椿涙千春矢の芸能歴史概要

皆さん、こんにちは!私は女性歌手の「椿涙千春矢」です。「ツバキナミダチハヤ」と読み、芸名です。

〜芸能歴史〜
・歌手として活動拠点は地元北海道→京都→東京(現在拠点は東京)
・4歳からピアノを習いはじめ中学では合唱の伴奏をつとめる
・小4〜小6の頃は吹奏楽部に入部し「トロンボーン」を経験し毎年コンクールへ出場し吹奏楽部で音楽を沢山の楽器で奏でる楽しみを知る
・小学校の学習発表会では、ミュージカルの2度の主役を務め活躍し芸能や表現する楽しみを知る
・小5〜小6年の頃、3度程「モーニング娘。」のオーディションにチャレンジして全て惨敗だったが「モーニング娘。」は大好きでいつも家か学校で歌って踊ってそれで満足していた
・10歳から18歳は、札幌にある劇団と、音楽のアクターズスクールに所属
・劇団時代に「ダンスが下手だ」と親戚に馬鹿にされたように言われたことが悔しくてしかたがなく、毎日毎日練習してダンスが上手くなり自信がついた
・10歳から18歳は特にレッスン漬けの毎日で学業と並行して週に6回ほぼ毎日レッスンに明け暮れ遊ぶことはほぼない暮らしを送る
・ダンス、歌のレッスン漬けの毎日を送ってきた為、有名ではないがプロ意識は人一倍強いアーティストだと本人は自負している
・高校時代は、特にダンサーとして、札幌にある音楽のアクターズスクール内の歌手のバックダンサーを務める
・大学ではダンスコンテストに出場しつつ、ボランティアで保育園にてダンスの先生を務める
・歌は高校、大学の頃年に3回ほどZepp札幌や商業施設イベントスペースなどでソロで歌っていた
・21歳から27歳は芸能事務所に約4か所程所属(そのうち、2つは大手芸能プロダクション)し、養成所のレッスンに励んだ
・22歳から25歳は、東中野にあるotoyaというボイトレスクールにて歌と作曲レッスンに通ってたところ、同じスクールの生徒に誘われ「昭和歌謡ビッグバンド」のオーケストラバンドにシンガーとして活躍する。それがきっかけで“昭和歌謡”の知識が増え、今もカバー曲のセットリストに昭和歌謡を選ぶことも多いのはこれが影響している
・ライブ共演、大場久美子さん、林寛子さん、三谷晃代さん、杉真里さん
・商業的な歌手としての活動はアラサー過ぎて本格始動、社会人として一般の仕事と並行して歌手活動を頑張った
・コロナ直前の年2019年に中目黒にあるイベント会社にて「SuperStarStory」という、歌手として夢を叶えるためのプロジェクトに参加し、ライブを多数決めていて渋谷クアトロに出演決まっていたが、参加直後にコロナ禍時代が始まってしまいライブはすべて中止になり渋谷のクアトロ出演はこちらから辞退し、途方に暮れる
・音楽や人生に途方に暮れて葛藤の中、
2020年9月24日に「愛の炎」でCDデビューを叶える
・2020年12月と2023年9月に中野名曲堂にてCDデビューキャンペーンイベントでワンマンショーを開催
・2020年11月頃〜Live812というスマホ配信アプリの配信ライバーとして配信ライブ活動を約2年務める
・2020年10月には、椿涙千春矢自身が、大ファンである「相棒」にエキストラとして出演
上からのカメラアングルで、主役の杉下右京さんと冠城亘さんの真後ろでカメラにうつれた
歌手のステージ衣装である青いドレスとメタルの羽をつけてアバター役として評価されたことは
人生一度のとても記憶に残る誇らしい経験である

・2022年7月〜池袋東口ゲキパの「歌謡ヒットパレード」のレギュラーメンバーとして毎月ライブに出演するが現在はお休み中
・2022年からはリアルのライブに出演力入れて東京の池袋、新宿、新大久保、渋谷、中野、東中野を中心に沢山ライブに出演をしたが2024年年明けから歌手活動はお休み中




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