見出し画像

卒業式は見事に規律がとれた軍隊演習のようであった。それでいながら、私の卒業式答辞を誰も「聞いて」いなかった。

私の聾学校卒業式は、幼稚部小学部中学部でまとめて1つの卒業式であった。体育館舞台を前にして、右側前方から幼稚部、小1,2,3と学年ごとに横一列に並んで座った。左側には、中学部の在校生が横一列に、前から学年の若い順に座った。そして、舞台に向かって正面あたりには、右側から縦一列に、幼稚部年長、小学6年、中学3年が座る3つの列ができた。

卒業式の流れとしては、幼稚部、小学部、中学部それぞれに送辞答辞がある三部構成で進む。卒業生は、幼稚部、小学部、中学部ごとに舞台にあがった。そして横一列に間をあけて並んだ。間をあけて並ぶことで、横一列に並んでいても、まだ横顔から口を読み取ることができた。卒業生が横一列に並びおわると、舞台下右側で、スクリーンに何枚かの思い出写真のスライドショーが表示された。
それが終了したのち、在校生は声を揃えて送辞を読んだ。幼稚部の送辞は代表者が1人だけだったが、小学部・中学部は学年ごとに代表者を立てて送辞をわけた。代表者といっても、代表者1人が述べるのではなく、代表者にあわせて同じ文章を声を揃えて送辞を贈った。小学部は送辞が5つに分かれ、中学部は2つに送辞が分けられた。
送辞の次は、卒業生の答辞になった。答辞は代表者をたてず、卒業生で分けた。答辞が終わると、卒業生は舞台を下りて自分の席に戻る。

送辞も答辞も、毎年変わらなかった。私は今でも、卒業式での送辞答辞の言葉のいくらかを覚えている。それは繰り返しなされた練習のたまものであった。卒業式が近づくと、授業時間はすべて卒業式練習一色になった。それが中3まで毎年続くのである。卒業式練習は毎回全体練習ではなく、幼稚部、小学部あるいは小学部低学年高学年、中学部と分かれてそれぞれに練習を行い、1,2回総練習を行った。
しかし私が卒業するときの答辞は例年のものと少しアレンジされたはずだ。私1人だけが、高等聾学校へ進まないことになったからだ。

卒業式において、幼稚部から小学部、小学部から中学部への切り替えは瞬時に行われた。幼稚部の卒業生は舞台で答辞を述べてから、舞台を下りて自席に戻る。このとき卒業生はタイミングを揃えて同時に着席する。幼稚部の卒業生が着席すると同時に小学部の卒業生は一斉に立ち上がり、揃って一歩左に移動し、前に進む。そして舞台へ上がっていった。小学部の送辞答辞が終わり、小学部卒業生が戻ってきて着席すると同時に中学生卒業生が一斉に立つ。見事に「規律」が取れた軍隊演習であった。

この整然とした規律は、卒業生だけではなかった。在校生も非常に緊張感をもって臨んでいた。
卒業式開始前に、在校生は前もって指定の位置に座る。そして卒業生が入場するのを待つ。卒業生入場は、幼稚部年長、小学6年、中学3年と入ってくる。卒業生が入場してくる入口は、自分たちの背中側にある。補聴器を通して聴こえてくるざわざわとした音、拍手の音、周囲の先生たちの視線などで、卒業生の入場を感じていた。
卒業生が入場するのをわざわざ振り返ってはいけない、背筋はきちんと伸ばし、目線は常に舞台を前方を見なさいときつくいわれていた。そして膝の上に置く手も、指先に至るまでピンと伸ばしなさいとも言われていた。
きょろきょろするのはみっともないということだ。
式の最中に、たとえ鼻の頭がかゆくなっても、それは掻いてはいけなかった。私は必死にそのかゆみが通り過ぎるのを待った。

聾学校最終学年、聾学校で最後となる卒業式が近づいていた。一般高校の受験に合格し、私の一般高校進学は確定した。私以外の同級生はみな高等聾学校に進む。13年以上を共に過ごした同級生と一緒に過ごすのもあとわずか数日を残すのみだった。聾学校卒業後、進学する一般高校では、今以上に発音に気を付けて話すことが肝要だと思っていた。私は自分の発音が悪いことを自覚していた。だから答辞の文章は一層発音に「気を付けて」話さなければならないと思った。

そんなさなかの卒業式練習のときに、私は雷に打たれたように、突然混乱した。助詞の「へ」は実際には、「え」と発音するのか?ハ行の「ヘ」で発音するのか?そういうことを考え始めた。今まで自分は実際には「え」と発音をしてきたが、それで正しいのか?ぐるぐる頭が回りだし、分からなくなり出した。
私は、古典の授業を思い出していた。中学生になって初めて教科書に古典が登場した。授業の進度が遅れていたので、教科書の古典作品をすべてやることはできなかった。最低限の形で古典に触れられるのみだった。でも私は古典の物語が好きだった。歴史的仮名遣いにうっとりした。教科書を開き、授業ではやらない古典作品を私は、国語の授業のどこかで、無理やりに先生に聞かせるために読んだ。歴史的仮名遣いをそのままに文字通り読んだ。先生は、黙って聞いていた。私の読み方について指摘は受けなかった。
歴史的仮名遣いをそのまま文字通りに先生の前で読んだことを思い出しながら、私はここに至って改めて混乱していた。あのとき、先生は何も言わなかった。ということは、助詞「へ」はそのまま文字通りに読むのか?私はずっと間違えていたのか?
自分が今までどのように話していたかも思い出せなくなってしまった。確証がもてないまま、卒業式の練習中、答辞で、私は助詞「へ」をそのまま文字通りに発音して話してみた。実に話しにくかった。しかし、何も先生たちからは言われなかった。何も言われないということは「へ」でいいのか?いや今まで10数年間私が発音してきた(つもりの)助詞「へ」の「え」はそもそも間違っていたのか?助詞「へ」の発音を知りたかった。

おそらく私のスピーチを先生たちは何も「聞いて」いなかったのだ。聞いていながら、聞いていなかった。私が、助詞「へ」の発音をハ行の「へ」に変えた(つもり)ということも気づかれなかったのか。私の発音の癖がどのようなものかも聞き取れていなかったのだ。私の発音はそれほど悪すぎたのか。あるいは、気づいてはいたが礼儀をもってその発音をスルーしたのか。

私は卒業式当日まで、助詞「へ」について一人で考え続けた。どちらなのだ?同級生には聞かなかった。同級生とは、この先ゆく道が分かれてしまっていたからだ。私以外の同級生はみな高等聾学校へ進む。今の聾学校と連続した場所へと。手話がある場所へと。これは私1人の問題であった。私は誰にも聞かなかった。
先生たちにとってはどっちでもよかったろう。どっちでも変わりはしなかったろう。しかし一般高校に「飛び込む」予定の私にとっては、重大な問題であった。

結局卒業式当日、私はハ行の「へ」で助詞「へ」を読んだ。発音したつもりだった。そして私は、無事に卒業式を終えた。

その後入学した一般高校では、少なくとも最初の1年間は誰ともほとんど会話をしなかった。私はもう「へ」問題に頭を悩ませはしなかった。助詞「へ」問題はいつしか解決していた。私はいつの間にか、助詞「へ」は実際には「え」で読むのだということをどこかで知っていた。どっちなのかという答えを昔から、聾学校にいたときから知っていたような気もした。

そして私の発音の悪さは、私が多少なり気を付けたところで、大して変わりはしないことにも、今更ながらに気付いたのであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?