ちいさな手がくれた駄菓子のこと。
幼い兄妹がでてくる作品に弱い。
火垂るの墓、リトル・ミス・サンシャイン、誰も知らない、などなど。
幼さゆえに自分が苦境に立たされていることにも気づかない妹を、自分も子供といっていい年齢の兄が必死に守ろうとしている姿を見ると、嗚咽しながら床を殴りたくなるくらい胸が締めつけられる。
自分の兄の姿が、重なるんだと思う。
◇◇◇
三つ年の離れた兄と私は今、そんなに仲がいいわけじゃない。
会うのは一年に一度だし、それもぽつぽつと近況報告をしたらあとは何を話せばいいのかわからない。
思春期の頃は、五年くらい一言も口をきかなかった時期もある。
それでもちいさな頃は、それこそ「火垂るの墓」の節子のように兄についてまわっていた。妹のお守りをまかされた兄は、友人の家に遊びにいく際も私を連れて歩いていた。
◇◇◇
小学校にあがると兄は、放課後に児童館に通うようになった。
その児童館では、金曜日に子供達みんなで駄菓子を食べるというイベントをやっていた。
ロッカーいっぱいに用意された色とりどりの駄菓子のなかから、50円分を各自選んでみんなでテーブルを囲む。
それは児童館に預けられた子供達にとって、週で一番のお楽しみだった。
兄はその駄菓子に手をつけず、毎週ティッシュに包んで持って帰ってきた。
親がどれだけ「それは全部あなたが食べていいんだよ」と説得しても、「イチコと一緒に食べるから」と、兄は駄菓子を大切に持ち帰り、幼い私と半分こして食べていた。
◇◇◇
正直私は、当時のことをまったく覚えていない。
両親が何度もこの話をするから「そんなことがあったんだな」と知っているだけだ。
覚えていないくらい無邪気に、この手で駄菓子を受けとっていたんだろう。
ロッカーの前で駄菓子を選んでいるとき、兄はなにを思っていたんだろう。友人たちが楽しそうにテーブルを囲むのを見ているとき、わたしに駄菓子を手渡すときは?
自分だってちいさな子供だったのに、「譲る」ことを覚えなければいけなかった兄のことを思うと、胸がぎゅっとなる。
◇◇◇
兄は今、一児の父になった。
「パパはなんでそんなにかっこいいのかな? あ、わかった! カレーパンマンのまねしてるんでしょ!」
そんな姪っ子の可愛い声をきくと、君のパパはちっちゃな頃からかっこよかったよと心のなかで相槌をうつ。
(カレーパンマンってかっこいいんだな…)
まだまだ自分のことばっかりな私も、すこしずつ「譲る」ことを実践できればいい。兄がちいさな手で与えてくれたものは、きっと今も、私のなかに根づいているから。
お読み頂き、ありがとうございました。 読んでくれる方がいるだけで、めっちゃ嬉しいです!