見出し画像

UKの大学で試験を採点するということ

イギリスの大学で教鞭をとるようになって早2年目。

夏の追試の採点を頼まれて、A4の3ページほどの小論文に目を通す。追試で落第にするのは心苦しいけど、合格ラインの40点を大きく下回って25点しかあげられなかった。この子はこの授業にかけた時間と労力を卒業のための単位につなげられなかった。残念だけどまた来年。イギリスの大学は完全に実力主義の立場しかとらないので採点者として一切の妥協はできない。

試験に合格するには、必要最低限、授業で習う大体の知識を正確に暗記しなきゃいけない。そして、その知識に基づいて、小論文の質問に答える形で質のいい議論を組み立てなきゃいけない。日常会話の英語じゃなくて、学術的な表現や言い回しも使わなきゃいけない。いい成績を取るためにはプラスαの文献を自主的に読み込む必要もあるし、著者の名前と出版年もいちいち覚えなきゃいけない。

落第になった子は、それが全然できてなかった。

試験を採点しながら思うのは、そういう基本的なスキルを学ぶ機会が生徒には足りなさすぎるんじゃないか?っていうこと。授業をする立場としては、ただでさえ講義の時間が短いのに、「大学での知のあり方」を教えてる時間なんて全然なくて、「そんなことはわかってるよね?」っていう前提でガンガン進めなきゃシラバスを消化できない。だけど、試験を採点すると、自分が想定してた以上の数の学生が、非常に稚拙な語彙でしか物事を説明できてなかったり、テーマに関する理解の正確性を大きく欠いていたりする。

先輩の教授たちは非常に割り切って「(生徒たちは)パーティばっかりして勉強しないからよ」って冷たく突き放すけど、「大学の知」の愉しさを感じさせられない教員側の責任もあるんじゃないか?ってクソ真面目な自分は思う。一つのテーマに関して、感情や思い込みを全部抜いて冷静に批判的に議論をするスキルは、これからますます混迷を極めるイギリス社会を生き抜かなきゃいけない生徒たちにとって、最も大事なことの一つなんじゃないか。冷静にEU離脱の本質を知的に議論できるスキルがイギリス国民にあれば、失業率が上がったり、EUからの輸入品がどうなるかわからなくなってる今のカオスな状況を免れたんじゃないか。社会における大学の役割って一体なんなんだろう。民主主義を愚衆政治から守る唯一の砦は国民の批判的な思考能力だけなんじゃないか。採点者としてこの生徒を「落第」にするのは正しい。だけど、それだけで終わってしまうの?9月からまた同じような忙しい授業が始まるの?

そんなことをぼんやり考えながら自分の論文に没頭して過ごす2019年の8月。No-deal Brexit のカオスと多忙な9月の新学期はもうすぐそこだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?