略歴3_監査法人時代①_入社3日で諦めた

会社説明会に参加せず、面接では他の応募者と殆ど会わなかったので、舞浜のホテルで行われた入社式が、同期入社の人達との初対面だった。試験に合格した高揚感と選民意識、その一方でこなれず垢抜けないコミュニケーション、僕は彼らと仲良くやっていく自信や意欲を持てなかった。その日は、同ホテルに強制的に1泊させられた。宴会等には参加せず、早い時間から部屋にいた。帰宅できる者はさせてしまった方が割安なのにな、なぜ会社の金でバカ騒ぎさせるのかな、働いていない日にも日当を出すのだな、などのネガティブな印象を持った記憶だけある。一事が万事。

綺麗なメインオフィスのある丸の内ではなく、地味なセミナルームがある田町で研修が始まった。大学時代は高田馬場に住んでいたので、丸の内への通勤は比較的空いている東西線で快適だったが、田町は通勤ラッシュの激しい山手線を利用しなければならず、それがあまりに苦痛で、真剣に原付通勤を考えた。しかしその時代は、今では想像もつかないけれど、満員電車に耐えてちゃんと毎朝遅刻せず出勤していた(もう絶対無理なので期待しないでもらいたい)。研修内容は、一般的ビジネスマナーやwindowsのオフィスアプリケーションの使い方、監査の具体的な手法などだった。僕の同期社員の平均年齢は20代中盤から後半とみんな年上で、前職がある人もかなりいた。周りが年長者ばかりの状況と、自分は周りより劣るという無根拠の強迫観念、更にいつもの、どうせ人間関係で揉めて辞めるだろう思想が相まって、僕はできる限りの時間を勉強に投下した。研修内容について早朝自習したり、会計士試験テキストをやったり、あとは監査法人や会計士の業界、何より経済社会全般について無知だったので、「手に取るようにわかる00シリーズ」のような入門本を大量に買い込み、逐一内容を覚えた。たしか最初の内容が証券流動化で、手に取るどころか1ミリも頭に入らず、そもそも単語から意味不明で、漠然としていた自己否定感が完全に顕在化し、更に危機感を増した。日経新聞も定期購読し始め(当時はもちろん紙が毎日家のポストまで届くのだ!)固有名詞の多さにゲンナリしつつ(専門実務知識と比べた固有名詞の情報単位当たりの価値は低いよね)10億・100億・1000億といった数字の規模感、それを具体的な企業活動にあてはめられることが新鮮だった。勉強の世界は全てバーチャルだった(水道橋株式会社が市ヶ谷株式会社に飯田橋事業を現金を対価として1000で事業譲渡した、みたいな)。他の受講生とはあまり交わらず、この人達は何でちゃんと取り組まないのかな?ぐらいにしか思っていなかった。

研修中に、初任給が出た。大学入学時に買ったピラピラスーツとドンキのシャツ、父親からもらった中古ネクタイというラインナップだったので、大丸の紳士服レイヤでシャツ・スーツ・ネクタイ・クツ一式あとは財布やらメイシ入れ、カバンを購入した。(結局そのスーツは10年以上経った今もまだ現役で冠婚葬祭時に登板している / それ以後一度も買ってないんだな..)以降の給与は書籍代以外に使いみちがないまま貯金されていった。

配属希望は、判断に必要な前提知識が無かったので、出さなかった。金融機関を監査する部署に配属された。出勤初日から歓迎会という名目の飲み会まで、3日間あった。その3日間で、優秀だ・こうなりたい・尊敬に値すると思える人はこの場所に1人もいない、という結論に至ってしまった。いま考えるといるわけがないのだが、当時は職場に期待し、やる気に満ちていたので、かなり凹んだ。ショックだった。どんなことでも同じで、ちゃんとした正しい型に準じたトレーニングをしないと効果がない。誤ったフォームで練習をしても試合には勝てない。努力のための努力になってしまう。このままでは自分もここにいる人と同じような人間に収斂していくだけだという危機感に絶望した。どうにかしなければ。しかし、知識と経験不足を原因として、職場に感じていた不満を適切に論理的に説明できなかった(今ならば完璧にできるけど / でもここに監査法人の悪口を書くつもりはないよ)。どんな選択肢があるのかわからないまま、1年経った。退屈で非合理的でアップサイドのない仕事、尊敬できない上司、優しい先輩、たっぷりの勉強時間と残業込800万円程の年収が、職場のすべてだった。背中に感情を切るスイッチを置いて、必要なタイミングでこれを押すと、作業をこなすだけの機械になるイメージ。自分をこの場に一切混ぜないように、劣化させないように、これだけに注意して、労働時間を提供しその対価をもらっていた。

大学を卒業した年にリーマンショックが発生し、年明けには分譲マンションが低廉価格で投げ売られていた。就業後も大学時代から引き続き、西早稲田の5.5畳1K和室アパートに住んでいた。部屋への不満はなく、大学の図書館も利用できるし、慣れ親しんだ街を楽しんでいたので、あまり引っ越す気はなかった。ただし以下の情勢から、もしかするとマンションを買ってしまった方が良いかもなと考えた。監査法人勤務会計士は、フロー収入は低いが社会信用はあるので住宅ローンを低利で高額借りられる。金融危機でもあまり影響がない。直前にはじまった住宅ローン減税(借入額1%が税額控除) もメリットがある。ちょうど自分好みかつ条件の良い物件を見つけ、月島の佃に2LDKのマンションを4,380万円で購入した。それから4年間、月島に住んだ。丸の内へ通勤しやすい、水辺の散歩道が綺麗な素敵な街だった。最終的にマンションは購入価格よりずっと高く売れたので、本件は良ディールだった。(同ディールについては面白い話があるけど割愛だなこれは)

監査法人時代の前半はこのような時期だった。2次試験に合格し監査実務経験要件期間と補修所単位を積み上げ、基礎的な経済社会勉強を本や新聞を頼りにコツコツと、東京のマンション事情と不動産関連税及び金融機関各社の住宅ローン商品に詳しくなった。仕事人生で1番不遇な時期だったけれど、最初に体力とやる気を過剰償却せず逆に劣等感と危機感を醸成したのはそこそこよかったのかもしれない、そんな1.5年だった。

略歴4_監査法人時代②_干された



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ナガボット1号

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nagabot

略歴

どんな略歴だったのか知ってもらえると仕事進める上で何らか効率的かなと /24歳まで記述済
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