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新しい、刺激的な日常の話。

おはようございます。

月曜の朝は、野菜のスープがある。
日曜のよるごはんは水炊き鍋🍲

のこったスープを弱火にかけているうちに、使った身体の部位を順番に伸ばしたりほぐしたりして、終わったころにあつあつのスープを胃に入れる。

食べる、とか飲む、とかいうのより、まさに「胃に入れる」って感じだ。

全身をつかって、頭を使って、動き回って、乾いた自分を潤すような感覚。

こういう感覚はここ何年かで学習したことであって、そういう意味では少しずつ、でも確かに身体感覚が移行してるってことでもある。

おやすみの日でも、「こういうことをしよう」と思いつくままに動くだけだったり、決まったことをするだけだとあんまり発散にはならなくて(身体をやすめるのには良いのだけど)
岩場に行ったりして、普段使わないものをフルに働かせることによって、むしろスッキリするみたいなところがある。

聴こえるもの、見えるもの。

電車の音、車掌さんの声、鳥のさえずり、枝のざわめき、遠くの山々の緑、足元の枯葉、行き交う人たち、言葉のキャッチボール。

手触り、風や、陽射し。

ひんやりとした、あるいは温度を感じる、ごつごつとした、なめらかな、鋭い、やわらかい、降りそそぐ、刺すような。

めいっぱい身体を使う。

伸ばす、たたむ、軸を決める、重心を移動させる、傾ける、翻す、持ち上げる、引っ張る。

感覚を学んでいくほどに楽しくなる、
楽しくて、発散になる、

発散になる、ということってきっと
「慣れからの脱脚」なのである。

慣れた作業、お店に来たらこれをして、あれをして、そのあとはこれ。

その日によって届く素材は変わるけど、新しく触るものよりも、いままで触ったことのあるものの方が多いわけで、
もちろん何度だって新しい発見は得られるんだど、全体の作業から見ればかなり少ない割合なわけで、そういう日が続いていくと、脳が飽きてくるのかもしれない、と思う。


まだ慣れていないことをするのには、いろんな感覚を動員する必要がある。

その先に行くのには、さらに感覚を学んで行ったり、自分を変容させていかないといけない。

そういうのがきっと、脳にとって刺激的(で魅力的)なこと、なような気がする。

で、日常にもどると、前は気づかなかったことを発見したりする。
新しい感覚を得ているからである。

そうして、日常は、新しい、刺激的な日常になる。

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