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『母の手料理』は食べられるうちに食べておこう

こんにちは。
年間36万文字を書く会社員 とぅるーたです。
お読みいただき、ありがとうございます。

今年を振り返るにあたり、避けては通れない出来事がありました。
それは、「母の死」です。
自分の心の整理も含めて書いていきたいと思います。

3月のとある日の出来事

私は、4人兄弟の末っ子で、ちょっと複雑な家庭で育ちました。
兄が母と一緒に住んでおり、母の身の回りの世話などはほぼ兄がやってくれていました。

3月、ある日の昼ごろ、兄から連絡がありました。
「お母さんが発作を起こして、救急車を呼んだ。
病院に運ばれて、入院になる、万が一のこともあるかもしれない」
当時、東京では第3波直後の時期で予断を許さない状況であったため、入院しても面会もまともにできないであろうと予想されました。

しかし、私はすぐさま上司に相談し、病院に向かうことを決断しました。

「後悔はしたくない」その一心でした。

病院に向かう私の胸中はとても複雑でした。
「なんでずっと一緒にいてあげられなかったのだろう」
「兄に任せたのがいけなかったのか」
「2日前は元気そうな声をしていたのに」
さまざまな考えが頭の中を巡り、心ここにあらずの状態だったと思います。

病院に到着し、話を聞くと、「短時間で一対一あれば、面会はできる」とのこと。
母との対面。そこには安心して眠っている母の姿がありました。
母の顔を見た瞬間、胸に熱いものが込み上げてきて、涙がこぼれました。

「いつも心配や迷惑をかけてごめん、ゆっくり休んでいいからね」
そう声を掛けて、その日は病室を後にしました。


母の容態の急変

その後、しばらくは面会に通っていました。
状態も安定していたので、一般病棟に移ることに。

しかし、その3日後に状況は一変します。
母の容態が急変し、極めて危険な状態であること、今夜万が一のことがあるかもしれない、と。

病院に着くと、母はベッドの上で苦しそうに肩で息をしていました。
意識はあるか定かではありませんでしたが、目は開いていて、視線をたまに私のほうに向けてくれます。
「何かできることはないかな・・・」と考えた私は、妻の言葉を思い出し、スマホで撮った子供たちの動画を母に見せることにしました。

動画を見せていた時、母が微笑んでいるような気がしました。
ただでさえ子どもが大好きな母、私の娘への愛情は、最上級のものでした。

その後、数時間経った後、看護師さんから呼び出しを受けました。
母の心拍が弱くなってきていること、最後のお別れになるかもしれないことを告げられました。

私は、母の手を握りながら、「感謝」を伝えました。

「立派に育ててくれて、ありがとう」
「お母さんの子供に生まれて、幸せだよ」

その数分後、母は最後の眠りにつきました。


親孝行はできるだけしておいたほうがいい

母の死を迎えて、思うことがあります。
「親孝行は、可能な限りしておくこと」
私の中での親孝行とは、何かを贈ったりすることではなくて

たくさん会いに行くこと、そして、手料理をたくさん食べてあげること

だと思っています。親子はいつまで経っても親と子ども。
たくさん甘えて、会いに行くことが親孝行なのだと思います。

年末年始でご実家に帰省される方も多いと思います。
会ったときに、是非ご両親に感謝の言葉を伝えてあげてほしいです。
きっとご両親も喜んでくれると思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、また。

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