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耳の聴こえない子どもたちは、発音の正しさきれいさを測るテストを受けた。それはつかみどころがない「見えざる神のものさし」だった。

聾学校小学部には、毎年、発音テストがあった。年間行事予定表に書かれている「学校行事」であった。中学部にあがってからは発音テストはやっていないので、もともと中学部はやらない方針だったのか、中学部にあがるタイミングで中止されたのかは、わからない。

発音テストは、1人の出題者と4人の検査者で行われた。出題者も検査者もすべて先生である。被検者の児童は、1人ずつ教室に入り、1人の出題者である先生と向き合って座る。残りの生徒は、教室外の廊下で椅子に座って待機する。
その2人を背にして、4人の検査者である先生が、やや丸まった横一列に、互いに机を離して座る。机を離しているのは、お互いの書いているものが見えないようにするためだろう。出題者と検査者の机の上には、B5ぐらいのサイズの紙がおかれ、そこにはマスが並んでいた。
1人の出題者は、五十音の、平仮名で一字ずつ書かれたカードを切ってランダムに1枚ずつ被検者である児童に見せる。その児童は、カードの字を発音する。出題者は、出したその字を音をマスに書いて埋めていく。4人の検査者は、聴こえた音をマスに書く。本来の音と、実際の発音をマス同士で比較し、発音の精度を調べる方法だ。検査が終わると、被検者の児童は、出題者の紙を受け取り、4人の検査者の前を通過しながら、1枚ずつ紙を回収して、合計5枚の紙を持って教室を出る。
教室を出た児童は、廊下で待機している残りの児童に声をかけて、次の被検者となる児童が教室に入る。

私は出席番号が一番最後であったから、待つ時間も長かった。
教室外の廊下で、椅子に座って私は出番を待っていた。静かに、と言い含められていたので、私は隣の子とも話さずに、できるだけ音を出さないように静かに座っていた。廊下の奥は薄暗かった。

私が自分の発音の悪さを意識しだしたのは、小学高学年からである。その頃から、発音テストが嫌な行事になった。運動会や学芸会と違って、本当に気持ちが乗らない行事であった。数日前から、発音テストが嫌で、当日朝は、学校に行く足取りが重かった。

私には発音できない音がたくさんある。その中で一番先生が気になったのが、カ行だったようだ。何度も「カといってごらん」と言われた。それは、授業中のときもあれば、休み時間のときもあり、場所もばらばらだった。
言われるがまま、カと出してみる。違う、舌はこうだよ、と言われる。私は舌の位置を意識して、前回とはずらしてみて発音する。違う、といわれ、息の吐き方を少し変えてみて発音する。そんな繰り返しを何十回と繰り返し、ごくたまに、「そう!」と褒められる。しかし私はそのカがさっきまでのカと何が違うのか分からない。さっきのカはどんなふうに舌を使っていたっけ、どんなふうに息を吐いていたっけ?と思い出しながら、カをまた発音する。
違う、と言われる。「そう!」といわれたさっきのカは、あっという間に霧消していく。自分は、カと言ってごらんと言われるたびに、体がこわばり、唾を何度も飲んで、息をついた。そして助走をつけるようにして、カと言ってみる。
それを何度も繰り返した。まるで雲をつかむようなカであった。おそらく「そう!」と褒められたカも正しく言えていなかったのだろう。カっぽいアだったのだろう。

発音テストで、「か」のカードが提示されると私は緊張した。カになっていますように、と願いながら発音をした。何十回のうち1回の確率が、今の発音テストで当たればいいのにと思った。
発音テストは終了した。検査者の1人には、私のカを何度も聞いた先生もいた。私に、カと言ってごらん、と何度もふってきた先生であった。検査用紙を回収するところで、その先生と目があった。私はその目から、私がやはりカを言えていなかったことを悟った。私はすぐに目を伏せ、紙を受け取って、教室を出た。

発音テストがすべて終わったあと、その先生にこんなことを言われた。
「『か』のところで、カと書いたよ」
と言われた。「頑張っていたからね」とも言われた気がする。手心を加えてもらった、というわけだ。私はどんな顔をしていいか分からなかった。自分はその後何を言ったのかどうしたのか覚えていない。

発音テストから数日後、隣のクラスで、教室後方の小さい黒板に発音テストの結果が貼りだされた。貼りだされた結果は、そのクラスの児童についてだけであった。そのクラスは、教室後方黒板に、プロ野球の試合結果を書く「文化」があった。発音テストの結果は、プロ野球試合結果と並ぶ形で貼られていた。
私はひそかに驚いた。私は今まで、自分のクラスの結果を自分の教室で貼りだされたことはなかったし、結果も個別に受け取ったことはなかった。しかし、それはたまたま、私のこれまでの担任がそういう考えを持たなかっただけなのかもしれないと思った。発音テストの結果を公開するかしないか、公開するとしたらそれはどんな方法で行うかは、担任の胸一つなのだと思った。

発音テストは「見えざる神のものさし」であった。
そのものさしで、私たちは、丹念に、
隅々まで、ひっくり返され、測定された。

下々の私たちは、お上の言うことをよく聞いた。
お上の事には、間違いはあろうはずがなかった。

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