり、よく話していたので木下さんが何者なのかを教えてくれた。
木下さんは元UWFインターナショナルの社員だったそうだ。
田村さん、上山さんはUインターの選手だったので元同僚と言う間柄でもある。

俺はUインターに興味が無くて中学からの前田日明信者でリングスが好きでU-FILEに入ったのだけどU-FILEはリングスから離れて独自の動きをしようとしているのがこの頃から感じられた。
どうやらそのフィクサー的存在が木下さんのようだ。

この時期、田村さんはインタビューなどで所属しているリングスに不満を漏らしていて2001年4月20日グスタボ・シム戦では指の怪我を押して出場。
グローブを着けずに素手で試合をしたものの途中から怪我も狙われて不完全燃焼のまま試合を終えている。
田村さんは試合技、客に「グローブ着けろ」と野次られて「うるせぇ」とぶち切れ返していた。

田村さんのリングスに対する不満については
田村さん本人は我々は疎か、上山さんにすらも話はしていないと思うので、ここら辺の話は雑誌で読んだりした当時の雑感でもある。
グスタボ戦はチケットを買って会場にいたのだけど。
この時期に田村さんと仕掛け人の木下さんはリングスの先を見据えていたのでは?と今になると思う。

2001/5/5ネオブラ予選

このような情勢の中、俺はU-FILEから初のパンクラスへ選手が参戦する事となる。U-FILEと言っても田村さんと上山さん以外は所属選手は知られていない格闘技ファンには、まだベールに包まれたジムだった。

地元山形県鶴岡市の仲間、トモちゃんやケンヤとは格闘技を始めてからも、よく電話で話をしていた。
俺が格闘技をやっているのは地元の仲間達は知っているのだけど現場仕事をしながらどのくらいの努力をしているかなどは知る由もない。

バイクで走り回っていたような高校生活を送っていた俺だから、真面目にやっているとは思われてはいなかったのかも知れない。

そんな俺が地元の仲間にパンクラスの試合に出る事になったと伝えると、皆が驚くと同時にいくら鶴岡で喧嘩強くてもプロ相手じゃ無理だろうみたいな話に当時はなっていたそうだ。
柔道やレスリング経験も無く高校時代に極真空手をちょろっとやっていただけの現場作業員がプロ格闘技として有名なパンクラスでは通用する筈がないと思われるのが普通。

自分の気持ちとして2年前までは現場仕事の寮暮らしで働きまくっていただけの生活を送っていただけだったから、体は少々キツくても格闘技をやる事だけでも生き甲斐を感じ、満足感があった。
なので、この試合については勝敗には拘ってはいなかったし皆の前でボロクソにやられたとしても、やらないで一生後悔するなら思い切りやってみようと思っていた。
U-FILEに入会した時の初心を忘れてはいなかったのだ。

試合の2週間前くらいだったかに組み合わせが発表された。
太志朗は自分より前の試合順だったのだが上山さんに俺が伝えられたのは長南君メインみたいだよと言う何故俺が?と一瞬驚かされる試合順だった。
しかし俺は長い時間ただの格闘技ファンだったので状況はすぐに理解出来た。
メインに選ばれた事に喜ぶ訳ではない。
田村さんのU-FILEが参戦すると言う事になり若干の話題性がありつつもパンクラス所属の選手だったら無名のアマチュアなんかには負けないと踏んだパンクラス目線のマッチメイクなのだ。
俺は完全なアンダードッグだ。

対戦相手はパンクラス横浜道場所属の佐藤光留選手と伝えられた。
ちょろっと映像で見た事はあった。
印象として喧嘩だったら絶対負けない。そう感じた。
試合の2日前まで普通に現場で働いていた。練習もギリギリまでやっていた。
調整も減量も何も知らなかった時代。
試合の日が訪れた。

VS 佐藤光留

大田区総合体育館。会場に到着すると驚いた。
ただの体育館の真ん中にリングが置いてあるだけなのだ。
座席も無く客と言うか応援団はリングを囲みバラバラに座っていた。
パンクラス公式戦と言えどネオブラ予選となるとアマチュアみたいな会場だ。
俺にとっては拍子抜けした感じで逆にそれが緊張もする事もなくなり良かったのかも知れない。

3試合目に出場の太志朗はストライプルの岩崎選手と戦いグランドで完封されて負けていた。
太志朗はずっと一緒に練習していたのでこのトーナメントのレベルがそれで解った。
この日はジムから沢山の会員さん達が応援に来てくれていた。
地元からもトモちゃんやユタ達が車で応援に来てくれていた。
太志朗が負けてより腹を括った。
俺がやるしかねぇ。

思えば高校時代の極真空手では緊張して体が動かなくなるくらいあがり症だったのだが、この時はそんな事がなかった。
苦しい時期も過ごしたし人に応援される事がこんなに有難いものなのかと気持ちに一切の迷いはなかった。
入場テーマも何も無い中、呼び出されると真っ直ぐリングを睨みそこへ向かった。

佐藤選手と対峙した。背格好は自分と同じくらいだった。俺は殺す気で睨みつけた。
ゴングが鳴るやパンチの連打を相手の顔面に打ち込んだ。
相手は全く見えていないようだったが何故か俺は組んでしまった。
普通に距離を取って殴り続ければ良いものを殴った後は自分から組んでしまった。
その時組んだ感じは簡単に倒せそうな気がしたのだったが俺は元々組み技ををやっていないし相手はレスリングの選手だ。
そしてタックルで担ぎ上げられテイクダウンを奪われた。俺は下になるとすかさずアームロックを狙った。
U-FILEのジムの中だったら完全に一本取れそうな感じだったが佐藤選手のロックは外れずそのまま1Rが終わった。

この展開が多かった

下から仕掛けたのは俺だったしグランドで相手は上にいるけどこれと言って何もされてはいないとは思ったけれどアウェイで下の時間が長いのは印象悪いかな?と思った。

2Rは佐藤選手がタックルに来たのでそれを完全に切って頭を蹴り上げた。当時はサッカーボールキックがOKだった。
場内が一瞬どよめいたのが解った。
そして打撃の攻防の中で佐藤選手の頭が俺の頬辺りにに直撃した。
何が当たったのかは一瞬解らなかったのだが意識が初めて飛びそうになった。
今ではバッティングを見分ける天才的な梅木レフェリーもこのバッティングは完全に見逃していた。

友人のカメラがその瞬間を捉える

その後もしつこく組まれそのラウンドでバックドロップを喰らってしまったようだ。
ようだと言うのは自分的にはただ後方に倒されただけだと思ったら見ていた人達に後でからバックドロップだったと聞かされたのだ。
1R同様に下から仕掛けるも佐藤選手はしっかりディフェンスをしていた。
グランド状態で頭が冷静になり、さっきの強烈なやつは多分頭突きだと自分で理解する事が出来た。
2Rが終わり梅木さんにバッティングがあったから注意して欲しいと伝えた。

3R、このままいくと判定では勝てないのでは?と思ったのだがまた上を取られてしまい下からいろいろやるも相手のディフェンスは堅かった。
しかし終盤にブリッジでスイープする事が出来たので今までの鬱憤を晴らすかのようにタコ殴りにした。
あと30秒あればKO出来たと思ったが時間は10秒くらいしかなかった。
タダでは終わらないぞとガッツポーズをした。

判定はジャッジ3者共29対28で佐藤選手を支持した。
初めての試合、緊張した訳じゃ無いけど力みまくって視界がとても狭かったのを覚えている。
だからいちいち組んでしまったのだろう。距離感が全く掴めなかった。
試合後の佐藤選手は泣いていた。内弟子からやっているわけだから、いろいろたいへんなんだろうな〜と思いながら握手を交わした。
リングを降りるとU-FILEの応援団が拍手を送ってくれた。
皆が「全然負けてないですよ」と言ってくれている。地元の仲間達もよくやったと褒めてくれていた。

試合を終えて

バッティングの腫れを冷やしながら地元の仲間達と登戸に移動して遅くまで飲んだ。
負けたけど負けたような気はしなかった。
皆が俺のマンションに泊まり翌日帰って行ったのだが俺はそのまま現場に行った。

登戸のマンションでの翌朝

顔に青タンを作り片目は真っ赤に充血していた。酒も飲んでいるから仕方がない。
仕事の建設現場の監督が俺を見て引いているのが解ったのでこの顔は喧嘩じゃなくて格闘技の試合だと説明した。

親方に負けたと話すとフ〜ンと言ってあまり気に留める様子は無かった
この頃は親方からは俺のやっている格闘技に対する理解が得られていなくてキツい仕事の後に格闘技をやる余力があるのがおかしいとさえ思われていた。
俺も俺で当時は尖って反抗的なところもあった。

その翌日は仕事が終わるといつものようにジムに行った。
目の充血も良くなったので試合2日後からは練習を開始した。
皆がよくやりますね〜と言うのだが負けたくせに練習を休むと言う選択肢が俺には無かった。

試合から数日後、ジムに練習に来ていた木下さんは「あの試合勝ってましたよね?」と俺に話しかけてきた。
まぁ仕方ないのでまた今度頑張りますみたいに答えると、俺も協力するからと言ってくれた。
ジムの前の路上での会話だった。
これが俺達の始まりだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?