見出し画像

二次創作とMMDを始めた大学生が考えたこと

※原神にハマり、MMDを始めて2か月くらいの初心者です

※二次創作をしていて悩んだことを整理するために書きました

※自分語りが多いです

MMDを知るまで

コロナ禍で大学生の二極化が進んでいるらしい。オンライン授業が続く中、主体的に真面目に勉学に取り組む質の高い学生と受け身で十分に勉強していない質の低い学生とに分かれてきているという。そんなことを耳にしたとき、「ああ、私はきっと後者だな」と思った。

思い返せば、浪人までして受かった志望校だった。でも、入学してから一年、対面授業はほとんどない。キャンパスに足を運んだ回数は両手の指あれば数えられる。オンラインで活動しているサークルに入ったが、リアルで顔を合わせない人達との関係は希薄になりやすい。何より自分自身がSNSに疲れてしまい、連絡を取り合うのが煩わしくなってしまった。

課題に黙々と取り組むのが辛い。
趣味の合う友達が欲しい。
誰かと他愛のない雑談がしたい。

そんな時、半年前に出会ったのが原神というソーシャルゲームだった。今までゲームは一切したことがなかったが、その美しいグラフィックスに惹かれて「ゲームなんて今までやったことないから出来るかな」と思いながら始めた。でも―

目の前に広がる未知の世界、爽快感のあるアクション、旅で知り合う愛おしいキャラクターたち。時に緊張感を、時に安らぎを感じさせる美しい音楽。何よりもストーリーが面白い。

このゲームに、まるで子供の頃の夢が詰まっているみたいだと思った。いや、原神はそれを超えるような驚きをいつも与えてくれる。そして私は、芸術ってやっぱり素晴らしいなあと感動してしまった。

ゲームを始めた最初の頃は、早くキャラクターを強くしたかった。YouTubeでキャラの育成解説動画やゲーム実況をよく見た。そんなとき、たまたま原神のMMD動画がおすすめされていて、何だろうと不思議に思った。そこではゲームのキャラクターたちが踊っていて…

「!?」「何これ」「MMDって何?」
とりあえずググる―

概要(「MMD」の意味)
主にMikuMikuDance使用者が使用している略称。
タグとしての利用は「MikuMikuDance」が一般的であり、「MMD」は少数派である。
『ニコニコ大辞典』

調べてはみたが、よく分からない。でも、YouTubeで「○○○○○(好きなキャラの名前)+mmd」と検索すると動画がヒットする。「えっ、何これ凄い!好きなキャラが踊ってるの見られるの!?」それからはMMDを観るのが日々の楽しみになった。このときは、MMD作れる人すごいなあ、と思うばかりで自分で作ろうなどとは思ってもみなかったのだけれど。

しばらくたって、モデラ―の方が原神のキャラモデルを解説されている動画を見た。原神の3Dモデルは、公式が配布してくれているらしい。モデルをダウンロードして、PMXエディタやBlenderに読み込んで―…なるほど、さっぱり分からない。でも、PMXエディタとかいうのでキャラを眺めるくらいなら私でも出来るかな、ソシャゲはいつか終わっちゃうものだし、好きなキャラのモデルは保存しておきたいかも…。

それから、原神のキャラを読み込んで真っ白になる問題もあったが、なんとかキャラを読み込むことができた。このブログを読むまで分からなくて一か月くらいかかった(汗)。※本当にありがたかったです
https://blog.iwashun.com/genshin-mmd#toc4 

MMDを始めてから

 ―あ、できた
 
PMXエディタにモデルを初めて読み込めたときの嬉しさは今でも思い出せる。ひとしきり視点を全方位にぐるぐる変えてみる。3Dモデルってこういう風になってるんだ。これでいつでも好きな時にみられるなあと思った。ただ、画面に映っているのは、眺められるために棒立ちになっているキャラクター…茫洋と前を見つめる顔…。

―動かしたい

その身体をしなやかに伸ばして、生き生きとした表情を浮かべて、どこまでも自由に…動いてほしい。謳ってほしい。語りかけてほしい。魅せてほしい。そう願った。

でも、キャラは勝手に動いてくれるわけではないので、ネットの海で情報を探し回りながら、とりあえずモデルモーションやカメラモーションを読み込んでみる。モデルが貫通するところを直してみる。ステージを探してくる。何が起こるか分からないけどエフェクトをかけてみる。あれダメこれダメ上手くいかないことばかり。動画編集も難しい。時間と労力の大半を持って行かれる。ただ、好きなキャラをずっと眺めながら作業できるのが楽しくて意外にも疲れない。分からないことだらけだけど、とにかく作ってみる。最近はもう日常生活の一部だ。

二次創作の葛藤

私のYouTube初投稿動画はMMDになった。そして、投稿サイトやSNSでは評価が付き物で、時々それに悩まされる。「人の評価なんて気にするな」と口で言うのは簡単でも、これは意外と難しいんじゃないかと思う。私自身はMMD初心者で、自分でもまだまだ拙いなと思うところが沢山あって、どちらかというとひっそりと動画を投稿して、少しずつ上手くなりたいなと思っているので、評価が欲しいとは思っていない。でも、他の方の作品を観ると、ちょっとだけ悔しさを感じてしまう。自分もこういう風な表現がしてみたいのに、どうすればいいのか分からないもどかしさ。自分ができない辛さ。私もやりたい。他の人にできることが自分にできないはずがない(謎の自信)。とはいえ、上手い方は相当な努力と経験を積み重ねてきたのだろうなと想像すると尊敬の気持ちが生まれるのだが。

創作活動は、多少なりとも嫉妬や羨望と無縁ではないだろう。そういう感情は悪ではない(と私は思う)。何より創作の刺激や原動力になる。ただ、それを二次創作で持ってもいいものなのかと戸惑う。二次創作は原作あってのもの、世界観もキャラ設定もモデルも借り物であり、決して自分のものではない。だから、あくまでも原作への愛によって成り立っているべきではないかと、そう思ってしまう。

MMDを作る意味

―じゃあ私がやっていることになんの意味があるの?

MMDを始めて、夢中になれるものに出会えたと思った。大学の座学の授業に興味が持てず、やはり自分は何かをつくる仕事がしたいと思った。でも、自分が今好きでやっているのはMMD。ほとんどが借り物で自分の作品とも呼べない。私は単なる消費者。自分が好きなものは何にもならないし、何の意味もない。そう思うと無性に悲しくなった。それに、他人からの反応がなければ、何がどうだったのか分からない。自分は存在しないのと同じ。創作の孤独感は大学の授業のそれと似ていた。

しかし、芸術に意味が無いかと問われると、断じて否と答える。芸術は無意味でも無駄でもない。芸術があるから人間は文化的な意味で人間なのだと。

友達がいなくて寂しいとき、物事が上手くいかなくて辛いとき、いつだって芸術に支えられていた。コロナの中でだって、ゲームやMMDに精神的に救われていた。だけど、それでは、ゲームやMMDは現実の単なる埋め合わせだったの?そうは思いたくないのに―

自分が作っているものはエンターテイメントであり、消費されるものであり、誰かの役に立ったりする訳じゃない。私より上手い人はいくらでもいる。意味があるとすれば自分にとってだけ。昔から絵を描いたり工作したり歌ったりするのが好きだったけれど、それは意味があるからやっていた訳ではない。ただ楽しいから、好きだから、やめられないから、それ以上でもそれ以下でもない。自分の好きなことに意味が無いと思うのは辛かった。

「自分がしていることに意味が無いと思っているようじゃ駄目だよ。それなりにやっている(一流の)人は、自分の好きなことがどんなに素晴らしいかちゃんと言葉で説明する。それができないようじゃ駄目だ。」

一通り私の愚痴を聞いてくれた父はそう言った。うん、と頷いてから言葉に詰まる。

『もし成功したいと思うなら簡単なことだ。自分のやっていることを知り、愛し、信じることである。』というウィル・ロジャースの言葉を思い出した。受験生のとき、何度も名言を読んでいたっけ。

確かに、とMMDと出会ったときの記憶を手繰り寄せて思う。沢山の作品を観て、驚いて、感動して、目を奪われた。プロダンサーさながらのキレのある動き。コロコロと変わって視線を逸らさせない表情。美しくも儚くも、画面全体にアクセントを与える光彩。キャラクターの内面を描き出そうとする演出。そして、溢れる作り手の色々な個性。

現実世界とは違う魅力が、そこにはあった。だから、すっかりMMDの虜になって、自分でも作ってみたくなって堪らなくなった。私がMMDと出会って、今自分が心からMMDを楽しんでいるのは、沢山のMMDerさんのおかげだ。それぞれの作品が、違った輝きとMMDの素晴らしさを伝える力を持っていた。

将来のこと

今、自分は将来何をするべきか迷っている。どんな職に就くべきだろうか。答えはまだ見いだせていない、ただできることなら好きなことがしたい。

先行きは不透明だけど、今できることは、人生をかけてやりたいと思えるものを見つけること。あるいは―

“MMDってね、こんなに面白いんだよ、こんなに楽しいの!だからやってみようよ”と伝わるような、見た人にMMDもっと観たい、作りたいと思ってもらえるような作品を作ること、なのではないかと思う。

まだそんな目標には程遠くて、本当に可能性は限りなくゼロに近いのかもしれない。でも、ほんのちょっとでもいいから、そういうことがしたい。それまでは、ただ作品を作り続けるだけ。

世界は、美しいもの、楽しいもの、面白いもの、驚きや発見に満ちていると、誰もが思えるような平和な社会になってほしいし、そうなるように努力しなければならないと考えながら。

―追記―
仮にも自分が視聴者なら、自分のチャンネルを登録するだろうかとたまに考えてみるが、これはかなり微妙な線で、ギリギリ登録しない気がする。なんか素人臭いし。(いや素人だし)でも、逆に動画を作ってみたくはなるかも。「え、これくらいなら自分でも出来そう?」ってね。


上記写真の完成した動画にてモーション・エフェクト等のクレジット詳細を記載しております

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?