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東京ゲームショウ2001秋の様子をレポートします

 2001年10月12日金曜日から14日日曜日まで幕張メッセにて「東京ゲームショウ2001秋」が開催されました。
 13日土曜日に行ってきましたので会場の様子をレポートします。

 ……ということで東京ゲームショウ2002に続いての「書くのに何十年かかっとんねん」シリーズなんですが

 2001年という時代はデジカメが普及し始めてはいたものの記録メディアはまだまだ高価で、現代のように半ば無制限に撮影出来るというものではありませんでした。高画質であれば30枚や40枚が限度で、枚数を諦めて画質を取るか、画質を諦めて枚数を取るかという選択を迫られる時代だったのですよ。

 2023年の終わり頃にちょっとした探し物で昔のCD-Rを見ていましたら東京ゲームショウ2001の写真を見付けました。

 7割くらいイベントコンパニオンの写真でした。何やってんの2001年の自分。

 いやまぁ、ね、ソニーの看板キャラクターだったはずのクラッシュ・バンディクーがコナミのステージで踊っていたので身売りしたんかと思って撮ろうとしたらスタッフに制止されましてね、ステージやゲームはあんまし撮らん方がええんかなと。

 まぁそれはともかくせっかくだから令和の時代に記録しておこうかと思いまして。ほら、CD-Rっていつか読み込めなくなると言いますし。2001年には生まれていなかった人たちがもう社会で働いてらっしゃるわけですし。


ソニー・コンピュータエンタテインメント

 というわけでやっぱり20年以上経ってもこの頃のソニーのイベントコンパニオンの制服は素晴らしいと思うのですよ。

 2000年3月4日に発売されましたPlayStation2をイメージしたデザインですね。

 品がありますよねー、このデザイン。

ナムコ

「バンダイナムコ」になる前のナムコです。

 出展されているゲームはPlayStation2の「ゼノサーガ(Xenosaga)」なのですが……

 目線機能も搭載されたステージで……

 際どい衣装のおねーさんたちが……

 高いところから我々男どもを……

 見下ろして下さるというね。
 本当にありがとうございます。なんかすんません、生きてて。

バンダイ

 バンダイだったはず……。こちらも「バンダイナムコ」になる前です。
 というか我ながら写真を撮るのが下手だなぁ……。

タイトー

 PlayStation2の「ラクガキ王国」だったと思います。
 バンダイとナムコが「バンダイナムコ」になり、スクウェアとエニックスが「スクウェア・エニックス」になるなど21世紀に入りゲーム業界は色々と変わりましたが、2024年現在でも「株式会社タイトー」の名前のまま残っているというのはすごいことですよね。スクエニの子会社ではあるものの。

マイクロソフト

 2002年2月に発売されることとなるXboxです。まさかマイクロソフトがゲーム機を出して来るとは想像もしませんでしたよね、と2002年の記事でも書きましたけど。

 まぁそのくらい衝撃的な出来事だったのですよ当時は。ソニーがゲーム機というのもそうでしたけど。

 というかマイクロソフトのイベントコンパニオンの写真は妙にたくさんありました。

 モザイクなしでお見せ出来ないのが残念なのですけどね、20年以上経って見てもこのときのマイクロソフトのイベントコンパニオンは美人が多いという印象はありますね。
 ところでお姉さんが手に持ってらっしゃるのは 

「斬 歌舞伎」……あぁ、バカゲー感……。
「これどんなゲームですか?」と聞けば教えてくれたのでしょうかね。困った顔をされたかも知れません。

 ……まだ撮っとんかいという話なんですが、東京ゲームショウは閉会時間が近付きますとどこのブースもイベントコンパニオンが整列してお見送りしてくれるという習わしがありましてね。

 私もそうなんですがカメラを持ったおっさんたちが走り回るわけですよ。
 というか人数多いねマイクロソフト。儲かってまん……意気込みが伺えますね。

テクモ

「コーエーテクモ」になる前のテクモですね。「え、コーエーとくっつくの?」と衝撃を受けたものでしたね。

 まぁもちろん2001年のこの頃は想像もしなかったわけで……。

???

 ここはどこのブースだったのかな……何を思って撮ったのかな。まるで分かりません。

クリックエンタテインメント

「ゴゴ市」というオンラインゲームが展示されていたようです。Wikipediaによりますと日本版のサービス開始は2002年10月とのこと。1年後ですね。

SDEnterNET

 韓国のゲーム会社ですね。
 先の「ゴゴ市」も韓国のゲームでして、当時は「K-POP」という言葉は聞いたことがありませんでしたがゲームの世界では韓国が日本に上陸して来ていたのですよ。

お目当てのSeed9へ

 ところで今回の東京ゲームショウのお目当ては「Seed9」というゲーム会社でして、まぁSeed9と言いましても日本人の99%以上はピンと来ないと思うのですが、「tomak」と言いましたらもう少しくらいはピンと来てくれますでしょうかね。

 Seed9という韓国の会社がtomakというゲームを作りました。
 当時日本のごく一部のゲーマーの間でとても話題になっていまして、それがいよいよ日本に上陸するということで喜び勇んで神戸から来たわけですよ。

 ゲームのジャンルは育成ゲーム、いわゆる「育てゲー」です。1990年代に大流行りしましたね。
 どのようなお話かと言いますと……神々が欲にまみれた人類を嘆きもう滅亡させようかと話し合っていたのですが、愛の女神エビアンがちょっと待ってくれ人類は捨てたもんじゃないよと止めに入ります。じゃあ肉欲ではなく精神的な愛があることを証明出来れば滅亡させるのはやめましょうということになり……

 生首だけになったエビアンがプレイヤーの部屋に現れました。生首だけのエビアンと愛を育むことが出来れば人類は滅亡を免れる……というわけです。

 この「生首育てゲー」というキッチュな設定が話題になりましてね、日本で発売されていなかった頃にはtomakを買うために日帰りで韓国へ行ったという猛者もいらっしゃったようです。

 ゆるキャラの元祖ですよね……知らんけど。

 ところでtomakのチラシを貰いましたので読んでみましたら「TOMAKのデザイナーが直接絵を描いて上げる」との一文がありました。
 おぉ、せっかくですので描いて貰いましょう。目の前で描いてくれるとは良い記念になりそうです。

 Seed9のスタッフにチラシの文章を見せ「お願いします」。すると「ハイ、描きますよー。顔か手、どちらがいいですか?」え?

 あ!
「直接絵を描いて上げる」って「身体に直接」ってことか!

 やっぱりやめますとも言えず「じゃあ手に……」と弱々しく答え、椅子に座りました。

 美人デザイナー!

 美人が私の右手に絵を描いてくれるわけですよ。手に触れるわけですよ。美しい顔に見とれるわけですよ。絵の具を乾かすために息を吹きかけて来るわけですよ。当時は二十歳で女性との接点もほぼない生活を送っていましたのでまぁそりゃドキドキしますよね。
 描いて貰っている最中にテレビカメラらしきもので撮影されていました。韓国のテレビ番組で緊張した私の顔が放送されたのかも知れません。

 美人デザイナー様に描いて頂いた生首です。日本語版tomakはもちろん買いました。

おわり

 イベントコンパニオンの写真とtomakの話だけでしたが最後までお読み下さいましてありがとうございました。
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