見出し画像

「あなたに必要なひと」とは、つなぎとめようとしないからこそ、逆にあなたにつなぎとめられるひと

愛する人が「今日はだいぶ疲れました」と言ったので
おつかれさま。よく頑張りました。あなたはとてもえらい!と言うと
「いつもえらいのは君です。僕の10倍えらい!」と言う。
それに対して私は
そんなことはない、あなたは私の50倍えらい!と答える。

愛する人とは、いつもそんな会話ばかりしている。

そうやっていつも互いをねぎらい、ほめあう。
些細なこと、当たり前のこと、普通のことをていねいに拾いあげて、ほめる。

いつからだっただろう。
気づいたらそれが自然なことになっていた。

どちらか片方が一方的に相手をねぎらうのではなく、お互いに相手をほめあい、見守りあい、尊びあう。
凝ったことは言わない。ただ素朴に純粋にほめる。

もちろん、相手が今日一日何をどれだけ頑張ったか、それをきちんと具体的には知らない。細かく尋ねたりもしない。
ただ、「この人なら頑張ったに違いない」と信じる。
目の前のその人を心から信じる。

そして「今日も生きていてくれてありがとう」という気持ちを込めてほめる。
たとえ見ていないところの方が多くても、見えていないところも含めて、その人そのものを認めて信じる。

疲れているときほど、どれだけたくさん相手をほめられるかをふたりで競いあう。

そんなことが、私と愛する人の間ではずっと続けられている。
飽きもせず。何の見返りも求めることなく。
まるで、そうすること自体がまわりまわって自分を癒やしてくれるかのように。
どちらからともなく始まり、続いている。


だからだろうか、
この人のそばにいると疲れがとれていく。

なぜか安心する。

それを伝えると
「安心してくれてありがとう。うれしいな、そういうの」とほほ笑む。

あなたのそばは安心する、とこの人に伝えたのは初めてではなく。
今までも何度となく伝えてきている。

それでもこの人はそれに慣れることがない。
傲慢になることも自信過剰になることもない。
「ありがとう」といつも嬉しそうにする。

「ありがとう」
「ごめんなさい」
「いただきます」
「ごちそうさま」

この人はそういう言葉をきちんと言う。

相手がいることを当たり前と思わないこと。
相手がくれる思いやりに慣れてしまわないこと。
お互いに、いつもそれを気をつけている。

愛する人と自分の間には、いつもどこかにやわらかな緊張感が漂っている。
それは「いつかこの人を失うかもしれない」という緊張感。

今はいつもそこにいるけれど、いつかいなくなるかもしれない。
今は心が通いあっているけれど、いつか絆は壊れてしまうかもしれない。

そんな予感がいつもある。

一見すると、それは悲しい予感に見えるかもしれない。

けれど、その緊張感があるからこそ、やさしくしあえる。
小さな気の緩み、思いやりに欠ける何気ない言動、そういったものが簡単に人との関係を壊すことをよく知っている。

人と人が離れるのは珍しいことでも何でもなく、ごくごくありふれた当たり前のこと。

そんな風に「人と人が長く一緒にいることはとても難しいことだ」とお互いが深く認識している。
お互いにどこかで人に対して諦めていて、けれどどこかでまだ人を信じていたい気持ちがある。

だからこそ「今この人がいることがどれだけ奇跡的なことか」がわかる。
「この人をどれだけ大切にしなければならないか」がわかる。

毎日この人をほめたくなる。
毎日この人にやさしくしたくなる。

そしてそれによって、自分も生かされる。

だからきっと、私とこの人はお互いをほめあわずにはいられない。


そばにいてくれることに心から感謝をする。
けれど、愛する人にそばにいてもらえるように努力はしない。

愛されるために無理して頑張ったりすることはない。
今までも、これからも、きっとそれは変わらない。

頑張ってしまうと、見返りを求めてしまうから。
ふたりの心地よいバランスが崩れてしまう。
お互いが自然体でいられる場所がなくなってしまう。

ここから先は

2,347字

¥ 250

最後までお読み下さり有難うございます。 皆様からのメッセージやサポートにいつもとても励まされています。メッセージを頂いた方にはお返事を差し上げる事がございますので確認可能な連絡先をご登録下さい。 この記事が少しでもお役に立てますように。 貴方の心が少しでも軽くなりますように。