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おばけ鳥居

僕らが遊ぶ林の中には、不思議な鳥居があった。
何度見ても、どこを見ても、社はない。
もとからなかったのか、後から壊れてしまったのか。大人たちは、誰も教えてくれなかった。
だから、鳥居の由来はわからない。
でも、そこには確かに鳥居があって、そしてそれは、いつでもそこにあった。
僕らはそれを、「おばけ鳥居」と呼んでいた。
いつからそう呼ばれていたのかは知らない。
でも、おばけ鳥居にはウワサがあって、そして、そのウワサは、子供の僕らには刺激的だった。
その噂とは、夕方、山に日が隠れる頃におばけ鳥居の前で万歳を三回すると、首を吊られてしまうというもの。
その日、僕はそれを試すことになっていた——。

「弘、早くしろよな!」
敦也が僕をせかす。
目の前にはおばけ鳥居。
「本当にやるの……?」
美希子が辺りを見回しながら言う。
「罰ゲームなんだから、やらなきゃダメだね」
悠二のその一言に、僕は意を決する。
「じゃあ、やるよ」
僕は鳥居にむかい、思いっきり万歳をした。
「万歳!万歳!万歳!」

しん……。

僕らは身構えた。けれど、特に何が起こるということもなく、ただ、静けさだけが通り過ぎる。
「何も、起きない、な」
最初に口を開いたのは敦也だ。
悠二が続いて口を開こうとしたその時、

「もし……」

鈴を転がすような声が、静かに響いた。
僕らはゆっくりと振り返る、するとそこには……。
「出たあ!!」
敦也と悠二が真っ先に駆け出す。
美希子は、オロオロとしてから、遅れてその場を逃げ出した。
僕はといえば、逃げ出すこともできず、ただそこに立ち尽くしてしまう。
そこには、女性がいた。雪のように白い肌に、地面に擦るほどの黒髪。
明らかに、人間じゃない。
僕は、どうにかして逃げられないか考えていた。

「もし……ヒロシ様ではありませぬか……?」

え?
僕の思考はそこで止まった。
「そう、だけど……?」
瞬間、女性は髪をかき上げ、顔を見せた。
微笑んでいるが、その目には涙が見える。
「お待ち申しておりました……」
僕はキョトンとする。
すると女性は僕に近づき、僕の手を取った。
「お忘れなのですね。全てお話ししますわ」
それから僕らは、鳥居の下に座り込み、長い、長い話をした。
女性は、琴音と名乗った。
ある日、彼女はこの鳥居の前で、ヒロシという男と出会った。
「私は十四歳、ヒロシ様は、十九歳でした」
二人はすぐに恋に落ち、毎夕、この鳥居の下で多くを語り合った。
「ヒロシ様は、幸せというものを教えてくださりましたわ」
その幸せは長くは続かなかった。
「赤紙が、来ましたの……」
ヒロシは、戦争に駆り出された。それからも暫くは手紙でのやり取りを続けていたらしい。
しかし、アッツ島へ行くという手紙を境に、ヒロシとの文通は終わりを告げた。
その手紙の中に……

「その手紙の中に、こうありましたの」

タトエ、見知ラヌ土地デ命尽キヨウトモ、必ズ君ノ下ヘ

そして、昭和十八年五月。
彼女はそのことを知る。

「アッツ島の守備隊は、玉砕しました」

その時、彼女は玉砕という言葉を初めて目にしたらしいが、それでも、意味はわかったという。

「私は、気が狂うてしまいました」

そして、彼女はこの鳥居で首を吊った。
「すぐに行けば追いつけると思ったのです」
けれど、そうはならなかった。
次に彼女が目覚めたのは、ここにあった社が取り壊された時だった。そう、社は、人の手によって壊されたのだ。
「私は、あの世へは行けませんでしたが、その時悟りました」

私は、この鳥居を守り、ヒロシ様を待つために残されたのだと。

彼女は、そう言った。
それから彼女は、鳥居に取り憑く霊となった。
鳥居を壊そうとする者は皆取り殺した。
そんなことがあったから、大人たちは誰も鳥居のことを話さなかったのだ。
全てを話すと、彼女は言った。
「やっとお会いできましたわ……さあ、一緒にいらして下さい」
その言葉を僕は遮る。
僕がヒロシさんの生まれ変わりかどうかは分からないし、それに僕にはまだ、してみたいこともたくさんある。
だから、もう少しだけ待ってほしいと。
「こうして出会えたのです。何年だって待ちますわ」
そう言って、彼女は微笑んだ。
それから暫く、僕は毎日あの鳥居で彼女と話をした。
就職して町を出てからも、一日たりとも鳥居のことを忘れたことはなかった。
同時に、日に日に自分の中で大きくなるもう一つの意思を感じていた。
そしてそれはついに僕と一つになった。

ヒロシ。

そう、僕はもはや平成を生きる弘ではない。僕は、琴音とともに生きたヒロシだ。
今、僕は数年ぶりにあの鳥居の前に立っている。
手には荒縄。
今まさにそれを鳥居にかける。
琴音の笑う声がする。
待たせたね。
今すぐ行くよ——。

#第1回noteSSF

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