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「共に生きよう」

2年前、某媒体に向けて書いたけど没になった原稿の供養記事です。恋愛系の原稿って普段全然書かないから新鮮でした。

「共に生きよう」

まだ独身だった20代、スタジオジブリ制作の映画「もののけ姫」を観た。メジャーな作品なので詳しいあらすじは割愛するけれど、私の心に強く残ったのは、ラストシーンのアシタカの言葉。山犬に育てられ、森に生きる少女サンが「アシタカは好きだ。でも人間を許すことはできない」と述懐するのに対し、「それでもいい。サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。共に生きよう。会いに行くよ ヤックルに乗って」とアシタカが返すのだ。

別々に暮らしても、共に生きることができる。

その考え方は、まだ若かった私に、生き方の選択肢を増やしてくれたのだと思う。

そこから数年後、私は風変わりな男性と出会った。日本の大学を卒業した日本人なのに、なんと初めての職場はサハラ砂漠のど真ん中。砂とラクダに囲まれた環境で、陽気なアラブ人たちと共に毎日働いているという。そんな彼の口から語られる砂漠の日常は非常に魅力的で、我々は時差7時間の超遠距離恋愛に踏み出すことになる。

サハラ砂漠の真ん中でも、インターネットがつながるのが21世紀。当時テキストアプリは連絡手段のメインではなかったものの、eメールは普通に使えた。それでも我々は、電話で直接声を聴くことにこだわった。その日あった些細なことから仕事の愚痴まで、時差の間隙をぬって話し合ったのを覚えてる。

そんなある日、何の話の流れか忘れたが、私の過去の「痴漢被害」が話題にでた。その時、自分の被害経験の中でもひときわキャラの強い痴漢のことを、非常に面白おかしく話し、「ありえないよねー」と文章化するなら(笑)マークをつける口調で締めた。すると電話の向こうの彼は、笑いで返すことなく、全く予想外の反応を見せた。

「そんなことがあったんだ……。辛かったでしょ。嫌なことを思い出させてごめんね」

と謝ってきたのだ。
その時、私の身体をそよ風が吹き抜け、心のカーテンがそよいだような気がしたのを覚えている。
そうか、辛いと思っていいことなのか。嫌だと感じて良かったんだと遅まきながらに自覚したのだ。日本の都会で電車通学や通勤をしていたら、ほとんどの女性が何らかの痴漢被害にあっているのではないだろうか。それだけに、「こんなことは普通なんだ」「特別なことじゃない」と思いこもうとしていた。けれどそうだ、本当は嫌だったんだということに気が付いてしまった(そして今では、許しがたい犯罪なのだということも分かっている)。
そこから私は、遅きに失したとはいえ、自分の尊厳を守ることに努めることにした。そう努力できる自分になろうとした。

そんな電話中心の1年の遠距離恋愛を経て、私たちは共に生きることを決めた。とはいえ、彼の勤務地は家族帯同不可だったので、遠距離なのは相変わらず。そのままサハラ砂漠と日本の遠距離結婚生活だった。2か月に一度の休暇に日本やヨーロッパのどこかで合流するというサイクルを2年続け、彼の異動を機に、満を持して北アフリカのリビアでついに初めての同居。けれどほっとしたのもつかの間、2年後にはリビアの革命に遭遇し、スーツケースひとつで脱出するというスリリングな体験もした。

その後も欧州で共に住んだが、次第にお互いのやりたい仕事、仕事のできる場所、ビザの問題などの折り合いがつかなくなってきた。そしてついに、2017年夏に再びアルジェリアとオランダの遠距離結婚生活に舵をきった。

けれどそれはパートナーシップの解消ではなく、お互いに「共に生きている」実感を日々嚙みしめている。距離は離れていても心は離れないという信頼があるからだ。仮に私が自分の仕事ややりたいことを諦めて彼に帯同していたとしたら、あの痴漢への嫌悪感に蓋をしていたときのように、自分の気持ちに蓋をする必要があったかもしれない。けれど自分の気持ちに正直に生きているので、まっすぐな気持ちで夫と向き合えている。
自分の気持ちに蓋をすることなく向き合える相手なら、たとえ距離が離れていても、きっと共に生きられる。


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