ブランド素材は反則だ。
土曜は週明けにむけて、あれこれしこみ。
今週寝かせておいた岩中豚と、和牛の肩肉、岩手の牡蠣と、サーモンも。
うちは素材にこだわった料理、が推しではなくて、ふつーの(もちろん、ちゃんとおいしい)素材をつかって作る料理が基本。
ブランド力に頼るのは楽だけど、それには原価がかかるから、そうすると価格が上がってしまう。
価格があまり上がらないようにしている理由は、ふたつあって
①日々通える範囲の金額にしておきたい
②「日常的なごはん」の範疇を超えたくない
という感じ。
週何回も、昼も夜も来てくれるひとが実は少なくなくて、高くはないけどけして安くもないうちのごはんを食べに来てくれている。
それって、日常的に払える金額の範囲内だから来てくれているのかもしれないし、ほかをすこしずつ節約して来てくれているのかもしれない、そう考えると、安易に単価を上げるようなことはしたくないって思う。
そしてまた、「とっておきの」「ごちそう」的なごはんではなく「いつもの」ごはんでありたいとも思ってる。
満席のタイミングで、入店できなくても「また来ればいいか」と思えるくらいの。
人ってやっぱり、「パッと見た数字」で判断してしまうものだから、
全体的な価格が高いと「よそいきの店なのかな」と思われてしまいがち。
それを避けるために「日常的な価格設定」にしている。
「よそいきのお店」と「日常的なお店」
どっちを選ぶかは、そのお店をやる人の価値観ライフスタイルによるような気がする....
集うお客さんの層も、宣伝のされ方や広がり方も、オペレーションも、接客のかたちも、求められるものが全然ちがう、
どっちのお店にいるのが心地よいか?
フィットするほうが、自分の居るべき場所なんである。
よそいきで、おしゃれで、高いレストランをやる、または、そういうお店で働く。
でも、裏では時間がなくて素うどんをすすったり、どんぶり飯をかきこんでいる。
仕事が終わると、どっと疲れる。
庶民的な居酒屋に行って、枝豆とビール、あるいはモツ煮と焼酎をちびり。
そういうのってなんだか、無理のある生活なような気がしてしまう....逆もまた然り。
でもまぁ、仕事と生活はまったく別、というのが良い人もいるんだろうけど。
うちは、お互いの価値観が合う部分を使ってお店をやっているから、かなりの部分において仕事を楽しんでできるし、休みの日でも自分とこのごはんを食べたいって思ってる。
それって、しあわせなことだ!
さて、今回は岩中豚というブランド豚をつかうのだけど、ときどき出てくるこういうやつは、肉屋さんや魚屋さんがスポット的におすすめしてくれる商材であることが多い。
少量あまっている商品だとか、商品入れ替えをしたいからとかで売り切りたいやつ。または、たくさん仕入れたから、という時もある。
そういう時だけ出てくるやつ。
塩漬けして、冷蔵庫でねかせて、塩を軽く抜いて、スパイスや香味野菜とともにコトコト煮込む。
圧力鍋はつかわない。
柔らかくなりすぎたり、肉の旨みが抜けてしまいがちだから、寸胴鍋でじっくり煮る。
すごーく時間がかかるんでしょう。
そう思うかもしれないけど、じつは思ったほど時間がかかるわけではない。
わりと短い時間でほろほろっとやわらかく煮あげる、そういう技というか知恵がある....
これはお店を始めてから編み出した技なんだけど、こういうのを発見すると、「おお、すごい、プロの技だ」って自分で思ったりする 笑
その技を使って和牛の肩肉もやわらかく煮込んだ。
どちらも茹で汁をひとすすり、うん、なにこれ旨い!ってなる。
いや、いつもの豚肉や牛肉でもおいしいんだけど、別格でおいしい。
旨みがあって、あまーくて、茹でただけでこんなにおいしいなんて反則だな、そんなことを思う。
そう、ブランド食材は反則なんだ。だって、それだけでおいしいんだもの 笑
さて、どんなメニューにしよう?
それはこれから考える。
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