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技術革新がもたらしたレコード業界の大きな転機

当時のレコードは『78回転』シングル盤【SP(Standard Play)】レコードで 収録時間は「10インチ (25cm) で3分」「12インチ (30cm) で5分」で、材質はシェラック(樹脂)製で割れやすいものでした。

1948年6月:米コロンビアから直径12インチ (30cm) 『33回転』収録時間20分~30分の長時間録音が可能となった 素材がポリ塩化ビニールで丈夫で薄く軽くなった【LP (long play) 】盤を発表します。

1949年:米RCAビクターが7インチ『45回転 』収録時間5~8分の【EP(extended play)】を発売(ドーナツ盤とも呼ばれています)

LP盤の登場によって、ジャズなどの長尺の音楽作品が普及するようになり、アルバムという形式が定着し、アーティストたちは1曲ごとのシングルよりも、長尺の作品を制作するようになりました。

一方、EP盤はLP盤より短い再生時間であるにもかかわらず、アーティストはアルバムを制作する前に、新しい曲や試作品をリリースすることができ、その反応を測ることができました。

EP盤はより低価格であったため、消費者がより多くの音楽を手軽に購入することを可能にしました。

以上のように、LP盤とEP盤の登場により、音楽業界は大きな進化を遂げました。


Charlie Parker With Strings


バードは、ノーマン・グランツに「ストリングスを使いたい」と懇願して、NBC交響楽団・ピッツバーグ交響楽団・ ミネソタ管弦楽団の楽団員とのレコーディングが、1949年11月30日から12月4日にかけてニューヨークのウェブスター・ホールで行われます。

ノーマン・グランツ、ミッチ・ミラー(コロンビア・レコード)などのバックアッブによって、「Just Friends」「Everything Happens to Me」「I Didn‘t Know What Time It Was」などが録音されます。

当時のバードのファンの中には、彼がストリングスと共演することに反対する人もいましたが、このアルバムは大きな成功を収め、彼の人気を高める一因となりました。

「Charlie Parker with Strings」 は、『SP盤3枚セット』『EP盤3枚セット』『LP盤1枚もの』の3種類のメディアでリリースされました。

そして好評に応えて第2弾が録音(1950年7月)されて、これも3種類のメディアでリリースされました。

ウエスト・コースト・ジャズ


ここまでのジャズの歴史を見てみると、新しい音楽スタイルが創造され流行してマンネリ化していく。

すると、そのマンネリ化を打破することで、新しい音楽スタイルが創造されていく繰り返しです。

【スウィング・ミュージック】:ビッグバンド・楽譜通りの演奏スタイル・メロディアス・踊れる音楽
↓ ↓ ↓
【ビ・バップ】:少人数のバンド・即興演奏・刺激的・踊れない音楽
↓ ↓ ↓
【クール・ジャズ】:聴きやすい・軽い感じ・鑑賞音楽

その後【クール・ジャズ】に影響をうけた、西海岸ロサンゼルスで白人中心のアーティストが【クール・ジャズ】よりもアンサンブルを重視した【ウエスト・コースト・ジャズ】を創造して、大ブームとなっていきます。


1949年にロサンゼルス空港の南にあるハモサビーチにジャズ・クラブ「ライトハウス」がオープンします。

オープン直後に、ビッグバンドでの演奏に飽きて、自分のグループを編成しようと思っていたハワード・ラムゼイが、たまたまこの店に入ってきて、その流れで、「ライトハウス」の専属バンドとして雇われることになります。

1950年代前半のロサンゼルスは、朝鮮戦争による軍需景気に沸いていて、ハリウッドでは映画産業が勃興し、映画音楽のためのミュージシャンが大勢必要となっていたこともあって、仕事を求めて全米からジャズ・アーティストが集まってきました。

「ライトハウス」の成功によって、同じようなジャズ・クラブが数多くオープンして、譜面に強い白人ミュージシャンは映画のサウンドトラックにスタジオ仕事に関わる傍ら、余暇にライヴハウスでジャム・セッションを行っていました。

そんな環境下で育まれていった【ウエスト・コースト・ジャズ】は、
【クール・ジャズ】を受け継ぎつつも、白人色が強く、クールではあるけど明るく、く軽快なジャズというのが特徴です。

アーティストのスキル・テクニックのレベルは高く、編曲もリズムも快活で、スマートな音楽といった感じです。




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