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保育士さんがいてくれたから

わたしの母は、専門性の高い国家公務員総合職に就きながら、兄・わたし・弟の三人を育てた。

しかも駆け落ち同然で西日本から北海道へ嫁いだため、周囲に頼れる人は少なく、第一子を産んだのは男女雇用機会均等法の施行前。

働く女性としての苦労は、察するに余りある。

そんなわけで、わたしは0歳児のときから保育園に通っていた。
当時、乳児保育の数は少なかったようだけど、『保育園に通う』『母が働いている』というのは、わたしにとっては当たり前のこと。

保育園に行きたくない日は確かにあった。行かないと駄々をこねたこともある。
けれど、初恋の男の子とお遊戯会で踊ったこと、友達と園庭で雪のケーキを作ったこと、お散歩で先生に教えてもらった様々な植物や動物の名前。
保育園に行かなければ得られなかった、たくさんの思い出がある。


母は土日に出勤がはいると、周囲に内緒で園長先生に兄とわたしを預けることもあった。
(父と母は社内結婚だったので、母の出勤日は父も仕事)

もちろん、現代で考えるとかなりグレー(ブラック?)な案件だけれど。
仕事を続けたい、子供を持ちたい、だけど周囲に力になってくれる親せきはいないという状況で、母は保育士さんにどれだけ救われただろう。

ニュースにうつる園長さんの小さくなった背中を見て、わたしを育ててくれた先生たちのことを思い出していた。
きっと今、全国の保育関係者の方が、胸を痛めているだろう。

保育士さんは、働く大人をサポートし、未来そのものである子供たちを守っている。その両側面から社会を支えている人達が、どうか報われてほしい。

大津の事故は、保育園になんの非もないというのは大前提として。
どうかどうか、小さな命が犠牲にならないように、社会のシステムやテクノロジー、街づくりで世の中が変わっていってほしい。

大人として、自分もその一端を担う責任があることを忘れずにいたい。
今そんな風に思えるのは、わたしを育ててくれた保育士さんのお陰です。

先生、育ててくれてありがとう。


お読み頂き、ありがとうございました。 読んでくれる方がいるだけで、めっちゃ嬉しいです!