略歴6_投資ファンドNPO①_キミ何系?オレ仏系。

24歳、監査法人3年目。仕事環境はそこまで悪くなく、職場はいい人ばかりだった。けれども、いくつか不満があった。

会計などを勉強して公認会計士試験に合格し、2年弱の実務を経て会計基準と監査実務に詳しくなったが、それらがなにか人の役に立つ感覚は全くなかった。人類社会のためといったたいそうな貢献を求めていたわけではなく、少なくとも僕の技術と知識を使った労働時間の受け手が、何らか経済的な価値を享受する、それぐらいは欲しかった。社会における監査の役割上、残念ながらそれは仕方ないことだが、僕は嫌だった。チェックではなく、何かを作りたかった。前に進める仕事がしたかった。

監査業務は、事実を基準に照らし意思決定を下すプロセスだ。欲を解放して、アップサイドを目指す要素がない。なにかを成し遂げたり、数字をあげたり、なにか効率化するべく設計し実装する指向性の努力がない。そういうものだといえばそれまでだが、僕は嫌だった。(最近はパートナーの友達も増えてきて、「いや、立場が上がれば変わるよ」と言う人もいるけれど、自分と比較するべきは監査法人にいるスタッフ達ではなく、会社経営者やCFOだろう)

あまりに暇だった。理由はいくつかある。職場で、全く同じ作業をみんなでヨーイドンで始め、数週間にわたりどれだけ数をこなせるか、というタイプの仕事が何度かあった(債権DD)。プロセスを工夫する、自分マスタを作る、VBAを書くぐらいのことをしただけだったのだが、概ね他者平均の3、4倍の数を処理していた。なんとなく、自分は早いのだなと知った。その他の仕事はチームメンバーに均等量を割当てられていたので、効率的に処理するほど暇になった。その分追加で仕事を振るような機動的マネジメント体制は当然に存在しなかった。また、監査法人の仕事量は、他のTier1ホワイトカラービジネス領域と比べ少ない(監査法人はTier1ではないから比べるのはおかしいけれど)。仕事体力があって、かつ、あまり睡眠時間が必要なタイプではなかったので、同じパフォーマンスで18時間は働くことができた。また、自分は社会全体では無能な存在であって、できるだけ自己研鑽して少しでもキャッチアップしなければならないと強く信じていたので、高難易度で大量の仕事をぶん投げられることを期待していた。仕事が簡単かつ少量で、一方僕は時間と意欲を持て余していた。もっとなにかに心身を摩耗させ工数を費消したかった。

職場に、凄いな、面白いな、こうなりたいなと思える人がいなかった。これまでに書いてきた状況から、どうしても優秀な人は、公認会計士になるための実務期間要件である3年間を過ぎると監査法人を辞めていってしまう。優秀な人が辞めるから、またその後輩の優秀な人も期間経過後に辞めてしまうというスパイラルだった。20代前半で、まだまだ周りから刺激を受けてがんばりたい盛りだったので、その状況に不満があった。

こういったことに日々悶々としていたら、突然大きな変化があった。きっかけは、Tッチーさんへの相談だった。当時、仲良くしてもらっていた大学のI先輩が外資金融勤めで、その世代のいわゆる外銀コミュニティの人達と、よく一緒にいた。みんな年上だったし、僕だけ暇な仕事をしていたので、いつも幹事を担っていた。小回り効くし呼べば来るし無意味に英語話せるし良いなと思ってもらったのか、きらびやかな場所での派手な遊びに毎週連れて行ってもらった。(この業界のみなさんは、30歳の手前から海外に行ってしまったし、僕も30歳を過ぎて酒を飲まなくなり人が集まる場所に行かなくなったので、あの時代に遊ぶことができてよかった)そういった飲み会や旅行を通して聞く彼らの仕事話が、経済社会への小さな窓だった。ある日、そのコミュニティの人に呼んでもらって、田町の芝浦アイランドタワーの高層階にあるオーストラリア人宅で行われたパーティにいった。一通り賑やかしたあと、薄暗い照明とありがちなクラブミュージックの真ん中で、仏系外銀にお勤めだった物静かで優しく的確で正直、でも一方仕事場では激しい(らしい)Tッチーさんに、場違いに、上記のような仕事の悩みを相談していた。グラスに入った赤ワインをくるくる回しながらTッチーさんは、「おれNPOやってるんだよねー、暇なら来る?」と言ってくれた。NPOと聞いたとき、何となく、ああ、ボランティアか、人の役に立ちたかったし、それもいいかもな、と軽く思った。キャリアは監査法人だけなので経理すらできないけれど(監査法人にいる会計士は経理ができない。これは是非覚えておいてもらいたい)、そこそこマジメで綺麗好きなので何か資料整理ぐらいはできると思っていた(ツール知識や整理技法も皆無なので実はそれも誤解だ)。Tッチーさんはその場で、マイクロファイナンスがどうとか教えてくれたのだが、正直全く知らなかったし、あまり内容にこだわりはなかった。ただ、「けっこういいと思うよ」とあのTッチーさんが言っていたので、とりあえず行ってみようかなと思った。

毎週土曜日の夜に新丸ビルの10Fでミーティングをしているとのことで、ふらっと行ってみた。丸の内地下のスタバ前に、10名ぐらいの穏やかそうな人と、5名ぐらいの穏やかそうではない人が集まっていた(Tッチーさんはではない人だ)。少し聞いてみたりないしは察したところ、1/2が国内外金融機関、その他は国際機関や事業会社に勤めていて、あと数名は会社経営者や大学生だった。2010年の春先に行われたそのミーティングは、Skypeで海外に繋ぎオンライン会議状態にしてGmail上で予め共有されているミーティングアジェンダにのっとり、ローテーションでアサインされたファシリテーターの仕切り下で、プロジェクタに参考資料を描画しながら、誰かがGoogleAppsのドキュメントにリアルタイム更新し続けている議事録を適宜チェックしつつ行われた。共有してもらったドキュメントや議論から察するに、やろうとしていることはつまり、NPO法人が第二種金融商品取引業者と組んで匿名組合スキームで資金調達をして劣後債でカンボジアの金融機関に投資する、そのアレンジとDD、FAとモニタリング及びレポーティングだった。19時から始まったミーティングは23時半まで続いた。これを、毎週やっているらしい。必要に応じ、平日の夜中もオンライン会議をするし、メールのやりとりや何らか作業はほぼ毎晩生じるとのことだった。

どうやったら入れるのか?と質問し、ちょっとした書面を作って共有し、2週間ほど待ったら、どうぞ入って下さいということで無事入会の運びとなり、その次に参加したミーティングで、「そうだー!nagabotが行けばいいんだよー。カンボジアの金融機関のDD、行ってね。あ、ひとりだよ。」と長身のA女史に言われた。

「あのNPOをどうやって知ったのか?」という質問の答えは、上記である。

次回「カンボジアとか行ったことないんですが」

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ナガボット1号

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nagabot

略歴

どんな略歴だったのか知ってもらえると仕事進める上で何らか効率的かなと /24歳まで記述済
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