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ぼやきコラム no.1

クラシック音楽に携わったことがある人なら周知の事実であるが、まず演奏する曲について、練習することは勿論だがその作曲家についての歴史をちょいっと調べるだろう。


そのことにずっと「なぜ?」と筆者は思っていた。マストであることは理解しているが、説明せよと言われれば難しい。


例えば、ベルリオーズの『幻想交響曲』のような題材が予め作曲家によって決められている作品(これを標題音楽という)ならば、その題材を調べることは必須であるのは分かる。


私たち日本人が海外の言語で上演されるオペラに対して、予め日本語訳を探しストーリーを理解して、そしてオペラを聴きに行く原理と似ているかもしれない。
それは作品に対して深く理解をするためである。

では作曲家が生きた歴史を知ることで得られるメリットとは何であろうか。


結論から言うと、同じく、作品に対して深く理解することができることであるが、それでは少し何故の
部分に説明が足りない気がする。

少し視点をずらしてみよう。例えば、物書きが小説を作るとき、まず最初に何をするか。いきなり思い付きで話を書くのではなく、まずプロット(筋書き/設計図)を作る。そしてキャラクターの容姿、性格を考える。

ここに落とし穴があり、キャラクターを考える際に、今から作り上げる物語に最小限必要な情報だけ作ろうとする。

実は本当に大事なの《ストーリーに使わないであろうキャラクターの設定》である。面白いことに、実はこのキャラクター設定を細やかに決めることで、今後ストーリーの重みが変わる。

例えば、鬼退治に行く桃太郎には実は生き別れの妹がいた。その妹は勿論、ご存知の通りストーリーには出てこないが、ふとした桃太郎の描写に一瞬に『そういうものを感じさせる雰囲気』を作り上げることができる(*当然、これは私が今思い付いた虚実です。本物の桃太郎の話に妹は存在しません。)

映画が好きな人ならば、なおさら理解が早いと思う。私たちに『どうしてこの人はこういう事をしたんだろう』という問いを残す作品が映画には多い。それを作り出すカラクリがこれである。

実はこの話は中学生の頃に読んだ小説家の冲方丁によるの『ライトノベルの書き方講座 (宝島社文庫)』でかなり色濃く覚えている技である。(最近の作品だと『天地明察』で有名だが他にも彼の書くファンタジーの世界観は彼にしか生み出せないものがある めちゃくちゃ読んでいただきたい)

何が言いたいかというと、《不必要とされる情報》がストーリーに重みを増し作品を豊かにするのならば、《情報として必要なのかは分からない作曲家の人生》を知り、読み解くことは、もしかするとより演奏の重みが増すという説明にリンクするのでは……と

今朝、ふと思ったのだ。

そして蛇足だが人生においても、表側には出てこないが、《不必要とされる経験》がその人を作り上げていることは明確なのかもしれない。

そう思うと人生に《無駄なこと》は無駄ではなく、全て必要であり無駄なことなど何もない証明にもなるのではないだろうか。

本日の考察はここにメモを残しておく。

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