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哲学の海を少しでも泳げたら

 哲学って何だろう。別に小学校でも中学校でも高校でもほとんどやらずに過ぎ去ってきた。哲学って科目はなかったけど、生きる上で切っては切れないのが哲学である。

 そういえば哲学って言葉に初めて意識したのは中学の頃だった。図書室前に先生たちのおススメの本が紹介されていた。当時信頼を寄せていた数学の先生が紹介しているのが哲学の本だった。岩波文庫じゃなくて、中学生でも読める本だった。自分は結局は読まなかったけど、数学の先生がどうして数学の本を紹介していたのかがひっかった。

 それは今思えば錨みたいなものであったと思う。高校時代は勉強はできなかったし、興味がなかった。単なる大学受験のための勉強が好きでなかった。だけど、自分なりに勉強していた部分がある。

 ただ県立高校のトップ校だったがゆえに自分の知的好奇心をくすぐる先生もいたのは事実である。好きな先生と何時間も話したのがよく覚えている。今はそれが糧になっている。

 

 慶應通信の哲学のテキストを開いてみると哲学の内容が一通り書かれていた。考え方をはじめ事細かに書かれていた。確かに高校までに数学や理科、公民で習ったことがベースになっている。

 慶應通信のテキストは秀逸なものが多いというのは置いておくが、哲学でベースとなる考え方は今までの間に一通り習ってきたことだった。でも、そんなことはきっと教わることもなく社会へ出るのだろうと改めて感じた。

 でも自分は体系化することにはあまり興味がない。というのは哲学を学べばどうしても実生活と乖離することがあるからだ。きっと普段ふと思うことから導いていった方が絶対に実感が湧くだろうし、そうした方が誰にでも学べる、触れられるものになるだろうと考えた。

 哲学なんて自分はかじっている程度に過ぎない。だけど哲学はやっぱ面白いなって感じるし、もっと哲学が身近になれば面白いなって感じる。きっと今やっている勉強が考え方のベースになっていると気づいたらまた違う視点が得られるだろう。

 そんなことを思う今日この頃である。■


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