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五所川原 25歳 春

東北に住むならば、東北は回っておきたい。
そう思うのが遅すぎたのかもしれない。
都会に向いていた目が、年を重ねて少しずつ、自分の身の回りに向いてきた。
学生時代ならもっと時間があったのに、と悔いる気持ちを納得させるように、興味が出てきた今がタイミングなんだ、と思うことにした。

といっても、東京に行くのと青森に行くのでは、東京のほうが正直気軽だった。
東京で大型連休の初日を過ごし、そこから新幹線で一気に北を目指した。

新青森駅でレンタカーを借りて、津軽半島を進んでいく。
初めての青森。
ごつごつした岩肌と、荒れた海が、自分のイメージするとおりの青森だった。

無計画すぎて、その日に取った宿で熱い温泉に入り、翌日、五所川原に向かう。
五所川原で見たかったのは、立佞武多だ。
たちねぶた、というものは知らなかったのだけれど、「東北」のガイドブックで見かけて気になった。高さ20mを超す立体のねぶた。そのねぶたが普段展示されている施設があるらしい。
ねぶた・ねぷたの本物は見たことがない。それよりもっと聞きなじみのない、立佞武多を見に行く。

展示施設には、直近の祭りで実際に使われた立佞武多が、数階ある建物を突き抜けるように飾られている。下から見上げると真上が見えないほど。上階からは、精巧に作られた細部が間近に見える。

立佞武多は、100年くらい前この地域にあって、でも、なくなってしまっていたらしい。途絶えた文化を、地域の人が蘇らせた。
そんな物語を展示物と映像で知る。
人々の思いにじわじわと感動し、我慢できずに泣いた。
一緒に行った人に見られたくなくて、泣いてなんかいませんよ、というそぶりをしたけれど、その人も泣いていた。
同じものを見て泣けることが、ほっこり温かかった。

これまでの歴史を学んで、再び立佞武多を見る。
変わらず、堂々と立っている。

この施設には、その時々の新しい立佞武多が飾られ、祭りの日には建物の壁が開いて街へと繰り出していくそうだ。
昔から続くものを守ったり、無くなったものを復活させたり。そういう人々の熱い思いをつまみ食いするみたいに、旅をしている自分が少し後ろめたく感じる。

その後、弘前で散る桜を見て、青森で大きな犬のオブジェを見て、初めての青森旅が終わった。
数年たった今でも、胸に残るのは立佞武多だ。あの日見た映像や展示の細部は忘れていて、少し記憶が書き換えられているかもしれないけれど、あの祭りを作る人々の思いは、たぶん見た時と同じだ。
いつか祭りの日に、光を放ち、街中を駆ける立佞武多を見てみたい。


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