見出し画像

Ubisoft「FARCRY 5」所感

思い返せば大学生の頃からゲームに興じる機会はめっきり減って、いつからかハードウェアはPS2辺りから止まっていたんですが、ここ数年でSwitch、PS4と一気に最新ハードが揃い始め、そして今年はとうとうPS5が鎮座し、我が家のゲーム機事情はあっという間に最新時流に乗ってしまいました。

このPS5、とにかく凄いですね。初めてカタログスペックを見た時に驚きました。なんとCPUにAMD社のRyzenを積んでいます。もはやPCです。むしろ下手なグラフィックボードを積んだPCより全然高性能。

僕はこれまでゲームと言うとポケモンに始まりドラゴンクエストやファイナルファンタジーと言った超有名タイトルのRPGやSimcityやCities:Skylinesのような都市計画シミュレーションばかりだったのですが、30過ぎてとうとうFPS(First-person Shooter)をプレーし始めてしまいました。

FPSはリアルタイムに銃撃戦が続くため、神経を使うし疲れるという先入観で苦手意識が強かったのですが、PS4がやってきてから触れるようになりました。特に転機になったのがUbisoftの「Farcry 5」です。

終末論を唱える武装カルト教団「エデンズ・ゲート」に乗っ取られたアメリカ・モンタナ州の山深くにある「ホープ・カウンティ」と言う架空の街を舞台に、主人公である保安官が教団に占拠された街の解放を目指して住人の協力を得ながら戦うと言うストーリーになっています。始めのうちは慣れないFPSで難しく感じ、序盤からかなり操作に苦戦したのですが、数ヶ月続けた結果、FPSの操作にもすっかり慣れてしまいました。

結局、ファーザーは正しかった。ジョセフの言う通り、世界は「神の炎」によって焼かれて「崩壊」しました。俯瞰的に見れば保安官「ルーキー」は自分の正義を疑わずに行動した結果、自分で世界の終わりをもたらした気の毒な人とも言えるし、エデンズ・ゲートの教父ジョセフの助言に耳を貸さず、自らが与する構造的正義に加担し、仲間と共に暴力で問題解決を試み、そして世界を滅ぼした愚人とも言えます。プレイヤーには結果として主体的にその選択をさせるえげつないゲームです。(笑)

これは「アメリカ的」な絶対的正義に対するアンチテーゼと捉えることができます。ファーザー始め狂人と扱われていたエデンズ・ゲートの諸氏は、来たるべき真実の時に自分たちなりに備えていた真っ当な人々で、暴力でエデンズ・ゲートをねじ伏せようとしていた保安官諸氏の選択は誤りだった。そうなるとファーザー・ジョセフは気の毒な人です。

エンディングに批判が多かったと耳にしますが、僕は良い作品だと思います。大抵の人々は保安官同様、何らかの構造的「正義」に無自覚に加担しており、自分の選択に疑念を持つことがない。分かりやすい正しさや正義を求めて自分の組み込まれた構造や自分自身を疑わない人間に対するUbiなりの警鐘と言えます。そう言えば開発元のUbiソフトはフランスに本社を置く会社だそうです。なるほどな…。

「教父ファーザーを悪の権化としてボコボコにしろと言われながら、最後の最後に『お前の誤った正義のせいで大勢死んだ。お前は選択を間違い続けた』とゲームから突きつけられるなんてfxxkin’ shitだ」と絶叫するプレイヤーもいるでしょうが、Ubiが伝えたかったのは「そういう絶対的な正義を盲信するのはヤバいよ」と言う点だと言うのははっきりしてます。非常に現代的なシナリオです。「ゲームなんだからもっと単純で良いじゃん」と言う人もいるでしょうが…

このゲーム、何と続編が出てました。ファーザーが予言した「神の炎」によって文明が滅んだのちの世界を描いた「ファークライ ニュードーン」という作品です。買いました。セットでプレイがおすすめです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?