見出し画像

スタートアップネイション・イスラエル人の考えていること―努力とその結果

日本で学校教育を受けて育つと、「努力の大切さ」をものすごく小さな頃から教えこまれますよね。

耐えて、頑張って、黙ってコツコツ努力するのって、すっごく日本人の得意とすることだと思います。
例えば、「漢字を覚える」という日本語ユーザーにとっては至極当たりまえのことを身につけるために、同じ文字を何度も覚えるまで繰り返し書く。私たち日本人にとっては、こういう文字の覚え方ってあたりまえですよね。中学生になっても新しい漢字を習う時は、ノートに何回もその文字を並べて書きました。
でも、イスラエルの学校では高学年になってまで同じ文字を10回も20回も書いて覚えるというやり方はないのです。そりゃそうです。文字の量が少ないので(26文字)小学校の1年生も中盤でもう全部覚えてしまう。というか、多くの子供たちは就学前に大体読めたりするものです。いつまでも同じ文字を繰り返し書くとか、必要がないのです。

「石の上にも三年」とか、出典など詳しいことは知りませんけれど、日本人で知らない人はいませんよね。外国語でもそういった格言はいっぱいあるのかもしれないけれど、やっぱり日本人と言うと、私の中では黙ってコツコツ努力するイメージが大きいです。
私は昭和の日本で教育を受けたし、柔道や書道などをちょっぴりたしなんでいるので、努力することや、同じことを繰り返して「型」を憶えることの重要さは、身にしみて感じます。努力が重要という価値観、大賛成です。

ただ、時々思うことがあるのです。日本社会って努力することに重きを置くばかりに、その結果を、ちょっとおろそかにしている部分があるのではないでしょうか。

どんな時にそう思うかというと、イスラエルのスタートアップと日本の会社の間に立って話をしているときです。
二つの会社が提携してプロジェクトを行おうとする。そんな時イスラエル側の第一の質問は「ゴールは何か」。そして日本側の第一の質問は「どんなやり方が良いのか」。
この二つの質問って、この順番で、こうやって一緒に並べて書くと、最強なんです。でもこれがこの順番でかみ合わないと、本当にトンチンカンなことになる。

イスラエル側は目的地がセットされたはいいけれど、どうやってそこに向かっていいのかわからない。コツコツ型の努力より一足飛びを選んだりするので、なんだかとんでもないことになったりする。
日本側は、「できる」やり方ばかり求めるので、結局たどり着いたところが目的地になる。「努力すれば結果は後からついてくる」と思っているからです。

でも、私は声を大にして言いたい。「努力の方向が正しくなければ、正しい結果はついてきません!」と。

プロジェクトのような大きなことでなくても、1時間ちょっとの会議についても同じことが言えます。
会議の終わりに、どこにたどり着いていたいのか。そういうことをあまりはっきりと言える日本人が少ないと思います。
○○について聞きたい、とか○○について話したい…ということはあるのですが、「話して、どこに持って行きたいの?着地点はどこなの?」と聞くと、相手の話を聞いてからとか、話してみなければわからない…とか。
そんな時にイスラエル人は、目的地を明確に定めて、そこにたどり着くためにぐいぐいと攻めているのです。

できるかできないかを確認してから、できることをゴールとする日本人。(失敗は少ないけど大成功も生まれない)
ゴールを決めてからできる方法を探るイスラエル人。(時々できる方法がなくても強行突破してしまうので、失敗も多いけれど大成功もあり得る)

私はこの二つが組めれば絶対に最強だと思うのです!
そのためにはお互いがお互いの方法を少しづつ学んで、自身の良い部分を伸ばして補い合うことが重要だと思います。
日本人は、「やり方とか前例とか関係なく目的地をどこにするかを考える力」を、イスラエル人は「理論的に説明できないことだからと言って軽んじずに黙ってコツコツ努力する力」を。

私は、日イ両方の楽な方向に流れてしまっているので、両方学ばなければいけませんね…。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?