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ツラニミズとして生きるということ

※注意※
この記事はツラニミズのことについてのメタ発言に当たる要素が多く含まれています。おそらく1人もいないと思いますが、ツラニミズガチ勢の方はブラウザバックをお願いいたします。




名前に乗っかるもの

ツラニミズという名前を使い活動し始めて、7ヵ月と少しが過ぎた。
この名前を使いだす前にも約15年くらい表立った活動をする時には、本名ではなく別の名前で活動していた。おそらく普通に仲がいいけど、本名を知らない人なんてザラにいると思う。

自分にとっての2つ目の名前である「ツラニミズ」という名前で活動し始め、最近だとさらっとツラニミズさんなんて普段の会話で呼ばれたりするもんだから、名前っていうものはとても影響力があるんだな~と思ったりもする。

ただ、2つの名前には大きな違いがある。

それは責任の重さだ。

もともとの名前はDJとしてだったり、その他にも表に出る時の名前だったが、この名前には責任が発生していなかった。せいぜいあるとすれば、めちゃくちゃなことをやったら次回からイベントに呼ばれなかったり、逆にいいパフォーマンスができたら他のところからも声がかかったりなんて感じで自分にすべて返ってくるくらいのものだった。

しかし、ツラニミズという名前には責任がたくさん乗っかかっている。
AZKiすいせいはもちろん、イノナカミュージックの活動を手伝ってくれている人達への責任が発生している。同時に自分が倒れれば止まる進行が先々まで何個もあったりすることからも、それぞれの人生や関わってくれている様々な人達とのプロジェクトの責任を背負っているといっても過言ではない。

そしてもっとも大きいのが
「好きなことを仕事にさせていただいている責任」だ。

好きなことを仕事にすることは容易ではない。今まで十年以上、それを身に染みて感じてきたからこそ、好きなことは仕事にすることが最も難しいものだと思っている。

もしもの話

例え話をする。
あくまで例え話で、そんな未来など今のところは予定されていないし、
そうならないように進めるために今がある
のを前提に。

もしも、AZKiすいせいのプロジェクトが何らかの形で終了することになったとき、どうするか?という話だ。

終わりを迎えるにあたって様々な整理(それぞれのネクストキャリアや、イノナカに関わってくれている人へ正しく筋を通すこと)をした後の話だが、

自分は死のうと思っている。

もちろん物質的な死ではない。(かといって精神的な死でもないのだが...)
もう少しわかりやすく説明すると、諸々の整理が終わり、最期の瞬間を迎えた後ツラニミズという名前とともに、この世界から退場しようと思っている。

すべて片付け、引っ越す準備をし、大阪へ帰り、それとない仕事を見つけ、
当たり障りのない生活を続け、好きな音楽を聴き、それなりに楽しい感じに元いた仲間と一緒にたまには小さなバーでDJをしたり、だらだら朝まで酒を飲んでといった暮らしをしようと思っている。

ツラニミズとしての死=好きなことを仕事にさせていただいている自分の死であり、好きなものが趣味に戻る瞬間だと思っている。

プロデューサーではなくマネージャー


会社に所属し続けることだったり、ありがたいことに
仲良くしてくださっている同業の方のところに自分だけ
お世話になってこの世界に居続けることを続けることも可能だと思う。

しかし、それは一切考えていない。

なぜなら前述した責任において、様々な才能や貴重な時間を消費させていただいていることに代替なんてものは存在しないからだ。

自分が担当じゃなければもっと売れたかもしれない。
自分が関わらなければもっと幸せだったかもしれない。


なんてネガティブなマインドを日々叩き潰して活動している。
そして、人生にリセットやセーブポイントがない以上、
今回ダメだったから次頑張るなんてものは存在してはいけない。

尊敬する人からの受け売りだが、

「プロデューサーはプロジェクトが立ちいかなくなった時、別のプロジェクトにいくことができるが、マネージャーはタレントと一蓮托生だからこそのスリルがある」

という言葉をとても大切にしている。
もはや自分の活動や立ち振る舞いすべてにおいて
この言葉に尽きるといっても過言ではない。

一蓮托生で次はないからこそ、
生き続けるために、進み続けなければいけないと思っている。

生かされているという実感

そんな感じで一種の覚悟に似たものをもって活動しているわけだが、
AZKiすいせいの歌だったり、楽しそうにしている様子だったりに生かされているな~と思う瞬間が最近よくある。

そしてそれは同時に、開拓者の皆さんや星詠みの皆さんに2人が愛されて、
生き続けていけるからこそ感じられること
なんだなと。

いろんな人に間接的にも直接的にも生かしてもらって、今があるんだなと。

この夏は皆さんに直接会うことができる機会がたくさんあります。
皆さんがその機会を生きる糧にしてくださっているのなら、それはある意味一種の共依存だと思っていて、僕はそんなポジティブな共依存が大好きです。それぞれがそれぞれを必要として、生き続けることや、その輪を広げていくことができるように、僕たちも精いっぱい生き続けるので、どうか一緒に歩いて行ってください。(AZ葬のチケットマジであと数枚なんで買ってください)

https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01mhcz10adec1.html


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