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どこの誰に、どの立場で、何を語り掛けるのか。全国放送で”赤坂”と言われたってどこのことか分からないし、海外在住の人に日本でしか手に入らない紙の本をすすめたって響かない。

ふと思い出した話。

社会人3年目までは、東京ではない街に住んでいた。全国放送に出てくる東京の街の名前に、どこだそれは?と良く思っていた。レストランやデパートだって、遠い街の話で興味がわかない。けど、テレビの向こう側からは、一生懸命に語り掛けてくる。

テレビは、たぶん、まだマシだった。ローカル放送をみていれば、地域の馴染みある街が出てきて、知っているビルが映し出される。

雑誌はどうだ。めくってもめくっても、近所のお店では買えない商品が並び、東京にしかないお店の紹介は続く。

関東ローカルのテレビ番組が話題になり、関東ローカルのCMが全国放送でおもしろCMとして紹介される。他の地域にだって、それぞれに根付いたおもしろCMなんて山ほどあるのに。

こんな話をなんで思い出したかというと。

日本語教育関連のSNS上のコミュニティで、「おすすめの辞書はなんですか?」という学習者の問いに対して、指導者と思われる方々からの回答が、揃いもそろって、紙の辞書、それも、日本語ネイティブ向けの辞書が紹介されていたことに心底驚いたから。

そのコミュニティには、世界中からの学習者が参加している。もしかすると、日本在住が多くて、ついうっかり、日本在住者向けの回答になったのかもしれない。(でも、質問者は日本には住んでいない。)

学習者は、母国語から訳す為の辞書が必要だったのかもしれない。日本語学習者向けの英和辞典が必要だったのかもしれない。初級学習者向けの日本語日本語辞書を求めていたのかもしれないし、日本人が使うものと同等の辞書を求めていたのかも。。。

「おすすめの辞書はなんですか?」という問いだけでは、スパッと答えられない要素がいくつもあって、丁寧に相手の要望を聞き出す必要があったはずだ。質問者が先に開示すべきだという論もたまにみかけるけれど、どれだけの選択肢があるのかも、質問者には分からない場合が多いことを考えると、相手に寄り添って本当に必要なものを聞き出せるのは、質問を受けた側(持ち合わせている情報量が多い側)であることは間違いない。

もちろん、質問者だって、自分で考えられるだけの情報開示ができると、コミュニケーションはスムーズになるのだけれど。

ちなみに、アプリが良いのか紙の辞書がいいのかも明記はなかったけれど、少なくとも、高い送料をかけて日本でしか手に入らない辞書を求めてはいなかったと思う。。。。。

自分が見えてる世界しか見えなくて、「見えていない世界のことを考えよう」というのは、なかなかに大変なことではあるのだけれど、自分が思っている以上に、見えてる以外の世界と繋がっているこの世の中では、もっともっと想像力を働かせる努力をしたいものです。

テレビや雑誌で感じた疎外感は、インターネットでは、どう変化していくのだろう。自分にマッチした情報を積極的に得ていくことによって、疎外感を感じない代わりに、受け手側の見える世界は実はどんどんと狭まっていくのだろうか。はて。




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