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聾学校にやってきた人形劇団は、字幕も手話もなしに、人形を操った。人形劇を見る私たちも、「人形」さながらに、鑑賞した。

聾学校にいたとき、何か演劇を文化会館まで見に行ったことがあった。何かチャリティー企画の観劇に招待されたのだと思う。
聾学校の友達のみんなと文化会館に行き、座って見た。どういう内容だったのか全く覚えていない。1~2時間、私たちは座って見た。字幕もない。私はただボーっと見つめた。確か夜の上演で、劇が終わったときは21時を過ぎていた。文化会館を出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。夜の時間帯に、学校の友達と外に出ていることがなんだか楽しかった。

聾学校に人形劇団がやってくることもあった。たぶん、「耳の不自由な」子どもたちにも、人形劇という娯楽で楽しませよう!という企画だったのだろう。黒子が人形をもって操る形で進む劇だったような気がする。私たちは体育館に集まり、その人形劇を見た。
私たちは、整列して座り、ただ人形がくるくる動き回るのを見つめた。おそらくその場では、人形のセリフが音声で流れていた。音楽も場面によっては流れていただろう。しかし、私にはまったく聞こえなかった。聞き取れた子どもたちはいなかっただろう。

テレビにも字幕がつかないのが当たり前の時代であった。
テレビを見るように、私たちは人形劇を見た。
分かるとも分からないとも思わなかった。面白いともつまらないとも思わず、内容を知りたいとも思わなかった。
私たちは「押し付けられた」人形劇を「無心の境地」で鑑賞した。

終わった後には拍手をした。
あのような人形劇が当たり前だと思っていた。当たり前じゃないのは、聴こえない私たち子どものほうだった。始まる前から、礼儀正しい鑑賞が約束された子どもたちであった。

人形劇を観る私たちも「人形」であった。

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