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ダンスのプロ、Dリーグを取材しようと決めた本当の理由

ダンスのプロ、Dリーグを取材していると、若いダンサーと話す機会が多い。

avex ROYALBRATSのリーダーJUMPEIが1997年生まれ……私がプロ野球担当記者になった年だ。

昨シーズンの年間MVDを獲得したCyberAgent LegitのリーダーTAKUMIは2000年生まれ……巨人担当でONシリーズを取材していた。

昨シーズン王者、KADOKAWA DREAMSのリーダーKISAは2003年生まれ……ヤンキース松井秀喜選手の担当としてアメリカに赴任していた。

SEPTENI RAPTURESの人気者、ShigetoraとAOIは2005年生まれ……もう、野球担当のリーダーになって球界再編後の取材を仕切っていた。

各メンバーの両親より私の方が年上で、おそらく祖父に取材されているようなものだろう。

昨シーズン王者のKADOKAWA DREAMS

年が離れたDリーガーたちにダンスを始めた頃の話を聞くと、高校時代の友人を思い出す。その友人の存在があるから、私にとってダンスは決して縁遠い世界ではなかった。

友人のHは、休み時間によくダンスの練習をしていた。体育館の鏡や、窓に体を映して、さまざまな動きを繰り返していた。

最初はディスコで目立ち、女性にもてようという動機だったのではないか思う。彼だけでなく、数人の友人がダンスを練習していた。ただ、次第にHだけ雰囲気が変わってきた。

ディスコで自分よりもダンスがうまい人物に会うと「あいつにできて、オレにできないわけがない」「ぜってー、この技できるようになる」などと言って、1人で真剣に練習をしていた。

私はバレーボール部に所属していて、ウエートトレーニングにも取り組んでいたのだが、Hに「トレーニングを教えてくれ」と言われたこともある。私は一緒にディスコへ行くこともなかったが、彼にとってダンスが単なる遊びを超えていったことはよく分かった。

Hは髪を染め、授業も真剣に受けず、部活にも入らず…学校では決してほめられた生徒ではなかっただろう。しかし、道を突き進んでいくパワーは、誰よりも飛び抜けていた。それは当時から感じていた。

若いDリーガーたちを見ていると、高校時代のHを思い出す。

彼のように窓ガラスに姿を映して練習していたのだろうか…教室で友人たちと話している時にも突然体を動かしていたのだろうか…などと、目の前のダンサーとHが重なり、懐かしい場面が脳裏に蘇ってくる。

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記者生活の大半をプロ野球担当として過ごしてきた私が、ダンスを、Dリーグを取材しはじめたことを不思議がる人は多い。きっとDリーガーたちも、「なんで、こんなおじさんが…」と思っているだろう。

ただ、私は若いDリーガーを見ているのが楽しい。若いダンサーが熱く語る夢を聞いていると、心が躍る。私まで若返っていくような気がする。

Hは高校を卒業するとダンスの道を突き進み、のちにEXILEというグループを生み出した。