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生まれて初めて飛行機に乗った話

気付いたら、もう大晦日。
2023年の振り返りはInstagramで投稿したので、こちらでは別のことを。

9月のnoteの記事で「公募展」について書いていて、その後その件については特に触れていなかったけど、それは「第27回岡本太郎現代芸術賞(通称:TARO賞)」という公募展のことだった。

昨年から挑戦し始めたTARO賞だけど、実は今回、一次審査を通過して「入選」したのだ。
621組の応募の中から入選を果たしたのは、わずか22組。
見ての通り、狭き門だ。
これについていろんな想いはあるけど、これもInstagramで投稿したのでnoteではあえて省略することにする(ぜひ、Instagramに飛んで読んでほしい)

今回、この記事で何を書きたいかっていうと「生まれて初めて飛行機に乗ったこと」について。
そう。ビックリされるけど、42年間で初めて飛行機に乗ったのだ。
いつも地上から見上げることしかなかったあの飛行機に乗ったのだ。
なんとなく苦手意識もあったし、鈍行や新幹線が好きなのと、関西に住んでいたこともあって東京に行くにしても新幹線の方が便利だったりして、この42年の歳月の中で飛行機に乗る機会は皆無だった。
正確にいうと、海外に行くチャンスは2度ほどあったのだが、世界的な情勢の影響でキャンセルしないといけなくなった過去がある。
これはもう仕方ない。というわけで、海外も未体験。

TARO賞の入選で何が嬉しかったかというと、入選そのものもだし、それを報告した大好きな人たちが喜んでくれたこと、そして一緒にその感情を味わう時間を共有できたこと。
そしてそして、「飛行機に乗れること」だった。
このくらい「半強制的」にでも機会を設けないと苦手意識があるものには近付かない性格の私なので、こういうチャンスを心待ちにしていた。

飛行機の予約ってどうやって取るの?
格安航空って何?
そんな「超初心者」の私が「生まれて初めて飛行機に乗った話」をここに残しておく。
いつか「飛行機上級者」になった時に、この気持ちを思い出せるように。

TARO賞は一次選考は書類選考、そして最終選考は川崎市岡本太郎美術館に実際に作品を搬入設営して授賞式当日に賞が発表されるという流れ。
入選が確定した後、最終選考の前に川崎市岡本太郎美術館にて学芸員さんと展示の打ち合わせをしないといけないのだ。
つまりは、事前に現地まで足を運ぶ必要があるというわけだ。
TARO賞の入選が決まってInstagramやFacebookでそのことを投稿して「飛行機に乗ることが初めて」ということを書いていたら、飛行機上級者の人たちが心配して連絡をくれた。

成田空港まで迎えに来て、自宅に泊めてくれることを提案してくれた友人。
自腹で一緒に飛行機に乗って現地まで行こうとしてくれた友人。
旅慣れしていて飛行機の予約の取り方から気を付けることなどを色々と教えてくれた友人。
本当にたくさんの人の協力のおかげで当日を迎えた。

飛行機初体験の日は朝から生憎の雨だった。
だけど、何かを始める時に雨が降っているのは縁起が良いということを心の底から信じている私は、「雨粒がガラスに付いていて、写真が撮りにくいな」くらいの感じだった。
それに、これからきっと何回だって飛行機に乗れるんだから、楽しみは残しておけばいい。

今回はジェットスターに乗って行くことにしたのだが、格安航空は遅刻にとても厳しいというアドバイスをもらっていた。
元々、心配性なので出発の3時間近く前には空港に着いてるような人間なのでそこは何も心配いらない。
待っている間に一体、何本の飛行機を見送ったことか(笑)
それに、いろんな会社の飛行機の離発着が見られて、それもまた得した気分。

待合室みたいなとこの椅子で待っていると、お隣に座っているスーツ姿の男性がパソコンをカチャカチャやっていた。
そんな姿を見ながら「お仕事をしてる人って大変なんだなー。こんな待ち時間にも仕事をしないといけないなんて」
そんなことを考えていたが、ふと我に返って「あ、私も今から仕事に行くんだったわ」と思い出す。
飛行機に乗れることが嬉し過ぎて遊びに行く感覚だったのだ。危ない危ない。

オンラインでチェックインを済ませていたので、空港に着いて特にやることなんて無いのだが友人からのアドバイス通り、有人カウンターに行って「紙のチケット」を発行してもらうことにした。
初めて飛行機に乗った記念に、ね。

そんなこんなで時間になったので飛行機に搭乗する。
チケットをピッてしてもらうこと、飛行機に乗る人しか歩けない搭乗口までの通路から見える景色、たくさん並んだ座席。
全てが新鮮で、ワクワクが止まらなくて、私の心臓がスキップしていた。
指定席料金を払ってまで窓際の席を確保した過去の自分、グッジョブ。
なんてことを思いながら、座席に座る。
想像していたよりも前との座席の距離が近いこと、窓が小さいこと、シートベルトが簡易的だったこと、全てが想像していたものと違っていて、「やっぱり何事も実際に体験してみないとわからないもんだな」と思った。
機内に着席してからも出発まで随分と待たされる。
新幹線の方が慣れてる人間からすると、定刻通りに出発しないと何かと不安になるものだ。
それでも、そんな初めての体験を一つ残らず全て味わおうと、私に備わっているありとあらゆる五感をフルに使ってスタンバイ。

いよいよ、離陸の時。
昔からずっとずっと言いたかったこと、ずっとずっと味わってみたかったことがある。
機動戦士ガンダムのセイラさんのセリフ「Gがこんなにすごいなんて」だ。
だけど、正直にいうと、想像していたよりも「G」は感じなかった。
ちょっぴりガッカリしたのはここだけの話ね。
それでも、何度も夢見てきたこの光景。
滑走路から車輪が外れたその瞬間の感覚はきっとずっと忘れないと思う。
「わぁ!!!」と思わず声を出していた。

グングンと高度が上がっていく。
厚い雲に覆われて、さっきまでいた空港は全く見えないし、もちろん、地上にある街も一切見えない。
たくさん降っていたはずの雨の壁を越えると、そこにはただただ真っ白な世界が広がっていた。
例えるならば、まるで天国だ。
静寂で、向こう永遠と真っ白でフワフワな世界が広がっている。
「ここまで来たのだから、きっと地上で見ている太陽よりも大きく見えるはず」と頑張って太陽を見つめる。
結果、目がやられる。
雪目のように、真っ白な雲に反射した太陽光で目を開いておくことも難しい。
その後、青い空に目をやる。
「宇宙、すぐそこなのかな。手を伸ばしたら、届くのかな」
小さな頃から宇宙が大好きな私は、そんなことを考えてはワクワクしていた。

約1時間の飛行機の旅。
あっという間の時間だった。
成田空港付近は雨が降っていなかったので、地上の街が見えて、友人から「地図帳を持っていくといいよ。海岸線なんてそのままの通りの形だから」とアドバイスをもらっていたことがなんとなくわかった(ちなみに、素直に地図帳を持って行っていた)
次回、海岸線を追ってみよう。

帰りの飛行機は夜だったから地上の街は見えなかったけど、夜景がとても綺麗だった。
光というものは「人の営みそのもの」だと思っている。
人が存在していないと絶対に存在しないものだからだ。
上空から見たその光の集合体は「人の存在」を感じさせてくれるものだったし、「今この瞬間にも、私の知らない世界を生きている人がいるんだ」というなんとも言えない「愛おしさ」みたいなものが胸の奥から湧いてきた。
「いつか、人口が減っていって飛行機を利用する人も減っていって、もちろん、空港で働く専門知識を持ってる人もいなくなると、この煌びやかな光を放っている空港の光もいつかは無くなっていくのだろう」とセンチメンタルな気持ちを抱いたまま、遠ざかっていく離陸した成田空港を眺めていた。

夜の飛行中はほとんど外は真っ暗で何も見えないのだが、唯一地図が無くてもわかったのが「琵琶湖」と「京都の碁盤の目の街」だった。
大学時代に過ごした大好きな滋賀県。
いつも渡っていた琵琶湖大橋。
今も変わらずそこに存在していて、私が離れた20年もの間、そこにだけ流れている時間があったはずだ。
そんな愛おしさを持って、今もまだ滋賀県に住む友人たちに上空から「やっほー!」と手を振っておいた。

そんなこんなで、帰りの飛行機も、あっという間に熊本空港に到着。
これにて、私の初めての飛行機旅は無事に終了。

今回の「初めて飛行機に乗る」ってことに対して、鼻で笑ってバカにしてきた人がいて、すごく悲しい気持ちになったりもした。
だけど、それ以上にたくさんの人が応援してくれたり、一緒にワクワクしてくれたり、実際に行動に起こしてくれた人がたくさんいたことが何よりの救いになった。
そして、人生も半分を過ぎたこの歳になってもまだワクワクできることがあることがどれほど尊くて素晴らしいことなのかと改めて思った今回の飛行機旅。
たくさんの感謝に溢れた時間だった。

随分と長くなったけど、3600文字超えという長文を最後まで読んでくださりありがとうございました。ぺこり。
TARO賞、最後まで楽しんで制作するぞー!

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