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私は、スイカ割りの「ルール」を知らなかった。聾学校でありながら、聴こえる人のゲームルールが行き渡っていた。

聾学校の行事に海水浴があった。2時間ほどバスに揺られて海へ向かう。
参加する子どもは幼稚部から小学部低学年ぐらいまでの学校行事だったと思う。

海水浴では、スイカ割りがあった。
スイカ割りとは、スイカまでの距離を目測ではかり、目当ての方向へ、目をつぶったまま目的地まで移動する。そういう勘を競うものだと私は思っていた。

スイカ割りを私もやった。目隠しをした私は、前もって見積もっていたとおり歩数を数えながらできるだけまっすぐ進んだ。そしてここぞと思うところで、棒を振り下ろした。目隠しを外すと、スイカは思ったところになかった。「いつもながら」見当違いのところへ歩いていってしまっていた。私自身は、運動神経がないものだから、このゲームは難しいと思っていた。私は、周囲の子たちの中でもとりわけスイカ割りが「下手」だった。

ある子がスイカ割りをしている最中のことだった。周囲の人たちは、大人たちは、「異様に」盛り上がっていた。その子は、なんとかスイカのところまで歩を進めてきた。止まった位置はとてもよかった。そして棒をふりあげた。棒をおろした先は、かすかにスイカをそれた。棒は折れた。
私もそれを見ていて、ドキドキした。スポーツ万能で運動神経がとてもよい子だったので、勘がいいんだな、さすがだなと思った。

後日、学級通信には、その子のスイカ割りのことが記事になった。
それを読んで、やはり周囲の大人たちの盛り上がりは、本当だったのだなと思った。

「多数者」のスイカ割りのやり方を知ったのは、それから何年も後になってからのことである。
スイカ割りは、スイカ割りをする本人と周囲が一緒になって楽しむものなのだ。周囲は、声で方向と距離を指示する。あるいは嘘の誘導をする。視界がふさがれた中で、思い通りにならない状況も一緒に楽しむ。

大人になってから私は気づいた。スイカ割りを「上手に」できたその子は、「難聴」だったのだと。
残存聴力を活用し、聞こえてくる周囲の大人たちの声を頼りに、スイカのあるところまで進み、そして、確信をもって棒をふりおろしたのだ。

聾学校は、聴こえる大人ばかりだった。
海水浴のスイカ割りも、先生たちの、聴こえる人たちのルールに基づいて行われた。スイカ割りというゲームは、私を置き去りにしていた。

聾学校にいながら、私たちは聴こえる人のやり方でゲームをしていた。
かつ、私たちはそのゲームのルールを知らされなかった。

私は何年もスイカ割りをしていない。

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