略歴5_監査法人時代③_普通の会計士時代

チームから干され、自宅図書館司書化してから3ヶ月ぶりに復帰した職場は、勤務していた大手監査法人の中でも最大規模のチームだった。100人程の会計士が張り付きで、様々な分野に分かれて監査をしていた。主に連結や企業結合会計を扱うグループに配属された。いくつか幸運があった。

監査法人に勤務する会計士を専門家たらしめているコア能力は、会計基準の知識とその適用手法だ。しかし、会計基準は頻繁に改正されるし、全く新しい概念が古いものに代わり登場する場合もある。そのとき、既存の知識と経験はすっかり陳腐化する。ゆえに会計士は、専門性を維持するため、恒常的に知識をアップデートし続けるが、新しい会計基準のインストールには相当な工数が必要だし、そもそも脳スペック自体が陳腐化している人もいて、なかなか難しい。僕が新チームで担当した連結・企業結合まわりは、まさに当時の新会計基準で、その内容は複雑怪奇かつ高難易度な領域だった。したがって、年長者や上長がキャッチアップしておらず、彼らの経験値はリセットされていた。僕は、会計士試験が終わってからあまり時間が経っていなかったので、試験勉強中に暗記した知識をまだ残していた。若く心身元気で、どんどん追加的に学習できた。そういったことから、短時間でかなり詳しい人というポジションに達した。後述の状況も相まって、経済社会全体でも知識上位層に入っていたと想像する。(当時は気づいていなかったけど)

新チームでの最初の中間監査において、自分の担当箇所から、大きな会計処理の誤りをいくつか発見した。内容は、在外子会社持分一部売却時における評価差額系の論点、あともう一つは税効果の繰延税金資産の何かだった。過年度から繰越された取引なので、先任担当者達が見逃していたものだ。新参者がサクッと発見したので一目置いて頂けたのか、その後チームでの扱いがよくなった。

最初の監査が終わってから、僕の仕事内容が少し変わった。一般的な監査手続である実査(現物チェック)や証憑突合(数字の一致チェック)、調書作成(ドキュメン)などの業務が減った。主な仕事になったのは、複雑な実取引について会計基準に照らしどう処理するべきかを考える、というものだ。監査クライアントは、自社経理部で判断できない取引の会計処理方法を、事前相談として監査法人へ質問する。それに対する回答を考えて書面を作成する仕事だ。これは自分にとって有意義な仕事だった。会計基準に明文されていない取引の会計処理方法を、類推適用と論理思考により導き、監査法人内での合意を得るプロセスを学んだ。じっくり時間をかけて、会計監査六法の隅々まで読み込んだ。当該年度の六法は、背表紙が切れてバラバラになってしまった。指の感覚で任意のページを開くことができた。初めての頭を使う仕事だったので、嬉しかった。元々1人で調べたり考えたりするのが好きだったので、没頭した。その後こういった経験をする機会は無かった。仕事が、実査や証憑突合といった時間を費用計上する作業時間ではなく、上記のような資産計上する実務能力向上時間になったのは、幸運だった。(逆に言えば他の時間は完全に無駄な時間だけど)

この時はじめて、経済社会における専門家という立場を垣間見た。世の中には、領域ごとに、自分で勉強し考える人と、他人に任せる人がいる。仕事には、工数投下の度に能力が上がる仕事と、能力が変わらない仕事がある。サイクルを経る度に、前者はどんどん上達し、後者はどんどん陳腐化し、その差は広がる。能力が上がるに比例して希少性が高まり処理速度が速くなる。希少性が高いと周りから重宝される。意見が通りやすくなり、特別な扱いを受けられる。処理速度が速いとさらに上達サイクル数が増えて、幾何級数的に加速する。

それまで、仕事はただの作業で、これを通じた専門技術の習得はできなかった。新チームで任せてもらったのは、知識を身に着け考える仕事だったので、日々どんどん詳しくなって、色々な人から質問を受けるようになった。この感覚は新鮮であったし、完全に正しいと感じた。これが、今も唯一信じる能力主義の原体験だった。

新チームでアサインされた最小単位のグループは8名から構成されていた。グループのリーダーは、これまで(2018年現在)出会った中で最も会計基準に詳しくその解釈手法に優れた会計士だった。(超強面だけど優しいMシさん、懐かしい..まだ監査法人残ってるのかな)従ってMシさんに各所から上記の様々な会計相談が寄せられていて、最初の監査で(たぶん)少し認めてもらったのもあり、その仕事を一緒にやらせてもらいつつ、手法をトレースし学んだ。こんなに詳しい人もいるのだなと感心し、自分の評価尺度を上げた。寝ずに考えた会計処理方法を持参し説明した後、強面からニヤっと笑ってもらっていいじゃん、と言われた嬉しさは、いま当時を思い出して真っ先に出てきて自分でも驚いた。マネジメント手法は完全に放任で、仕事の成果についてしかコメントをしなかったのはありがたかった。また、新陳代謝の激しい監査法人(つまりガンガン人が辞めていく)なので、2年目だったがグループには後輩が2人いた。ゆえに1番下ではなくなったので、作業系の仕事が減った幸運もあった。後輩の1人が、いまも付き合いのあるI-ブチだった。新参者として黙々と仕事していたら、いきなり隣に立って、「これ考えたんですよね?なかなかやりますねぇ!」って絡まれたのがファーストコンタクトだった。会話の後、後輩であることの確認は何度もした。I-ブチは抜群に頭は切れるけどなかなかに破天荒で、とりあえず人には上から目線だし言いたいこと言ってしまうし声でかいしで、かなり上司達に嫌われていた。数十名いる部屋に響き渡る大声で、こんなのもわかんないんですかー?ってずっと上の先輩を激詰めしていたのが懐かしい。自分よりも組織でうまくやれていない人間を見る機会がそれまでなかったので、親近感と、これはダメだな笑と翻って自分を客観視できた。とはいえ抜群に頭が切れるので、会計処理の議論をするのは、純粋に楽しい時間だった。結構な時間、Mシさんと3人で会計談義に熱中した。(I-ブチはいまコンサル会社でブイブイやってるみたいだ)

このように、復帰後新チームでは、色々な幸運が重なって、相対的に良い時間を過ごした。いつもランチに繰り出す後輩2人もできて、同じメンバーでランチをしたあとゆっくり庭園でフラペチーノを飲んだり、皇居を散歩したりした。仕事がないときは午後からサボッて家でwiiをやったりもした。3次試験勉強もじっくりできた。1年後、晴れて公認会計士を名乗るための実務期間を終えると同時に、監査法人を退職した。少しだけ状況は改善したとはいえ、監査法人に居続ける理由は1つも無かった。強制シャッフルがあったので、Mシさんのグループにいられたのは半年だけだった(その後は金融商品や債権評価をやっていた)。転職先については、それまでの人生の反省を生かし、とにかく考えに考えて決めた。

次回:ボランティアで投資ファンドをやっている不思議なNPO

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ナガボット1号

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略歴

どんな略歴だったのか知ってもらえると仕事進める上で何らか効率的かなと /24歳まで記述済
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