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自分は「弱かった」自分を語り始めた。屈曲した世界は、屈曲のままに、つぶさに語るしかないのだ。どれだけ言葉を重ねても世界は描けないとしても。

聴覚障害児を持つある母親のSNS投稿

数年前、Twitterであるツイートを見かけた。就学前の聴覚障害児をもつ母親からの投稿であった。その投稿は、

聴覚障害をもつ我が子が来年度から小学校に入る。現在は聾学校幼稚部だが、聾学校小学部にそのままあがるべきか、一般小学校に通わせたほうがいいのか。聴覚障害をもつインテグレーション経験者のみなさんの意見をお聞きしたい

というようなものであった。
既に何人かの成人聴覚障害者が返信(リプライ)をしていた。そのリプライの多数をしめたのは、一般学校を肯定的に受け止めているものであり、多くは自身の経験に照らして、一般小学校中学校にいってよかった、友達がたくさんできた、という内容であった。
それに対し、一般学校で聴覚障害児が過ごす精神的な辛さと重圧を述べたリプライはとても少なかった。また、情報保障、合理的配慮といった「権利」については出てこなかった。

私自身は、聾学校幼稚部小学部中学部を過ごし、高校は一般高校に入学した。あのTwitterの、お母さんの呼びかけは、私自身幾度となく受けてきた質問であった。
「…でも、普通の高校に行って良かったこともあったでしょ」
この質問は、聴者だけでなく、聴覚障害者から寄せられることも多かった。

この質問は、一般高校に行って良かったという返事を暗黙的に期待されていると私は思った。この質問に対する「望ましい」返事とは何か。私は、無意識のうちに、あるいは、何年もかけて私の中で育った「規範」に基づいて、
「そうだね、普通の高校に行って良かったこともあったね」
この質問を首肯する答えを言ったのであった。この質問をした人のなかは、答えの色を期待せずに無頓着に聞いただけの人もいただろう。しかしそのような人は、多くは、聴覚障害とそのニーズ等をよく知らない人であり、説明する面倒くささの放棄の代わりに、ただ会話を打ち切る手立てとして、質問を肯定しただけのときもあった。

このお母さんがTwitterで質問をした一連の出来事に、私は怖さを感じた。恐ろしいと感じた理由は、以下の2点である。

1)返信をした人たちは、「選ばれた」人たちではないのか
返信をすることは、声をあげることができるということである。
Twitterであのお母さんに、リプライした人の多くは「聞こえなくても頑張る『強い』人」たちだ。前向きに、聴こえる友達を作り「世界をひろげた」人たちだ。
そういう意見が賞賛されがちな社会にあって、一般学校で聴覚障害生徒として過ごす現実を述べられる人は少ないのではないか。
私が「ふつうの高校に行ってよかったこともあった」と「答えさせられた」違和感をずっと抱いていたように。

また、さきほどのTwitterでの投稿に返信した人はすべて「大人」であった。いまの時代、Twitterをやっている現役の中学生高校生はいるだろうが、あの投稿周辺では見えなかった。いたとしても、「渦中」にいるときほど、自身の状況を客観視するのは難しい。その整理のためには、その時点を通り過ぎなければできない。

リプライすなわち声をあげるためには、最低限その内容を自身で整理できている必要がある。整理には、自己を客観視する作業も不可欠だ。

私は、あのTwitterの返信では少数派だったリプライのほうに、よりお母さんは耳を傾けてほしいと思った。それには自身がもがきながら、自分なりに整理をし、耳の聞こえない人生としてたどり着いた真実が含まれていると思った。また、それはこれまで「聴者社会では価値をおかれず、侮られがちだったこと」でもあると思った。

2)AだからB だという簡単にまとめられる内容なのか
今回のやりとりがあったのはTwitterだ。Twitterでは、お手軽に情報を得られる反面、それは140文字で切り取られた世界だ。ダイジェスト版だ。複雑な事柄をのっぺりと均してしまう。
そうしてできあがったものは正しいと思ってしまう。疑いもなく。
それはTwitterに限らない。「誰でも泣ける」「あなたはこのことをすぐには信じられないだろう」といった、即席の感動、または笑いを提供するうたい文句でネットは溢れている。まるで、ファストフード感動のようだ。
「ふつうの学校でも、聞こえる友達をたくさん作れてよかった」という返答は、それだけでも「感動的」であり、その他のマイナス要素を見えなくさせてしまう力を持っている。気持ちよく感動できるところだけを切り取り聞きたがる人たちはたくさんいるのだろう。

Twitterであの投稿をしたお母さんは、すぐにでも情報を多くの人から集めたい気持ちがあったのだろう。Twitter上では、文字コミュニケーションがベースで、そこに聴覚障害によるコミュニケーション障壁は小さい。しかし、Twitterで答えを集めること自体、「すぐに」「短い」「分かりやすい」「みみざわりのよい」答えが集まってしまう現状がある。その裏には、語りきれない膨大な物語があるとしても。

私はこのお母さんの投稿を読んで、このお母さんは自分のなかではすでに、聾学校小学部か、地域の小学校かどちらかを決めており、最後の後押しをネットに求めているのではないかと思った。

なぜ私は「語りはじめた」のか

高校時代の最中は、自身が「つらい」ことも気づかなかった。高校に入ったばかりのときは「つらい」と思ったこともあったが、すぐにその感情は押しやり、そのことさえ忘れてしまった。「つらい」を生きている最中は、つらいということも分からないものだ。
高校卒業後も、数年間は、高校時代のことを振り返ることができなかった。「つらい」過去として思い出すことさえ。あの暗いトンネルのような高校時代は、それらすべてをごっちゃに詰め込み、開けてはならない箱として、心のなかの奥の奥のず~っと奥にしまいこんでいた。

いや私のインテグレーションはそんな悪いものじゃなかった、と言う人もいるだろう。また適応のために必死に努力した人もいるだろう。それ自体は悪いことではない。一方で、そういうタフな人ばかりではない。ただ、多数者からみて「望ましい」フォーマットがそこにできていれば、語りにくい人はなおさら語りにくくなる。沈黙させられてしまう構造がある。

私は自身の傷ついた経験を無視してきてしまった。
置き去りにしてきてしまった。
向き合うことは、弱さだと思っていた。
だが、それ自体が、自分自身への虐待であったとは知らなかったのだ。

自分の経験をありのままに、弱かった自分を、正々堂々と語ってもいいのではないか。自身の経験を「語る」ことさえ、乗り越えなければならない壁があるのだから。

日常的に手話を使用する聴覚障害者「聾者」をはじめ、被抑圧者の経験は、AだからB、ではない。昔は手話が禁止だった、そういった単線的な因果関係で語り切れないことがある。それを「論理的に」「簡潔に」話すことは、何かが失われるのである。

私は自分が聾学校から一般高校に進学したことを、聾教育の成功例のように扱われたことがある。それは、聴覚障害者の界隈では「強い」属性だ。私が望む望まないにかかわらず。私は、自身の高校時代の経験を語ることで、その「強い」属性を自分から手放そうと思った。自分は「強いから乗り越えられた」人間ではないと。
高校時代の体験は、高校に進学する前に長く育った聾学校時代のこととは切り離せない。それらも含めて語らないと、その全体像を描けない。私は必然的に、聾学校時代のことも語り始めた。

ただ、言葉は、常に世界の断片しか言い表せない。
膨大な言葉をつらねても世界は描けない。
それは手話であっても、日本語であっても。

それでも語るしかない。自分の味わった体験を語ろうとすれば、つぶさに述べる以外に語りようがあるだろうか。誰であれ、自身の体験したことを直線的には語れない。屈曲は屈曲のままに語る。それが適切で、誠実な話法だ。
そうして最初に書き始めたのが、高校卒業式のことだ。

あのお母さんが、どちらの選択をとったのか、私は知らない。
その子どもは手話は知っているのだろうか。聾学校幼稚部で手話に触れていたとしても、一般の小学校に進み、日常的に、同じ聞こえない友達と関わる場がなければ、手話は忘れてしまっただろう。だがいつか、その子どもは、手話と出会う。そしてデフコミュニティに帰ってくる。「耳の聞こえない人」として生きるために。
それを私は確信している。

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