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ジャズコンボ型組織がオープン・イノベーションを生み出す

ジャズコンボは 複数のプレーヤーが 互いに感覚・感性やイマジネーションを刺激し合って 競合したり 共鳴したり 反発したりを繰り返しながら『一過性のサウンド』を瞬間的に共同制作する

オープン・イノベーション を生み出す組織です

個性が強い”プロフェッショナル”なメンバーが集まったプロジェクトにおいて それぞれのメンバーの最高のパフォーマンスを引き出すマネジメントには秘訣があるのでしょうか?


ブルーノートのアレフレッド・ライオンの考え方


アルフレッド・ライオンは 

契約でアーティストを縛ることもなく いたければずっといていいし 他ににいい条件があれば行ってもいいよというスタンス

1939年のブルー・ノートを立ち上げた際のプレス・リリース

ブルーノート・レコードは売上や話題ばかりを求めるまやかしのそれとは異なり、ジャズの衝動性を見出すことを目指すレーベルです

と語っています


そして 録音前に必ずリハーサルを行って リハーサルに要した時間のギャラを払っていました


かねてよりマイルス・デイヴィスの才能に注目していたアルフレッド・ライオン 1952年~54年ごろの 他のレコード会社はだれも相手にしなかった薬漬けであったマイルス・デイヴィスを支えていました

そんなマイルス・デイヴィスにレコーディングの機会を与え 実現したのが 記念すべきブルーノートの1500番台の始まり(1501と1502)です



1958年『Somethin' Else』


アルバム『Somethin' Else』のリーダー名義は アルトサックスのキャノンボール・アダレイです 

アレフレッド・ライオンが マイルス・デイヴィスをサイドメンとして迎えて シャンソンの名曲であった ♬Autumn Leaves(邦題:枯葉)♬ を ジャズのアレンジにて成功させた歴史的名盤

マイルス・デイヴィスのミュート・トランペットの絶品演奏はもちろんですが このメンバーでなければいけない という気にさせてくれるほどの素晴らしい演奏の“音楽界の不朽の名作”です

想像ですが このアルバム『Somethin' Else』は 当時コロンビアというメジャー・レーベルと契約していたマイルス・デイヴィスの アルフレッド・ライオンへの恩返しだったのでしょう


ブルーノートとアーティストの間には 契約とかそういったものを超えた付き合いがあったんです


ジョン・コルトレーンのブルーノートでの唯一のアルバム『ブルートレイン』も 彼が他のレコード・レーベルと契約している合間をぬって作ったものです


異文化の中でのコミュニケーション


① 異文化を理解するという第一歩は?

どちらがいい どちらが悪い という優劣を論じるのではなくて まずは素直に『違い』を認めて

お互いの立場を最大限に尊重して お互いの主張のギャップを埋めて 双方ともに『納得』できる落としどころを見出す

『納得』できるか?できないか? とても大切な部分だと思います


② 「理解すること」と「納得すること」は違う

『理解』とは

自分の“意思”とは関係なく 物事の筋道を正しくとらえること

『納得』とは

自分の意思を踏まえた上で 相手の考えや行動を受け入れること

この『自分の意思』という部分が とてもことが大切です


③ 『妥協』と『迎合』は違う

『妥協』とは

対立した事柄について、双方が譲り合って一致点を見いだし、おだやかに解決すること 相手に歩み寄り、譲ることで意見をまとめること

完全に満足してはいないけれど 意見をまとめるために双方が相手に歩み寄り 一部を譲り合うことです

『迎合』とは

自分の考えを曲げてでも、他人の気にいるように調子を合わせること

この『迎合』によって『忖度』が生まれていくのかもしれません


④ リーダーに求められる能力

「正論だから正しいけれど 気に入らない」

「理屈は分かるけど 納得できない」

この状態では 最高のパフォーマンスを引き出すことは難しいでしょう


組織の目的を『理解』してもらって『納得』してもらう

リーダーに求められる能力は 部下たちを組織の『目的』のもとに束ねる力



クリスマスのケンカ・セッション


1954年12月24日 プレスティッジ・レーベルの社長ボブ・ワインストックが仕組んだ マイルス・デイヴィスとセロニアス・モンク のセッション・アルバム『Miles Davis and The Modern Jazz Giants』録音が行われました

録音に入る前にマイルス・デイヴィスが 先輩のセロニアス・モンクに「自分の即興パートでのピアノのバッキングはやめてくれ」と言ったそうです

そんな中で ♬The Man I Love(take 2)♬ 演奏中に セロニアス・モンクがソロを途中で止めてしまって ベースとドラムのリズムだけしか聴こえなくなります(5:26~5:38 )

そこで マイルス・デイヴィスが突然トランペットを吹き始め セロニアス・モンクのソロが再開され マイルス・デイヴィスのソロ~ラスト・テーマへという流れていきます


セロニアス・モンクが ソロを途中で止めてしまった原因は?

演奏前のマイルス・デイヴィスの指示に我慢ならなくて 怒りが噴き出してきて ソロを止めてしまったが 気を取り直して演奏を再開した

として「クリスマスのケンカ・セッション」という噂話で広がりました 


真偽の程は分かりませんが ♬The Man I Love(take 2)♬ の緊張感に満ち溢れた演奏は 素晴らしい 流石プロフェッショナル 



センスメイキング理論


入山章栄教授の著書『世界標準の経営理論』によると 

現在の日本の大手・中堅企業に最も欠けていて 最も必要なこととして

組織のメンバーや周囲のステークホルダーが 事象の意味について納得(腹落ち)し、それを集約させるプロセスをとらえる理論

ミシガン大学のカール・ワイク組織心理学者が唱えている『センスメイキング理論』を説明しています


VUCA時代の 「戦略転換」「新規事業」「イノベーション」などにおいてセンスメイキングの役割は重要で 

組織・リーダーに求められることとして 

多様な解釈の中から特定のものを選別し、それを意味づけ、周囲にそれを理解させ、納得・腹落ちしてもらい、組織全体での解釈の方向性を揃えること

その『腹落ち(センスメイキング)』によって

センスメイキングが高まった組織ほど、極限の事態でも、それを乗り越えやすくなる


組織においては 正確性よりも納得性 が継続的に高いパフォーマンスを発揮できる要因のようです



ジャズ・コンボ型組織がオープン・イノベーションを生み出す


マイルス・デイヴィスは ドキドキ感 ワクワク感 のある企画


アレフレッド・ライオンが仕掛けたアルバム『Somethin' Else』

ボブ・ワインストックが仕掛けたアルバム『Miles Davis and The Modern Jazz Giants』


ポジティブな感情による『納得』したからこそ 『迎合』することなく 最高のパフォーマンスを行えたのでしょう


音楽は競争じゃない。協調だ。一緒に演奏して、互いに作り上げていくものなんだ。(マイルス・デイヴィス)


ひとつの目的・目標達成するというプロジェクト毎に その分野のプロが集まり ゴールに達したら 組織構成を変えて 新しい挑戦を始めるという ジャズ・コンビ型組織形態こそが オープンイノベーションを生み続ける組織なのではないでしょうか? 


しかし マイルス・デイヴィス セロニアス・モンク ジョン・コルトレーンといった ジャズ・ジャイアンツ 同士だからこそ 素晴らしいオープン・イノベーションが生まれるのであって


楠瀬啓介さんの投稿から引用させてもらいますが

オープンイノベーションの成功パターンは、自社の事業分野で高度な技術力を持つことで他業界の「勝ち馬」からパートナーに選ばれ、「強者連合」でイノベーションを実現すること
オープンイノベーションを進める企業群が「弱者連合」であってはイノベーションの実現は難しい

これが真実でしょう



人は”勘定”ではなく”感情”で動くのですが、、、


アルフレッド・ライオンの

「アーティストを理解しないとね。何かを本当に引き出すなら」

というジャズ・アーティストの自由・想いを尊重して 先鋭的・創造性豊かなな表現を全力で支援するという想いには 頭がさがりますが

この志に固執したことで 資金難に陥て 会社を手放すことになる


悪評が多いボブ・ワインストック のように 専属契約制を採用して アーティストの活動をしばり リハーサルもやらせないで経費を徹底的にケチるアルバム制作を行い 挙句の果てには ギャラ払いが悪くなって 会社を手放すことになる


こんな事態を招いてしまったら 大変です


ある部分では『妥協』しなければいけない局面もあるでしょうが 

オープン・イノベーション を生み出す組織においても

『納得・腹落ち(センスメイキング)』が極めて重要なことでしょう


『迎合』は 必要ないです



「クリスマスのケンカ・セッション」以降の共演


マイルス・デイヴィスとセロニアス・モンクの「クリスマスのケンカ・セッション」以降の共演は?

ニューポート・ジャズ・フェスティバルで二人は同じステージに立って ♬Round about midnight♬ を演奏したという話はありますが

真偽の程はわかりませんが この「クリスマスのケンカ・セッション」以降 二人が共演したアルバムは存在していないというのは事実です


あくまでも私見ですが

ボブ・ワインストック は 巨匠二人のセッション日程を なぜ?

1954年12月24日 クリスマス・イヴ にしたのでしょうか?

このセンスのない日程設定に 巨匠二人が『納得・腹落ち』できなかったことが これ以降 共演しなかった理由のひとつ でもあるのでは?(笑)




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