略歴8_投資ファンドNPO③_カンボジア金融機関DD

前回:24歳。先輩に紹介された投資ファンドNPOへ加入した直後、カンボジアの金融機関をDDしてこいとの命を受けて、1人プノンペンへ。

ハノイ経由で深夜のプノンペンに到着したところで、ビザを持っていないことに気づいた。On arraval用の写真も手持ちになく、困っていたら、カンボジア軍服を着た日本人が突如現れ、ビザなしでイミグレを通され、軍用ジープでホテルまで送ってもらった。初めての東南アジアでの夜、車内から見た町並みが怖くて、散策に出る余裕は無かった。薄青い街灯に照らされた半裸の男たちが大量に路上にたむろしていた。少し大通りから外れると未だ道は舗装されておらず、ところどころ水やゴミ溜まりがあった。

翌朝、ホテルのロビーで、定刻より30分遅れてやってきた投資先会社(以下、S社)の担当者と会って、トラックに乗り込み、4時間走った。青空市場調のパーキングエリアで蜘蛛の燻製を食べたり、洪水中なのか湖の一部なのか判別できない大量の水が溜まった土地を走り抜けたり、見渡す限りの水田、しかしところどころに背の高いヤシの木が林立している風景に感動しつつ、それはあっという間だった。

到着した場所は、ヤシの木で建てられた民家がジャングルの中にポツ、ポツと並び、水田やゴムの木の森林、カシューナッツ畑が広がる、いわゆる農村だった。後に調べたデータによると、広さ縦横約70キロメートル四方の範囲内に6万人が住んでいて、水道8%・電気供給30%、世帯平均年収は600ドルとのこと(タイポではなく、年収)。他の町とつながる唯一の舗装された道路の両側に、200メール程か、電気も水道もつながるエリアあって、そこにS社の支店はあった。

支店では、20代から40代までの7人が働いていた。会計係の女性1名を除いて6名は、支店の2階スペースで寝泊まりしていて、僕もそこに泊まることになった。6畳ほどの部屋が2つ、寝る時は布団を敷き詰めて雑魚寝した。格子だけで窓ガラスは入っておらず、シャワーや水洗トイレはなかった。

S社の事業は、マイクロファイナンス業だ。少し特殊な小口の貸金業なのだが、説明は省く(今月201806発売のForbesを読めば仔細書いてあるぞ!みんな要チェックだ!笑)。顧客数は1000人で、その数を7人で回している。僕がここに来た目的はDDなので、会計帳簿を見せてもらい、適当なサンプルを10つぐらい抽出して、貸出と返済の業務プロセスのウォークスルーをして数字がちゃんと繋がっていることを確かめてみた。システム(といっても当時は非同期スタンドアロンwin専用)への打ち込みやレビュー体制なども観察した。ちなみに、支店の会計データは、週次で、支店から1時間程の場所にあるインターネットカフェにUSBで持っていって、本店へ送る(いまはもうネット通ってるだろうなぁ)。手こずったのは利息計算方法の把握で、先方担当者の英語力の問題もさることながら、そこはカンボジア農村地帯にある無クーラー無扇風機オフィス、室内気温は40度近く、湿度は持っていったノートがシナシナになる程高く、なかなかに思考集中を保つのが困難だった。ただ、こちらも仕事で来ているし、僕は比較的諦めの悪い方なので、時折互いに声を荒げながら、ちゃんとした理解に至るまで、汗だくになって議論を詰めた。

貸出や返済、モニタリングプロセスなどをチェックする趣旨で、貸出先顧客の訪問をさせてもらった。顧客は主に農家で、一部小さな商店などがあった。基本的にいずれも木造平屋で軒下に休憩スペース、すぐ横に井戸、という建付で、例えばジャングルの中に唐突に集落が現れたり、川に沿って基礎部分を水中に突っ込んで一部納涼床風にした家が並んでいたり、興味深かった。外国人を見るのは初めてとのことで、行く先々で何らかの歓待をしていただいたし、僕もそういった環境に身を置くのは初めてだったので、先方と同テンションで楽しんだ。おばあさんが木から切り落としたバナナの房を茎ごと担いできて、手渡ししてくれたものを受け取ったところ、そのあまりの重みでシリアスに肩を痛めた。まとまったバナナは重いということが一生の記憶になった。

前述の通り、僕も支店のスタッフと一緒に支店の2階で寝泊まりして、朝から晩まで行動を共にした。支店の朝は早く、スタッフは5時頃から働いていた。毎日掃き掃除から始まる。昼はバイクに乗って顧客を回る。顧客には移動手段を持たない人も多いので、資金提供や返済受領は顧客の家で行われることが多い。僕もバイクの後ろに乗せてもらって、一緒に回った。夜は21時頃まで書類作成をしていた。食事は支店内で米を炊いて、おかずを近所の市場で買う(よくあるビニル袋に入ってるスープ系のあれこれと淡水魚の燻製)。米はわんこそば方式なので延々と盛られ、日本に戻るまでに2キロ太った。訪問前、生水やフルーツ、氷には気をつけろと聞いていたが、どうでもよくなっていた。金曜日の夜は飲みに繰り出した。ジャングル内の東屋にて、青白い裸電球に照らされた鍋で、鰻を輪切りにして野菜と一緒に煮込み、そこに生卵をかけた美味しい魔料理を食べた。盛り上がり、氷を入れたコップ注いだカンボジアビールを沢山飲んだ帰り、軽トラの荷台にみんなで乗って、目も開けられないようなスコールの中、街灯の全く無い木々生い茂る未舗装道路を、酔っぱらいがフルスロットルで突っ走り、あぁ死ぬなと思ったけれど、それもまたどうでもよかった。毎晩、1部屋に集まり車座になって、これまでの人生や将来のことを話し合った。知れば知るほど、純粋な人たちだな、と思った。その純粋さは、僕ではトレースできない純度だった。

以上のように、興味深い経験がいくつかあった。当時思ったことを列挙してみる(これを書いているいま、ではなくその当時)。

みんなよく働くな、と思った。朝5時から、夕食休憩を挟んで、夜21時まで働いていた。土日には、大学や大学院に通うスタッフも多かった。正直舐めていて、もっと怠惰的なのかなと勝手に想像していた。元々あまり先入観を持たないタイプだろうとそれまで自己誤認していたので、反省した。(その後、南アジア〜東南アジアの実務現場で様々な人と働いた現在としては、国と会社によって日本よりも強い趨勢はあるよね、と思っている)

カンボジア農村にあるオフィス内で行われる内部統制活動が、原則的・教科書的な内部統制論とさほどズレていないことに感動した。完璧ではないが、繋がるべき数字にはダブルチェックが入りその結果をサインとして残している。現金実査は毎日行っている。入出金の突合もちゃんとしている。そしてそれら活動内容が適切にドキュメントとして準備されている。思ったよりキチンとやってるんだな、偉いな、と感じると同時に、日本で習得したマニアックな専門技能でも、こういった場所で役立つこともあるのだな、案外援用できるのだな、と思った。また、当たり前だが、複式簿記はどこに行ってもそのままの複式簿記で、その普遍性と共通言語能力に感動した。勉強をはじめたときは、無味無臭かつ反復ばかりで、試験以外にこれ何か役に立つのかな、と考えていたけれど、複式簿記は個人事業であってもベンチャー企業でも大企業でも、日本でもカンボジアでも、ITでも金融でも小売でも全て同ロジックで整理し測定できる、完璧な技術体系だ。自分に実装されている専門能力(FF5でいうところのアビリティ的概念)は、多く深い方が、どんな場所でも役に立つ可能性が高くなるし、その方が、何かやりたいこと、やるべきことが現れた時に対応できる可能性が高くなる。ゆえに、とにかく継続的に勉強と研究を続けてアビリティを実装していったほうがいい。

スタッフの部屋に居候させてもらってしばらくして気づいたのだが、そこにあった彼らの荷物が、10日出張の僕と変わらないほどに、少なかった。バックパック1つに収まる量の私物。聞くと、必要なものは十分にあるし、そもそも欲しいものはなく、また、稼いだ金のほぼ全ては仕送りしているので手持ちがあまりない、とのことだった。ただ、観察する限りにおいて彼らは日々充実していて、楽しそうだった。また、顧客に会いに農村部を回った時に最も印象的だったのが人々の幸せそうな顔で、環境の牧歌的な様と相まって、東京の人々よりずっと満足しているように見えた。経済的充足と精神的満足は果たして比例しているのか、人の欲は外発的か内発的か、リスク感度は人の精神にどのような影響を与えるのか。その辺りの考え方に大きな影響を与えてもらった。しかし、少なくとも彼らは、天災や病気、政変などのリスクにあまりに無防備だ。全人類は、先進国のレベルにまでそれらリスクへの対応を備えられる程度には経済発展をするべきだ、と僕は考えている。

これは帰国後に仲間と話していて感じたのだが、僕は案外どこでもやっていけるんだな、と思った。例えば初めて会ったカンボジア人達と数日寝食共にしたり、シャワーが無くて井戸水浴びだったり、ガラス入っていないから寝室に沢山虫いたり。一方で、仕事部分は日本にいる時と同じように妥協せず制御したり。一人ひとりと深く話して、人間関係作ったり。現地にいるときは、そうした方が良いからそうする、気にしても仕方ないから気にしない、この程度の発想だったのか、ただ自然に過ごしていた。一方で日本にいるときは、できるだけ人と話したくない、かなり綺麗好き、すぐシャワー浴びるし気温にも湿度にも異常に敏感、まぁ...わからないものだ。(コレ読んだ部下に、気にしないことができるなら気にしないでもらえますか?とか言われそうだ笑)また、その時全く体調を崩さなかった。覚悟していたので、偶然かな、という認識だったが、現在まで100回近くエキゾチックな国々を訪れたところ、未だ一度も体調不良になったことがない。一緒に行く人々が倒れるのを見ながら、これはそういう類の才能なのかもな、とかいまは少しだけ自信を持っている。

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当初予定の3泊4日の後、プノンペンに戻って本店でDD及び投資交渉をした。契約締結後の3日間は観光用に確保していたのだが、アンコールワットよりもう一度支店で生活がしたかったので、戻って同じようにスタッフと生活をした。選択できるなら、より希少な経験をした方が良い、今しかできないことは今した方が良い。選択肢を作り出すのは難しいけれど、少なくとも選ぶときにはそれだけは心がけよう。

次回:「プノンペンでの投資交渉、その後の投資ファンドNPOでのこと」


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ナガボット1号

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nagabot

略歴

どんな略歴だったのか知ってもらえると仕事進める上で何らか効率的かなと /24歳まで記述済
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